新約聖書
「わたしが世にいる間、わたしは世の光です。」
(ヨハネ9:5)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.627 2012年4月1日

「光なるキリスト」

おはようございます。高原剛一郎です!

 四月に入って新社会人や新入生の姿を見ると、ああ春が来たんだなあっていう気持ちになりますね。ところで、春ってどうして「はる」って言うんでしょう。ある本によると、「跳ねる」という言葉から来たって言うんですね。冬の間姿をくらましていた生き物が、跳ねたり跳んだりする、この「跳ねる」が縮まって「はる」になったって言うんです。英語では"spring"と言いますが、これはもともと「泉」という意味です。冬の間は凍っている泉が、春になると氷が解けて水が湧き出します。そのゴボゴボ湧き出す泉の様子から春を意味するようになったって言うんですね。いずれにしても、命の躍動を意味するのです。そして、そういう変化は日照時間が長くなることで起こるんです。光こそは、命のエネルギーだって言うんですね。


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 あるとき、イエス・キリストはこう仰ったのです。

「わたしが世にいる間、わたしは世の光です。」

 キリストは御自分を光になぞらえて紹介されたのです。いったい、光にはどんな作用があるのでしょう。今日は、三つのポイントで考えたいと思うのです。
 第一に、キリストは世を照らす光なのです。光は闇を照らし、今まで見えなかったものを見せてくれるものなのです。キリストは、人の心を全て知り尽くしている神を人々の前で明らかにされました。そして人は、自分が知られていることに気付くとき、初めて恥じ入ることができるようになるのです。

神は私たちの真の姿を照らし出す

 以前私は、スピード違反で捕まったことがあります。確かに少しスピードを出しすぎていたんです。しかしそのときの私は警官に食って掛かってしまったんです。というのは、私のスピード違反の理由は後ろから猛烈にあおってきたスポーツカーのせいだったからです。スポーツカーのほうは私を抜き去り、あっという間に姿は見えなくなりました。ところが、そのスポーツカーよりも遅い私が捕まったので、「理不尽じゃないか」と文句タラタラ、態度悪かったんですね。「捕まえるんだったら、先にあのスポーツカーのほうをしょっ引いてこいよ」っていうふうに言ったわけです。ところが、私の免許証をしげしげと見つめていた警官はこう言ったんです。「御主人、高原剛一郎さんですか。ひょっとして、ラジオ番組に出演してませんか。実は私の家内がクリスチャンで、あなたの番組のファンなんです。私も時々、聴かせてもらってます」その瞬間、私は気絶してしまいそうになりました。突然、自分の態度の悪さをとてもとても恥ずかしく感じだしたからです。私がどこの誰か、相手に分からないでいるとき、私はふてぶてしい男でした。しかし、私の正体、私の仕事、私の存在が、相手の目に明らかであることを知ったとき、急に自分を恥じ入るようになったのです。特に、相手の評価や期待を現実の自分が大いに裏切っているのだと分かったとき、私の羞恥心はピークに達したのです。
 多くの人は、自分のことを罪人だとは思ってはいません。なぜでしょう。自分の正体を知り尽くしておられる方、しかも自分という人間を気高く崇高なものとして創られた生ける創造主、神を知らないからではないでしょうか。キリストは、あなたの創り主である神を明確に示された方でした。神は、あなたの心の奥底にある全てを知り、またあなたを崇高な使命を持つものとして創られた、あなたの作者なのです。誰でも、この神の創造の意図を前にして現実の自分を省みるとき、恥じ入るしかないのではないでしょうか。この方は実に、世に自分の姿を照らし出す光なのです。

罪を消し去る力を持つキリスト

 第二に、キリストは罪の暗闇を粉砕する光なるお方なのです。
 実は光は、悪いものを取り除いたり、傷を跡形もなく消したり、ばい菌やウイルスに対して消毒・殺菌の作用を持っているのです。体の中にできる石のことを結石と言いますね。腎臓にできたら腎臓結石、膀胱にできたら膀胱結石です。経験者のお話を伺うと、痛いらしいですね。しかし、今これらの石を取り除くのにメスを入れることはまずありません。レーザーという光をあてて、体内で石を粉々にして治療するのです。
 今から10年くらい前から、体に刺青を入れるのが、おしゃれなこととして流行していますね。タトゥーを入れるというわけです。ところで、タトゥーを入れた人の五人に一人はそれを消したいと思っているのだそうです。ところが、皮膚に焼きこんでありますから、いくらお風呂で体を洗っても消えないのです。しかしこの、皮膚そのものに焼き込まれた入れ墨を消す方法があるんですね。レーザー治療です。光には、一旦体に染み付いたものを分解して消し去る力があるのです。

イエスは人に命を与える光

 キリストは、人の心の罪や、悪や、過去を、明らかに照らす光です。しかし、罪を暴いて、それでほったらかしにするのではありません。その罪を、跡形もなく消し去ってくださる方なのです。神の目の前に厳然と存在する罪を、完全に消してくださる方なのです。一体どのようにしてでしょう。あなたに代わってキリストが、その罪の責任を負い、ご自分の命で償いをしてくださるということによってです。キリストは今から2000年前、十字架にかかって死んでくださいました。その死は、私たちの罪を背負った死です。あなたのために、身代わりに神から裁きを引き受けてくださったのです。この方こそ、人に命を与える光なのです。

未来を照らす希望の光

 第三にキリストは、この世に望みを与える光なのです。
 先日ある新聞に、ロンドン警視庁が導入した特殊な光照射マシンのことが載っていました。実はイギリスという国では、十人に一人が冬季うつ病という病気にかかっているというのです。この冬季うつ病というのは、冬の間だけうつ病の症状が出るのです。その原因は、太陽光を浴びる時間の少なさにあると言われているのです。というのは、この病気は、春になって日照時間が増えると自然に治るからです。では、冬の間はどのようにすればよいのでしょう。5000ルクス以上の強力な光を意識的に見つめることで、癒されると言うのです。実は光には、脳内神経伝達物質、メラトニンという物質を作り出す作用があるのです。このメラトニンというのは、眠気を起こさせるホルモンです。昼間に太陽の光をシャワーのように浴びているうちに、体内で作り出され、夜になって暗くなると分泌されてぐっすりと熟睡することができるようになるそうです。人間が健康に生活するのに必要なホルモンは、光を浴びないと作り出すことができないのです。光は、命のエネルギー源なんですね。そしてキリストは、人の光なのです。罪に対しては赦し、恐れに対しては平安、孤独には臨在、そして死には復活をもって、私たちの命を力づけて下さるからです。確かにキリストは、十字架の上で一度死なれました。しかし、三日後に、死を突き破って復活なさったのです。キリストは、生きる力を、よみがえりの力を、与えてくださるのです。キリストは、未来を照らす希望の光なのです。
 どうぞあなたも、このイエス・キリストをご自分の救い主として信じ、罪を照らし、赦しをもたらし、永遠の天国を与える約束を、受け取ってください。心からお勧めいたします。

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