旧約聖書
「神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」
(創世記1:27)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.592 2011年7月24日

「永遠の世界で自分をはかる」

おはようございます。三綿直人です!

 先日、回復ということをテーマにしている本を読みました。その中にこんな話が載っていて考えさせられたのです。あるお父さんが日曜日の休日、家でゴロゴロしていると小学生の息子さんが「お父さん遊んで!」とやってきました。お父さんは仕事で大変疲れていたので適当にいなしていたのですが、あまりにしつこくせがむので新聞に載っていた世界地図をバラバラに切り裂いて「この世界地図を元通りに出来たら遊んであげよう」と言ったのです。

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 するとものの15分もかからないうちに「お父さん出来たよ!」と貼り付けた世界地図を持って来るではありませんか。お父さんはびっくりして「どうしてこんなに早くできたんだい?」と聞きました。すると息子はこう答えたんです。「うん、実はねこの世界地図の裏に人の顔写真が載ってたんだよ。それで人の顔が回復するように貼り付けていったらすぐに出来ちゃったんだ」。

世界の回復と人間の回復

 この話を通して私は二つのことを考えさせられました。一つ目は世界の回復はそれを構成している人間の回復に先立つことはないということです。この少年が人の顔を元に戻せたら世界地図が回復していたというのは示唆に富んでいます。私たちの世界は多くの問題を抱えています。人口増加に伴う食糧問題、エネルギー問題、それに伴う民族紛争。あげればきりがありません。世界史は平和の歴史ではなく戦争の歴史です。一致を求めていますが分裂の繰り返しです。どうしてでしょう。世界の回復は人間の回復無くしてないからです。

青写真がなければ回復出来ない

 二つ目は私たちが回復を求めるなら青写真がなければ回復出来ないということです。もし少年が世界地図の面のみを見て回復させようとしたらばそれは出来なかったことでしょう。もしくは多くの時間がかかったに違いありません。では私たちの人間のあるべき姿、青写真、ブループリントはどこにあるのでしょう。もし学校で習った進化論をベースに考えればそれは難しくなります。あるべき姿、ブループリントが単細胞生物になってしまうからです。それは回復ではなく退化です。希望を失わせるものです。聖書はなんと言ってるでしょう。創世記1章27節にこのように書かれています。

「神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」

創造主が意図された人間の理想の姿

 ここから人間のあるべき姿、デザインを二つのポイントで考えてみましょう。まず第一に多様性です。男と女とに人は創造されました。神が初めから人を男と女とに創造したというのは単に性別が二種類ということにとどまらないと思います。すなわち人間に多様性があること、そして違いがあるからこそ人はお互いに引き合うように、お互いを尊重するように造られているということなんです。人はみんな違うのでみんないい。神様は多様性、個性を愛する方です。そしてそのように人をお造りになったのです。二番目に人のあるべき姿、デザイン、その特徴は一体性です。同じ創世記2章24節にこのように書かれています。

「それゆえ男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。」

私たちを回復させるために来られたイエス

 それぞれが多様性に富んで個性に富んでいる人が互いに必要としていることを確認して、関係が結び合わされていくことによって人生が豊かにされていくと聖書は教えているんです。人は決して個人だけでは完結しないように人と人とが結び合わされて一体感を味わっていくように造られているのです。複数の人が結び合わされることによって表される麗しさがあるんです。このように人は多様性に富み、また一体感を味わうようにデザインされていますが、私たちは自己中心の罪の性質の故に自分と違うものを排除しまた自分と同じ一体性を感じないものを取り除いていくという悪い性質に悩んでいます。私たち人間はこのように素晴らしく造られた神様の元を離れた時から本来味わうべきデザイン、特徴、麗しさを味わえなくなってしまったのです。しかしそのような私たちを回復させるためにイエス・キリストという方がこの地上に来てくださいました。この方はあるべき姿をご存じであり、私たちをそこに回復させる愛をお持ちの方であります。

すべてを受け入れ結びあわされることの幸い

 先日私は長野県にあるホテルのレストランで朝食を食べ、食後にコーヒーを飲みながら講演の最終準備をしていました。すると隣の席に初老の夫婦がお座りになられたのです。奥様の方は壁に据え付けのソファー、テーブルを挟んでご主人は椅子に座られました。ご主人は見るからに柔和そうでご夫人も気品がある顔立ちでその全体の雰囲気から裕福なご夫婦であることが推測できました。しかし、しばらくして私のその夫婦への良いイメージはガラガラと崩れ去ったのです。と言うのもこの奥様がずっとご主人に文句を言ってるんです。「あなたこのホテルは自分で朝食を取に行かないといけないの?面倒だわね。」「じゃあ僕がとって来るよ。」「あなた私がポテト嫌いなの知ってるでしょ。どうして取って来るの?」「いや僕が食べたくてね。」「私はこのポテトの臭いが嫌なのよ。あなたこのヨーグルト何にもかかってないけどどうやって食べろって言うのよ。」ホテルの人はあわててブルーベリーソースを取りに行って戻って来ました。奥さまはまた続けてご主人にこう言っていました。「あなたがそんなだから息子は離婚するのよ。」

一緒に人生を歩むことの喜び

 私はこの夫婦の会話が嫌でも耳に入ってきて大変不愉快になりました。この柔和そうにうんうんと奥様に答えているご主人に対して、しからなければいけない時はしからなあかんで!とそんなふうに思ったんです。お二人の朝食が終わりました。奥様が立ち上がって出口と反対方向に向かって歩き出しました。「そっちじゃないんだ。出口はこっちだよ」。すると奥様はまた「離して!あなたはどうしていつもそうなの!」と叫ぶんです。
 私はその時やっと分かりました。この奥様はアルツハイマー病の初期段階だなと。私の祖母もアルツハイマー病を患って亡くなったのでよく分かりました。そして私が心の中で持っていた複雑な感情を恥ずかしく思ったのです。このご主人は奥様に対して怒っておられませんでした。私がこの奥様に腹を立てたのはこの奥様と私は何の関係もないからです。でもこのご主人はこの奥様とずっと一緒に人生を歩んで来られて奥様の個性を尊重し、奥様と結び合わされることの喜びをよく知っていたのです。ですからずっと寄り添っておられたんです。

常に寄り添ってくださる神

 このお二人を通して、私は私と神様の関係を思い出しました。私は神様を忘れていた、私は神様を知らなかった、でも神様は私を愛し私のためにずっと寄り添ってくださっていたのです。イエス・キリストはその神の愛を私たちに伝えるためにこの地上に来てくださいました。私たちをお造りになった生ける真の神様、救い主が私たちを本来あるべき姿に回復させるためにずっと語りかけておられるのです。それが聖書のメッセージです。この聖書の中から生ける真の神様の愛をお知りになられて神様に立ち返ってください。

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