新約聖書
「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」
(ローマ6:23)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.627 2012年4月8日

「ルーツを知って解決を得る」

おはようございます。高原剛一郎です!

 ソニーの創業者、井深 大の親友は自動車メーカー、ホンダを作った。本田総一郎さんでした。井深さんは、「わが友本田総一郎」という本の中で親友と自分の共通点を一つ上げています。それは、二人とも技術屋というより、夢見る素人だったという点です。技術屋さんというのは、何かの特殊技能をマスターしている職人さんですね。こういう方は、自分の技術をいかに活用するのかといつも考えるそうです。しかし、この二人は、この技術があるからそれを活かして何かをしよう、何かをしようなどということはまず、考えなかったそうです。最初にあるのは、こういう物をこしらえたいという目的、目標です。二人とも、人まねが嫌いですから、今までにないワクワクするこういう物を、作ろうという目標がまず、いきなり出てくるんですね。最初に目的、目標があって、その次にそれを実現させるためには、どうしたらいいのか使える技術があるのか、なければ自分たちで工夫を重ねようではないか、そして、心の中のワクワクするイメージを、形にしてきたっていうんですね。すぐれた製品には、形になる前にまず作者の夢があるんだ。そしてこの夢のある目的が実現のための原動力となっていたんだとおっしゃるのです。


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 ところで、家電製品や車に設計者、作者がいるのが当然のことであるなら、それらよりもはるかに、優れている人間や自然界にも作者がいると考えるのは当然ではないでしょうか。そしてもし、人間に作者がいるなら、その方もまた、本田さんたちにと同じように夢を抱いて人間をお造りになったと考えられるのです。すぐれた作品は、まず作者の思いの中で目的が定まってから具体化するんです。それと同じように人間にも、神という作者の目的があるんです。あなたは、神の夢によってできたんです。目的なしに生まれてきた人間は、一人もいません。目的を知らずに生きてる人はいるでしょう。しかし、目的なしに作られた人は一人もいないのです。あなたの姿、形、性別、性格、血液型も、才能も、能力も、すべて神の崇高な目的を実現するために、与えられたものなのです。ところが人間はこの自分の作者である神様から離れて、創造主を見失ったまま、生きてるのです。神を見失ったことで、人生の目的をも見失ってしまったのです。そして、この神から授かっている本来の目的から離れて生きることを聖書は罪と語るのです。

目的誤認でふりかかる人生の混乱と謎

 ひと頃、漂白剤にあるものを混ぜ合わせて、有毒ガスを発生させ、自殺の手段にすることが蔓延したことがありました。漂白剤はとても便利なものですね。黄ばみやシミを真っ白に消して、おまけに殺菌や消毒作用もあるからです。本来生活を快適にするよきものを間違った用い方で自殺手段にするのは実に悲劇的なことです。とあるメーカーの担当者の談話が、印象的でした。こんなことで、当社の製品が有名になるのは、実に心外です。とおっしゃていたのです。人は正しい目的のために作られたのです。しかし、人に正しい目的を授けた正しい方である神を無視して生きているがために、実に神にとって心外な存在になっている、それが人間です。そして人生は混乱と謎に満ちるのです。
 聖書は、こう語っています。

「罪からくる報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は私たちの主、キリストイエスにある永遠の命です。」

 罪とは、自分の作者、魂の親であるである神がいることをすっかり忘れて、自分で勝手に定めた人生の目的に沿って生きることなのです。しかし、命の源である神から離れた究極の結末は死なんです。

無知が引き起こす罪の悲劇

 ところで、ギリシャ神話の中に、無知を戒める話がたくさん出てきますね。その中の一つに、オイディップス王の物語があります。彼は、あの有名なスフィンクスの謎を解いた人物です。スフィンクスは道行く人にこんな謎を出していました。「朝には4本足で歩き、昼には2本足になり、夕方には3本足になる生き物はなんだ?」オイディップスはずばり答えます。「人間だ。」赤ん坊の時には、両手足で張って、歩き、成人すると2本足歩行、おいては杖に頼って3本足だ、というわけです。
 ところで、このスフィンクスのなぞ解きを果したものには、先の王妃、イオカッセと結婚して、王位につくという布告がありました。それで、オイディップスはイオカッセと結婚し二人の男の子と、二人の女の子をもうけます。しかし、やがてこの国に恐るべき疫病や大飢饉が次と次と起こるんです。占い師がこう言うんですね。先代の王様ライオスを殺害した男が、この町にいるからこんなことが起こるんです。その者を追放すべきです。オイディップス王は王として血眼になって王殺しの犯人探しに熱中するのです。しかし、調査を続けていくうちに恐るべき事実に突き当たるのです。なんと犯人は自分だったのです。彼はスフィンクスを退治する前に道を譲れ譲らないの揉め事で、一人の人を殺していたのですが、それが誰あろうライオス王だったのです。しかも、その王は、自分の実の父親だったのです。彼は幼いころ両親から引き離されて育てられ、自分の出生の由来について無知だったのです。つまり彼はこの無知のゆえに実の父を殺し、実の母と結婚し、4人の子供をもうけたというです。王妃イオカッセは絶望の中で自殺し、オイディップスは自分の目を抉り出して罪の償いをしようとしました。しかし、それでも、彼の心を納得させることはできないのです。

ルーツを知ることこそ問題解決の始まり

 この悲劇の原因は、一にも二にも、自分のルーツを知らずに生きたということなのです。良かれと思ってやったことは、ことごとく裏目に出るのは、最初のスタートを知らずに生きてきたからだ、というのです。つまり、自分の実の父を知らず、自分のルーツを知らず、自分の目的を知らずに生きてきたということが問題でした。残酷なことに、このギリシャ神話には何の解決もありません。問題の指摘はずばりします。しかし、問題の解決に対しては、口をつぐんだままなのです。解決のない問題の真相は、かえって人を不幸にするばかりですね。

聖書が提供する最終解決とは

 しかし、聖書には、解決があるのです。なぜなら、聖書の神は、人間の不幸を涼しい顔で眺めている神話の神ではなく、人間を愛して、人間をお造りになった方であるからです。聖書の神は救いの神です。人間を罪の結果から救い出すために救い主イエスキリストを送ってくださった神なのです。神はなぜ救い主を送ってくだっさたのでしょう?人間に一番必要なことは神から許されることであるからです。なぜ、それが必要なんでしょう?罪と無関係の人は、一人もいないからです。そして、罪が人間を死と死後の永遠の滅びに引きずり込むからです。この罪の償いは人間にはできません。人間にできない罪の完全な償いをするためにキリストはこの世に来て十字架にかかり、死に、三日目に復活してくださったのです。
 どうぞあなたもキリストを救い主として信じ、まことの神様のもとに立ちかえってください。心からお勧めしたいと思います。

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