「キリストによる新創造」
私は先日ちょっといい話を耳にしました。福島第一原発の復旧作業を支援する探査ロボットサーべーランナーがトビー工業という会社で開発されたっていうんです。このロボットはなかなかの優れものです。70センチ四方の狭い場所で、360度旋回できるんです。急勾配でぬれた階段の登り降りもできます。これは足元が不安定な原子炉屋内でも効果的な作業が期待できますね。時速2キロで走行しバッテリーは5時間もち、しかも、無線でコントロールできるんですね。これをこの会社は無償で東電に貸し出すっていうんです。この会社だけではありません。いま日本のロボットメーカーがこぞって、がれきの原発敷地内で作業できるロボットを次々と開発しているんです。
ところで1つ不思議なことがあるんです。劣悪な環境で作業するロボットのデザインは、自然界にいる生物の姿に似ていくんですね。あらゆる環境で自在に身動きできるロボットの形を追求していくと昆虫や動物や人間の姿に似ていくんです。なぜなら、この世界に生息している昆虫や動物や人間は究極の合理性を持ったデザインを持っているからなのです。あるメーカーの開発しているロボットは、ゴキブリそっくりです。いったいどうしてゴキブリなんでしょう。ゴキブリは地面の凹凸に影響されることなく、常に体を水平に保って移動できるからです。実はゴキブリの六本足は移動するとき、常に3本が地面にくっついているんだそうです。いかなるでこぼこ道でも、常に3角形の支点で歩行すると支えられている体は、いつも水平状態を保つことができるということがわかってきたんです。醜いものの代名詞とされているゴキブリの移動は究極の機能美を持っているっていうんですね。
万物の設計者・創造者
ところで合理的なもの、効率的なもの、知能的なものは、どれもこれも、考え抜かれた結果、生み出されてきた作品です。優れたロボットは、優れたロボット設計者の知恵の産物です。賢い設計者なしには、賢いロボットはできないのです。それなら、ロボット設計者が思わず見とれてしまう自然界の生物にも、設計者がいると考えられるのではありませんか。この世界は偶然にできたのではありません。この世界を始めた作者がおられます。宇宙を作り、地球を命ある星に整え、自然界を設計し、あなたという人をお造りになった方がおられるのです。この世界とその中にあるすべてのものを作られた作者を聖書は神、創造主と呼んでいるのです。
ところで過酷な現場でロボットが故障したら、いったいどうしたらいいでしょう。開発メーカーに送って、修理してもらったらいいんですね。ロボットが壊れたらロボットの作者に持っていくことです。作者なら壊れた作品を直すことができるからです。では、もしも人間が壊れたなら、どうすればいいんでしょう。人生が破壊されたように思うときどうしたらいいんでしょう。人間の作者のところに行けばよいのです。作者ならば壊れた作品を直すことがおできになるからです。そして、作者ならば愛着のある作品が壊れたままでいるでいることに耐えられないからです。神はあなたを再生してくださる方なのです。
聖書の中にこんな言葉があります。
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」
神は、キリストによって壊れた人間を新しく作り直してくださるというのです。そして、新しく作るためには、まず古いものを撤去しなければならなかったというんです。
人間の再生を計画された神
私の家の近くに阿部野橋というターミナルがあります。今そこに59階建てのタワービルを建設中なのです。その周り一帯が一大ショッピングモールとなっています。ところで、これらの新しいビルが建つためにいったい何が起こったことでしょう。以前このあたり一帯にあった古い長屋や商店街が、全部更地にされたのです。新しいものを建てるためには、まず古いものが取り除かれなければならなかったのです。これは倒れかかった木を新しく再生するときにも言えることですね。
会社を更生させるとき再スタートを切るときにまず第一にせねばならないことは、負債を免除してもらうということです。大きする借金、返しきれない負債を負っている限り、再生はできません。まず借金を帳消しにしてもらわなければならないのです。人間も同じなのです。新しい人間として新しい人生をスタートするためには、まず、罪という借金を許していただかなければなりません。この罪とその生き方を聖書は古い生き方といったのです。そしてこの罪という古いものをキリストは過ぎ去らせてくださったのです。どのようにしてでしょう。罪のないキリストが私たちの罪を身代りに背負うことによって、私たちから罪を取り除いてくださったのです。
人生における最高責任者キリスト
第二に、企業が再生するためになされなければならないことは、新しい経営陣を受け入れるということです。神は私たちの人生を新しくするために凄腕の、できる、切れる、偉大なるCEO最高責任者を与えてくださいました。それが、イエスキリストなのです。しかし、十字架の上で私たちの身代わりに死んだキリストがどうして今生きている私の最高責任者になることができるのでしょう。キリストは十字架で息を引き取られて終わっただけではなく、死後3日目に復活し、天に上り、今も生きている方なのです。イエスキリストはご自身を救い主として信じる者の心の中に住んでくださる方です。あなたの中に宿ってあなたと共に人生を生きてくださる方なのです。私たちに必要なのはそうしてくださいとキリストに願う決心だけなのです。
新しい歩みへの勇気ある一歩
中国のことわざに百聞は一見にしかずというのがありますね。百回聞くより、一回見たほうが早いということです。しかしこれには続きがあります。百見は一考にしかずがそれです。一考というのは、一つ考えると書きます。百回眺めているだけより、じっくりそれが正しいかどうかを一つ考えてみるほうがすぐれているという意味です。しかし、さらに続きがあるのです。百考は一行に過ぎず、です。一行というのは一つの行い、行動です。百回考えて正しいとわかっても行動しないなら何も考えなかったのと同じだという意味なのです。
どうぞ、あなたの救い主イエスキリストを心の中に受け入れると決断し、この方を信じると生ける神様の前に祈ってください、心からお勧めしたいと思います。