「完全な備え、完全な仲介者」
さてヒルティという人はこう言いました。「人生は二回目の法則に支配されている。」と。二回目の法則って何でしょう。どんなことでも実際にやってみると一回目より二回目の方が簡単にできるという法則です。一度良いことを行うとその良いことがしやすくなります。これが良いことの報酬です。ところが一度悪事を行うと二度目の悪事はよりたやすくやってのけてしまえるのです。これが悪事の罰だっていうんですね。確かに初めて挨拶するときとても恥ずかしい気持ちがしますが、慣れてくると習慣になって、いちいち意識しなくてもその良いことが出来るようになっています。それに対して初めて吸うタバコの苦しいこと。初めて飲んだアルコールのなんとまずいこと。ところが次第にやめることが出来なくなるのです。どんなことでも回数を重ねるとよりやりやすくなってしまうんです。
人がやってみるべきことは悪事ではなく善であるべきですね。そして聖書の語るところによれば、人がやってみるべき最も良いことは、最も良い方である神を信頼するということなんです。今日はこの神の福音を紹介いたしましょう。聖書はこう語っています。
「神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。」
ここに聖書メッセージのエッセンスが三つのポイントで示されています。
ご自分に似せて人間を造られた創造主なる神
まず第一に神は唯一です。この世界を造り、万物を造り、あなたをお造りになった方は唯一の神です。私たちが責任を負うべきはあの神、この宗教という人間の宗教心が作り出した様々な神々ではありません。自分の造り主こそは真に敬われるべきお方なのです。この唯一の神がご自分の形に似せてあなたを唯一の存在として造られたのです。世界に70億の人間がいてもあなたと全く同じ人間はどこにもいません。人類歴史をどこまでさかのぼっても、またこれから将来、世界が何千年続こうともあなたと同じ人間は出てきません。あなたは唯一の人です。それは唯一の神はご自分に似せてあなたを造ったからです。そしてここにあなたの尊厳の理由があるんです。
神はあなたを「高価で尊い」と見ておられる
少し前の話ですが、アメリカのテキサス州北部のハロルドという小さな町で、教師が自己防衛のために銃を携帯して学校に行くことが了承されたというニュースがありました。勉強するための学校にどうして銃を持って行く必要があるんでしょう。この数年アメリカでは学内で銃の乱射事件が続発しているからです。自分と生徒を守るためには武装して教壇に立つのもやむを得ないというわけです。ところでFBIという捜査機関は、これらの事件を起こした未成年者17人の精神鑑定を行い、ある一つの共通点を見つけ出したのです。それは犯人の少年とその父親との関係に重大な問題があったということです。一言で言うと父の祝福の欠如なんです。父から承認されたことがない少年達ばかりだったというんです。お父さんから重んじられたり、励まされたり、喜ばれたりしたことがない、かえって無視され、軽んじられ、バカにされてきたんです。彼らは苦々しい怒りでいつも心の中が満たされるようになっていたっていうんですね。
もしあなたの父親が不幸にしてあなたを無視する人物であったとしても、その父親の評価に支配されずに済む道はあります。それは本当のあなたの父なる存在である神の見方で自分を見るということです。神はあなたを愛して造られたのです。「神の目にあなたは高価で尊い」と聖書は語っているんです。
仲介者としてこの地上に来られたイエス
第二に神とあなたをつなぐ仲介者としてイエス・キリストがおられるということです。
シートン動物記を書いて有名になったシートンは、青年時代無類の本好きでした。彼は18歳の時イギリスで絵を学んでいたのですが、どうしても行ってみたい場所があったんです。それは当時世界一の蔵書数を誇る大英図書館です。ところが受付に行くと門前払いを食らうんですね。未成年者は入れないっていう規則があったんです。諦めきれないシートンは司書官に会って特例措置を直訴するんですが断られます。「これ以上訴え出るところはありませんか?」「そうだねえ、もし館長の許可があればいいんだけど。館長の部屋はポールのはしっこだよ。」そこでシートンは大英図書館の館長に面会し、直々に頼み込むんですね。しかしそこでも断られます。「あのぉ、これ以上お願いしてみるところはありませんか?規則に縛られないシーザーみたいな偉い人はいませんか?」館長はその言葉に思わず顔がほころんでとんでもないことを言うんですね。「大英図書館の評議員の命令があれば別だけどな。」「評議員って誰ですか?」「プリンス・オブ・ウェールズ殿下、カンタベリー司教、イギリス総理大臣のビーコンスフィールド。この三人だよ。」この三人は簡単には近づけない人達ばかりですね。
しかしシートンは諦めずにこの三人に手紙を書くんです。いったいどうなったでしょう。何と三人から返事が来たんですね。「あなたが入館できるように私は命令を下した。」しかもその手紙には今回だけではなく、一生涯自由に書庫に出入りできる特別許可証が添えられていたのです。歴史と伝統で未成年者をはねつけてきた大英図書館にシートンはなぜ自由に入ることが出来たのですか。権威ある仲介者のとりなしがあったからです。同じように神に近付くにあたって神は権威ある仲介者をたててくださいました。それが人として来られたイエス・キリストなのです。
究極の救いをもたらすイエスの十字架と復活
第三にキリストは私たちの贖いの代価としてご自身を十字架につけ、命を与えてくださいました。
シートンが図書館に入れなかったのは二十歳に達していなかったからです。と言うことはあと二年待てば自然に入ることが出来たんですね。しかし私たちが唯一の神のもとに近付くためには、どれだけ時間をかけても行くことが出来ないという理由があるんです。それは年齢の問題ではありません。神の義に達していないからです。神という方は聖く、正しく、正義なる方です。罪が大嫌いです。罪あるものはそのままでは神の前に立つことができないのです。なぜなら正義の神は罪を見逃すことが出来ないからです。もし罪を見逃したりするなら、それはもはや正義の名に値しません。神は必ず罪を裁く方なのです。しかし、それでは私たちは全員地獄行きになってしまいます。そこで神は私たち罪人を裁く代わりに、全く罪のないイエス・キリストを私たちの身代わりにあの十字架の上で裁いてくださったのです。キリストは全ての人の贖いの代価として二千年前あの十字架の上でご自身をお与えになったのです。そして死後三日目によみがえらされ、今は天においてあなたが救いを受け入れるよう、キリストを受け入れるよう力を尽くして祈っておられる方なのです。
どうぞあなたもイエス・キリストを受け入れて永遠の命をいただいてください。心からお勧めしたいと思います。