新約聖書
「『どくろ』と呼ばれている所に来ると、そこで彼らは、イエスと犯罪人とを十字架につけた。犯罪人のひとりは右に、ひとりは左に。そのとき、イエスはこう言われた。『父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。』彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。」
(ルカの福音書23:33,34)

Default Text

「聖書と福音」高原剛一郎

No.595 2011年8月21日

「丘の上に立てるイエスの十字架」

おはようございます。高原剛一郎です!

 暑さが続く毎日ですがお元気ですか。夏場の熱中症を防ぐためには、こまめに水分補給することがコツだそうです。ところでこの水分補給について先日衝撃的なデータが発表されました。何とカロリーゼロ飲料を飲むと太ると言うのです。

カット

 アメリカ糖尿病学会の発表によると、カロリーゼロをうたったダイエット飲料を一日二本以上飲んでいる人は飲んでいない人に比べてウエストサイズが6cmも増えていると言うのです。実は巷に出回っているカロリーゼロとかカロリーオフの清涼飲料の中には人工甘味料が入っているのです。代表的な物がアスパルテームとスクラロールというものです。これは舌には甘い味がするんですが砂糖のような炭水化物ではありません。したがって栄養にならないんですね。カロリーを摂取することにはなりませんのでいくら飲んでも太らない、大丈夫と思われていたんです。
 ところで人はどうして太るんでしょう。膵臓の出すインスリンが余分なカロリーを脂肪に変えてしまうんですね。この膵臓には甘みを感じる受容体があって甘いものを取るとインスリンを分泌します。ところが膵臓は人工甘味料にも反応するということが分かってきたんです。飲んでるものにカロリーがなくても体内ではインスリンがばんばん出ます。すると取り入れたカロリーは片っ端から脂肪として蓄積されていくっていうんですね。ダイエットのために良かれと思って取り入れている物が実はダイエットの邪魔をしてるって言うんですね。いいと思ってやったことが問題を引き起こすとしたらやり切れませんね。

最悪の問題を最善のものに変える神

 しかし、聖書の中にはこれと正反対のことについても書いてあるのです。すなわち人間が引き起こした最悪の問題を最善のものに変えてしまう神様の業について語られているのです。それはキリストの十字架による救いです。人類が救い主に対して企てた最悪の処刑を神は人類の罪の最終処分場としてくださったのです。
 今から二千年ほど前、イスラエルのエルサレム郊外、ゴルゴダの丘に三人の人が十字架処刑にされました。中央にはイエス・キリスト、その左右には二人の犯罪人がはりつけにされていました。彼らは同じ場所、同じ時間、同じ死刑を受けました。しかしその反応はそれぞれに全く違ったものであったのです。第一の人は十字架の上で怒り狂いながら死んだ人です。彼は人生を呪い、過去を呪い、今の現状を呪い、未来を呪い、そしてキリストを呪って死んだ人です。

怒りをもたらす原因とは

 ところでどうして彼はここでこんなにも怒り狂って叫ぶんでしょう。ある方は言いました。怒りとは感情のふたである。そのふたの下にはさまざまな感情が押し込められている。その押し込められた感情が爆発したものが怒りなんだって言うんですね。まあ私たちも日常生活でとても不愉快な気持ちになって怒りの感情が湧いて来ることがありますね。「あいつは友達だと思ってたけどおれの事全く分かっとらん!もうあいつには相談せん!」とか、「上司は偉そうに命令ばっかりして、自分だけ毎日定時で退社しやがって、こっちは毎晩あんたの命令で残業続きである!」とか、「どうしてこの人は私という人がいながら浮気をするんだろう。考えられない!耐えられない!」とかいずれも怒りの感情です。そしてこの三つの感情の言葉を一言ずつで言い表すなら分かってくれない、助けてくれない、愛してくれないことへの欲求不満なのです。

変わらぬ愛を求め続ける人間

 人間は誰からも分かってもらえず、だれからも助けてもらえず、だれからも愛されないとするなら最後は怒り始めるのです。しかし自分が期待したように分かってくれる人、助けてくれる存在、愛してくれる方など人間の中にはいないんですね。それにもかかわらずそれを求めずにおれないように人間は人格的に造られているんです。たとい分かってもらえるだけの価値あることをしてこなかったとしても、助けてもらえるような生き方をしてこなかったとしても、愛される価値がなかったとしても、それを求めてやまないのが人間なのです。その欲求を真に満たす方は神だけです。この神を否定した人の代表がこの第一の人なのです。それは満たされないで怒りながら人生を閉じる人なのです。

自ら死を選ばれたキリスト

 第二の人は人のために祈り執り成しながら満足して死んだイエス・キリストです。
 私は先月東北地方までボランティアに出掛けました。津波の被害を受けた家から泥のかき出しをするために行ったのです。現場に着いてみるとそこには日本人だけではなくアフリカやシンガポールや韓国からもボランティアの方々が駆けつけていました。ところで仮にあなたが日雇い労働者だったとします。一日中炎天下でがれきとハエと悪臭にまみれながら一度もやったことのない肉体労働をし、ようやく長い一日が終わります。ところが雇い主から一銭も支払いがなかったならばどうなさいますか。多分怒るでしょう。抗議するでしょう。あるいは友人と組んで暴動になるかもしれませんね。ところがボランティアの人たちはもちろん一銭の支払いも受け取りません。しかし皆実に爽やかな笑顔で一日を終えるのです。なぜでしょう。やらされたのではなく自分でしたいと思ってしてるからです。

キリストの十字架と復活の意味

 キリストは何一つ悪いことをしなかった方です。いや良いことしかなさらなかった方です。その方が十字架に架けられた時、全身が引き裂かれながらこの方の口から出てきたのは祈りでありました。「父よ。彼らを赦してください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」とキリストは祈ってくださったのです。なぜ理不尽の極みを味わいながらキリストには怒りがないのでしょう。キリストはこの執り成しの祈りとご自分の命を捧げるために自ら進んで十字架に架かった方であるからです。キリストにとって十字架は押しつけられたものではありませんでした。それは自ら望んで選び取った死に方であったのです。ですからキリストは十字架に架けられたのではなく自らかかりに行ったのです。なぜでしょう。あなたのすべての罪の裁きを身代りに引き受けるためです。そして死後三日目の復活によって死を滅ぼすためなのです。

死後の裁きからの解放

 第三の人は十字架の上で考えを変え、キリストを救い主として信じて死んだ人です。彼は言いました。「イエスさま。あなたが御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」御国の位に着くというのは天国の王座に着座するという意味なんですね。イエス様あなたこそ私の王様ですと彼は信仰告白したのです。
 一体、息を引き取る直前、どうして死刑に値するようなことをやってきた彼がこのような考えに変わったんでしょう。どんなにひどい罪人にも赦される道があると知ったからです。キリストによる赦しを知ったので悔い改めが生じたのです。神はあなたにも死後の裁きから逃れるチャンスを与えておられます。どうぞキリストをご自分の救い主として信じ受け入れてください。心からお勧めしたいと思います。

コーヒーカップ
時計
MILANの消しゴム