旧約聖書
「神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。『生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。』」
(創世記1:27~28)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.614 2012年1月1日

「人間回復の原点」

あけましておめでとうございます。高原剛一郎です!

 皆さん、明けましておめでとうございます。今年も聖書と福音をよろしくお願いします。
 さて、先日私は友人が自分の子供たちに子犬をプレゼントした時の話を聞きました。4人兄弟の子供たちはそろって大の動物好きなんですが、お母さんの反対でペットを飼えない状態が三年続いたんです。ようやくお母さんが許可したんですが、ご夫婦はそれを内緒にして子犬をサプライズプレゼントすることにしたんです。男ばっかり四人の子供たちはいつも兄弟げんかが絶えないんですが、その日に限って長男が実に余裕のある態度をとってたんです。弟たちのどんな横暴にもニコニコと受け止めているんでした。一体どうしたんでしょうか。実は彼は隠してある子犬を一足先に見つけてしまってたんですね。これからすごくうれしいことがあると気付いていた彼は、弟たちの我がままに振り回されることなく実に穏やかであり続けることが出来たんです。とても素晴らしい事実に気付いている人は、それを知らないで生きている人よりはるかに力強い生き方になるんですね。

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 今日私は一年の初めにふさわしく、とても喜ばしい事実をお知らせしたいと思います。それは、「神はあなたを愛しておられる」ということです。たとい、あなたにどんな過去があったとしてもそれでも神はあなたを愛しておられるということです。聖書の一番最初の書、創世記にはこのように書いてあります。

「神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。『生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。』」と。

 ここには三つのポイントで人は神にとって特別な存在であることが書かれています。一つ目は、人は神の似姿に造られたということです。二つ目は、人は神から祝福を受け取るために造られたということです。三つ目は、人は地を従える尊厳ある存在として造られたということです。一言で言うならば、人は神の手による最高傑作なんだと宣言されているんです。ところが人はこの事実を忘れ、神から離れ、神無しに自分の存在のスタートや尊厳を追及するようになってしまいました。神無しに人間の存在を説明する仮説を進化論と言います。人は偶然によって発生した物にすぎないと言うんですね。

創造主なしの人生観がもたらすもの

 今から20年前アメリカの連続殺人鬼、ジェフリー・ダーマーという人物が逮捕されました。彼は同性愛の相手を次々と17人殺害してきたのです。現在の裁判では犯罪が異常であればあるほど、犯人の心神消耗状態を理由に無罪になることが多いのです。しかし彼の場合はそのようなことは適用されませんでした。極めて冷静な人物であったからです。彼は100年を超える懲役刑を受けますが、その3年後に同じ刑務所の囚人から惨殺されてしまいます。しかしその3年間に、彼はまるで別人のように変えられ、誰もが目を見張る模範囚に変えられていたのです。いったい何が彼を変えたんでしょう。聖書なんです。聖書の語るイエス・キリストが彼を変えてしまったんです。当初、精神科医が裁判のために彼を診察しました。それは殺人の原因が分からなかったからです。と言うのは彼はカッとなって人を殺めたのではない、また憎しみで人殺しに走ったのでもなかったんです。

最高権威者はだれか

 いったい何が原因だったんでしょうか。医者や心理学者や教育学者がいろいろ面談したんですが、それは人間に関する彼の考えに由来することであったのです。彼は進化論をまともに信じる人だったんです。自分はスライムのようにネバネバした物質が偶然に命に進化し、そして人間になったと考えていたんです。それが連続殺人とどう結びつくんでしょう。三つあります。第一に、自分も他人も偶然に存在する物質にすぎないなら、偶然に存在する物質を、偶然に存在する別のものが壊したとして何が悪いのかと言うんですね。その破壊行動だって偶然の現象にすぎないではないか、というのが彼の考えです。第二に、人間を造った神などいないなら人間は進化の頂点に立つものです。つまり最高権威者です。最高権威者の存在が自分のしたいことをするのは当然じゃないかっていうんですね。第三に、人間は物質で生命は物質の化学反応にすぎない、死というのは化学反応が終了しただけのことで、死んだら人は無になる、それで終わりなんだということになるっていうんです。だから死を恐れることはない。死後に裁きも地獄もないんだから、生きてる間の行動を改めたり正したりする必要はないと言うのです。

罪の赦しを与えるために来られたキリスト

 彼の破滅的な生き方は、神なき人生観に由来するものであったのです。しかし服役中の彼に聖書が差し入れられるようになりました。また進化論ではなく神が人間を造ったことを科学的に解き明かす書物が差し入れられ、それらを読みふけるようになったのです。彼はそれらの書物を通して人とは特別に造られた存在であること、また創造主に愛されている存在であるということ、そして人はその行いに応じて死んだ後で裁かれる存在であるということを知ったのです。そして弁解の余地無き罪人のために、神が赦しを準備してくださったことについて知ったとき、彼の心はくずおれていったのです。神はあなたの罪を赦すためにイエス・キリストとなってこの世に来られました。裁くためではなく罪の赦しを完成するためにこの世界に来てくださったのです。

身を挺して作品を守る

 今から10年ほど前、日本を代表する指揮者の一人、井上道義さんが、とあるコンサート会場でタクトをふるうことになっていました。満員の会場にいる彼のファンたちは期待で胸がいっぱいです。いよいよ指揮台に立って彼が指揮棒を振り下ろし、オーケストラが音を奏でたその瞬間、何と彼は指揮台から転がり落ちて舞台に倒れ込んでしまったんですね。オーケストラは演奏を中断、彼もいったん舞台のそでに戻り、改めて指揮台に立ってようやく演奏が始まったんです。後日、転がり落ちるはずのない所でなぜこけたのかをある方が聞いたとき、指揮者の井上さんはこう答えました。実はあの最初の音が鳴るほんの前に会場で携帯電話が鳴ったんです。団員たちもそれに気付いたでしょう。演奏に動揺が現れていました。あのまま演奏していたら作品としては傷物で終わってしまったことでしょう。何と彼は一回の演奏という作品を、傷物状態から救うために、自ら道化役となり、身を痛めて転がり落ちたと言うのです。
 神はこれ以上のことをあなたのためになさいました。人を罪人という傷物状態から完全な作品にするため、十字架に架かり、死に、そしてよみがえられたのです。どうぞあなたもこの年の初めのこの機会にキリストを信じて罪の赦しと永遠の命をいただいてください。心からお勧めしたいと思います。

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