新約聖書
「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。」
(コリント人への手紙第二5:21)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.607 2011年11月13日

「キリストにある神の宝」

おはようございます。高原剛一郎です!

 先日ある心理学者がこんなことを言ってました。「努力は必ず報われる」とはよく聞く言葉ではあるけれど、必ずしもそうではない。努力しても願っていた大学に入れなかった人はたーっくさんいる、努力したからと言って好きな人と結婚できるとは限らない、努力したからと言って百歳まで生きれる保証なんかないって言うんですね。実は努力したけれど手が届かなかった人が世の中にはたくさんいるって言うんです。しかしながら努力は必ず報われると信じている人の努力は報われることが多いって言うんです。

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 人間ってただやみくもに努力するよりも、何かを信じて、誰かを信じて努力するときに、力を発揮するように造られているように思えてならないって言うんですね。確かに世の中で一番みじめな人は、信頼できる人や信頼できる友人が一人もいない人だと思います。そういう人は力を発揮することが難しいですね。どんなにお金があっても、物に囲まれていても、信頼できる人を一人も持っていない人は孤独です。でも、何でもかんでも信じるっていうのは騙されやすい人間になるっていうことですね。これも考えものです。信頼に足るべき方を信頼する。これが一番大切なことではないかなと思います。そこで今日は絶対的に信頼に足る方、生ける真の神様とは一体どのような方なのかをご紹介したいと思います。聖書はこう語っています。

「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。」

私たちを創られた第一原因者

   第一にここで語られている神は私たちの造り主であるということです。日本には26万6千の神々があるそうですね。ずいぶんたくさんの神々がありますが、しかしそれらの神々に共通していることが一つあります。それは人間の宗教心が作った神々であるということです。つまり人間が作った神々なんです。しかし聖書の語る神は人間が作った神ではなく、人間をお造りになった神なんです。人間の作者です。あなたの存在の第一原因者なんですね。この宇宙の造り主です。あなたの作者は、この上もなく賢く、限りなく正しく、途方もなく魅力的な方です。この上もなく賢い方があなたを造った以上、あなたの存在には必ず目的と使命があるということが出来るんですね。

地球の管理人として置かれた人間

 先日アップル社のCEOであったスティーブ・ジョブズが亡くなりました。その彼の伝記が出版され大きな話題になっています。ところで彼は人を口説き落とすのが大変にうまかったと言われています。まだアップル社が小さかった頃、彼はペプシコーラのCEOであったジョン・スカリーという人をヘッドハンティングするために、何か月も何か月も説得していたんですね。最後の口説き文句は歴史に残ると言われています。彼はこう言ったんです。「残りの人生をずっと砂糖の入った水を売って過ごしますか?それとも世界を変えるチャンスにかけてみませんか?」この一言はジョン・スカリーのハートを一撃で射抜いてしまいました。彼はアップル社に移ることを決心したんですね。どうして世界最大手の清涼飲料水メーカーのトップの座を投げ出したんでしょう。年収でしょうか?安定性でしょうか?そうじゃないんです。人生を、世界を変えていくことに使いたいと思ったからです。スティーブ・ジョブズは人間の欲求を知ってたんですね。どんな人でも一度しかない人生を意味あること価値あることに使いたいと思っている、どんな人でも世界を良くするために貢献する人生を送りたいと願っているに違いない。これがスティーブ・ジョブズの考えでしたが、当たっていることですこの考えは。
 神様は人間をよりよく統治するためにお造りになったのです。この世界のオーナーである創造主は人間という管理人にご自分の作った世界を管理させようとしてお任せになったのです。ですから人間はこの世界をより良くすることにとても生きがいを感じるんです。ところが人間はこの世界の真のオーナーである神に対して無視するようになりました。まるで神様なんかいないかのように考えて自由気ままに世界を変えようとしているのです。この造り主を無視して生きることを聖書は罪と呼んでいます。そしてこの罪の結果、世界は大混乱と無秩序に陥っていると語るのです。

赦しを願い、死を滅ぼされる神

 第二に神とはこの大混乱の原因を作った人間を責めようとしているのではなく、赦そうとしている方なのです。罪人を断罪しようと待ち構えているのではなく、赦そうとしている方、いや既に赦してくださった方なのだと聖書は語るのです。いったいどのようにして罪を赦すと言うのでしょう。罪を知らない方を罪とすることによってです。罪を知らない方とは誰でしょう。神の一人子イエス・キリストのことです。神はご自分の一人子の神を人間としてこの世に遣わし、この方に私たちの罪を背負わせ、私たちの代わりに十字架の上で裁いてくださったのです。そして神はこのキリストを死後三日目によみがえらせ、人間にとって最大の敵である死をも滅ぼしてくださったのです。私たちが許されるために必要なことは全て神の一人子が代わりにしてくださったのです。ですから後はこのキリストを受け入れるだけで全ての罪は許され、永遠の命を与えられ、たとえ死んでも永遠の天国に行き、やがて世界を正しく統治する者になるということが約束されているのです。

イエスを信頼するものにもたらされるもの

 昔ヨーロッパにフィッツジェラルドという貴族がいました。確か男爵であったと思います。彼には一人たいそう自慢の息子がいたのです。学問に秀で、スポーツ万能で、容姿端麗、しかも人柄も申し分なく、後を継がせるのに何の心配もない自慢の息子でした。ところがこの息子がわずか16歳で亡くなってしまうのです。やけくそになった彼はそれからずいぶん変人になってしまいました。そして今まで息子のためにと蓄えていた財産で片っ端から世界の名画を買いあさるようになったのです。しかも買い求めた絵画は全て部屋の中にしまいこんで、決して一般公開することもないのです。しかしそんなフィッツジェラルドもとうとう亡くなりました。それで彼が今まで買い集めてきた絵画は一挙にオークションにかけられることになったのです。世界中のディーラーたちはこのオークションに参加しました。何しろ名作がひしめいているということを知っていたからです。管財人としてそれを任されていた弁護士が遺言状にのっとってオークションを開始しました。ところが初めにかけられた作品は無名の画家による青年の肖像画です。誰も欲しいとは思いません。
 ところが一人の老人がその絵を買いました。その老人は、長年フィッツジェラルド家に仕えた召し使いです。なぜ無名の人の作品である絵を買ったんでしょう。モデルが長年自分が仕えたフィッツジェラルドの息子だったからです。次に二作目が発表されるはずでした。しかし弁護人は言いました。「以上、オークションは終了。残りの名作のすべては一作目の購入者にすべて譲ることになっていますので。」会場には悲鳴が上がりましたが後の祭りです。息子を受け入れたものにすべての財産を託すというのがフィッツジェラルドの遺言であったからです。
 同じように神は、神の一人子イエス・キリストを受け入れた者に、罪の赦しも、天国の国籍も、神の子供としての立場も与えると決めておられるのです。なぜならこの方があなたの救いに必要なすべてを成し遂げてくださったお方であるからです。どうぞこの救い主をご自分の救い主として受け入れてください。心からお勧めしたいと思います。

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