新約聖書
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
(ヨハネの福音書3:16)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.600 2011年9月25日

「滅びの道と永遠の命への道」

おはようございます。尼川匡志です!

 先日あるアメリカ映画の話を聞きました。映画のタイトルは「コンヴィクション」。コンヴィクションとは《有罪判決》という意味だそうです。簡単にストーリーを紹介します。ある時一人の男が殺人容疑で逮捕されました。彼には全く身に覚えがありません。しかし、裁判の結果はなんと終身刑。彼は無罪を主張しますが、誰も彼のいう言葉に耳を傾ける人はいませんでした。ただ彼の妹だけは兄の言葉を信じるのです。

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 妹はその時、高校を中退しウェートレスをしながら子育てをする、ごくごく平凡な主婦でした。彼女には、兄の無実を証明する為の裁判を起こすだけの高額な費用はとてもありませんでした。その時彼女は一つの決心をします。それは自分の手で兄の無実をはらす、というものです。彼女は高校に入り直し、大学で司法の勉強をし、10数年かけてなんと弁護士資格を取るのです。そしてもう一度兄の事件を一つ一つ徹底的に洗い直し初めます。昔にはなかったDNA鑑定を用い、またかつての証言者たちの偽証をあばいていくのです。18年の後、ついに逆転の判決が出ます。「兄は無罪」となりました。
 淡々とした中にも力のある映画だそうです。なぜこの映画には力があるのかといえば、それはこれが作り話ではなく、実際にあった事実に基づいたものだからです。彼女はなぜ自分の人生をかけて、誰もが不可能と思うようなことができたのでしょうか?その根底に流れるものは、兄への深い愛です。愛ゆえに彼女は不可能を可能にしたのです。
 さて、聖書の中にこのような言葉があります。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じるものが、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」

聖書メッセージの中心とは?

 この聖書の言葉は「福音」のエッセンスとも呼ばれていて、聖書全体の中でも、とても大切な言葉です。この言葉は二つの文章から出来ています。
 一つめは「神は実にそのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された」という文章です。聖書は「神」がおられると語ります。この「神」とはどういう存在なのでしょうか?すべてを造られた方なんです。この宇宙も、地球も、すべての生命体も、そしてあなたも私もです。私達はたまたま出来てしまった存在ではないんですね。この「神」が目的を持ってこの世界に生み出した大切な存在だというのです。誰ひとり必要のない人はいません。この事実はとても重要です。勉強ができてもできなくても、運動ができてもできなくても、特別な才能が有っても無くても、仕事が出来なく、歌や絵が下手で、泣き虫で、意志が弱くて、人前が苦手で、あがり症で、不器用で、でもそんな事は一切関係ありません。全ての人は必要な存在なのです。なぜでしょうか「神は世を愛された」ということです。この「世」とは全ての人を指しています。つまりこの世界に生まれてきた人、全員を神は愛しているというのです。価値があるというのです。神はすべての人を愛しています。何が出来るかは関係ないのです。なぜなら神は全ての人間を造り、全ての人を愛している、全ての人の神だからです。

人間の本質と神の愛

 さて、どれくらい愛しておられるのでしょうか?「ひとり子(=つまりイエス・キリスト)をお与えになったほど」にというのです。残念ながら私達人間は神さまの前に全員が「罪人」です。神は人間を造られた時に「神中心」に生きるように造られました。ですが人間は「自己中心」になってしまいました。この世界の犯罪、人のお金を取ったり、他人の権利を奪ったり、騙したり、暴行したり、殺したり、これらの犯罪の源は全て「自己中心」です。国と国、民族と民族、人と人とが対立し争う原因は何でしょうか?「自己中心」です。そしてこの「自己中心」の事を聖書は「罪」というのです。私達人間は全て「罪人」なのです。この人間の持つ「罪」を取り除くために神が人となって私達の住む世界に来られました。それがイエス・キリストです。

イエスの十字架の意味

 「罪」は「借金」とよく似ています。時が来れば清算しなければなりません。しかし人間は神に対して「罪の清算」をすることはできないんです。差し出すものが何もないのです。その清算を私たち人間に代わって、たった一人で完了されたのが、イエスの十字架です。イエスは十字架の上で叫ばれました「完了した」と。これは「罪の清算は終わったのだ」という意味の言葉なのです。これがイエスの十字架です。「ひとり子をお与えになったほどに」とはこういう意味なのです。

永遠のいのちをもたらすもの

 二つめの文章はこうです。「それは御子を信じるものが、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」さて、聖書は私達の前には二つの道があると言います。一つは「滅びの道」です。そしてもう一つは「永遠のいのち」への道です。全ての人に全く平等に起こる事、それは「死」です。そしてその向こうには二つの道があると聖書はいうのです。一つは「滅び」、神の恵みも愛も全く届くことのない世界です。そしてもう一つが「天国」といわれている所です。神の愛と恵みに溢れる世界です。天国で生きる事ができる命の事を「永遠のいのち」といいます。
 人間は死んで終わりではありません。「死」の向こうにも希望はあるのです。それが「天国」です。「滅び」と「天国」とあなたはどちらをお選びになりますか?もちろん「天国」でしょう。ではどうすればいいのでしょうか?それが御子を信じるということなのです。イエスを信じるという事は、イエスが私達の「罪の清算」をしてくださったという事実を信じるという事なのです。イエスの「罪の清算」を自分のものとすることです。

神からのプレゼントを受け取る幸い

 冒頭に話した妹は人生の多くの時間を使って兄の無実を勝ち取りました。しかしあなたを心から愛しておられる神は、ひとり子イエス・キリストを十字架にかけて処刑する事で、あなたをの「罪の清算」を完了してくださったのです。あなたがその事を信じ受け入れ、自分のものとして神からのこの贈り物を素直に受ける時、あなたは「永遠のいのち」を持つ事が出来るのです。これが神の約束です。「御子を信じるものが永遠のいのちを持つためである」と書いてあります。あなたを愛してくださるゆえに神が送って下さったこのプレゼントを受け取って下さい。間違っても「滅び」の道を選ばないでください。決心してくださる事をお勧めしたいと思います。

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