新約聖書
「罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。」
(ローマ人への手紙8:34)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.589 2011年7月10日

「闇に輝く明けの明星キリスト」

おはようございます。高原剛一郎です!

 先日私はハワイ島のマウナケア山に登ってきました。ここには日本が世界に誇る天文台すばるがあるんです。すばるだけではありません。世界中から13のハイテク天文台が集まる天体観測所銀座なんですね。実際に行ってみて本当にびっくりしました。私は星というのは上を見上げて見るものだとばかり思っていたんです。ところがこの山の上に立つと前を向いても横を見てもそのまま正面に星が見えるんです。首をのけぞらさなくても星に取り囲まれているんですね。さらに前方には北斗七星があるのに後ろを振り返ると南半球でしか見ることができない南十字星が輝いているんです。一つ難点を言うならあまりにも星が多すぎて星座が分からなくなる程だということです。どうしてここではこんなにも星がたくさん見えるんでしょう。

カット

 第一に標高4,505m、富士山よりも500m程も高いので星をさえぎる雲がないんですね。第二に湿度が1%で風向きはほぼ一定のために大気の揺らぎがないんです。かげろう現象が起きないんですね。第三にこれが決定的なことなんですが、ハワイ島というのは太平洋のど真ん中にあって周りに照明を発するものがないんです。陸あるところには人が住み、人が住むところには明かりがともされますね。人間の生活にとっては大切なこの明かりが天体観測においては妨げになる、まさに漆黒の夜という状態になったときに、弱い光しか出さない星までもがはっきりくっきりと見えてくるんです。闇の中に身を置くことが、かなたの光を観測するための秘訣となるのです。


キリストがもたらした素晴らしいニュースとは

 私は先月三人の友人を亡くしました。三人ともクリスチャンの方です。それで葬儀に立ち会いました。友をこの世で亡くすことは本当に寂しいことです。しかしこの悲しい暗闇を通してかえって普段は見落とされている福音の輝きを味わったように思ったのです。福音とはキリストによってもたらされた素晴らしい喜びのニュースのことです。ではキリストは私たちのために何をしてくださったのでしょう。聖書にこう書いてあります。

「罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。」

キリストの身代わりの死

 ここにはキリストがしてくださった三つのことが記されています。
 第一にキリストは私たちが罪に定められることがないために死んでくださったということです。私たちには罪がないとは書いてません。罪に定められることがないというのです。過去にどんな罪、どんな犯罪、どんな悪行のあった人も神から罪に定められることがない。それはキリストが代わりに罪の刑罰を引き受けて死んでくださったからだというのです。キリストがあなたのためにあなたの罪の償いをしてくださったというのです。クリスチャンとはこの歴史的事実を私のための贖いだと受け入れた人のことです。

人生で最も悲しい愛する人との死別

 私は人生の中で最も悲しいことは何かと問われるなら愛する人との死別だと答えます。これはいくら死別をテーマにしたドラマや映画で見ていても分かりません。経験するまでは絶対に分からない別世界の悲しみです。これを体験すると世界の見え方がまるで別のものになります。あまりの悲しさ苦しさに身の置き場がなくなりそうです。しかし私は愛する者との死別の悲しみが分かれば分かるほど神の愛が迫ってくるのです。なぜなら神もまた一度ご自分の愛する一人子イエス・キリストを死に渡されたからです。こんなにも苦しい辛い悲しい痛みを神もまた経験しておられるのです。いやこんなに苦しい痛ましい思いを経験する必要は神にはありませんでした。しかしそんな思いをしてでもキリストを十字架の上で裁かれたのはあなたの罪を償うためだったのです。ここに神の愛が表されているのです。これを闇の中に輝く光と言わずして何と言うでしょう。

復活によって死を突き破られた方

  第二にキリストは死んでくださった方、いやよみがえられた方なのです。死後三日目に復活することによって死を滅ぼしてくださった方なのです。クリスチャンのお葬式のことを召天記念式と言います。この式ではやたらと歌を歌うんですね。しかもそれは何となく心楽しい讃美歌なのです。死んだ人を弔う式の中で楽しげな歌を歌うなんて人間的に見たら失礼だとは思いませんか。どうして遺族の前で歌を歌うんでしょう。キリストがよみがえったからです。キリストが死を滅ぼしてよみがえった以上、キリストを信じた人が永遠に死に閉じ込められていることなどありえないことです。やがてキリストはまた来ます。天から来るのです。その時キリストを信じて亡くなった人は皆新しい体によみがえらされて天へ連れ帰られるのです。その予告編こそはキリストの復活だったのです。クリスチャンにとって死は一時的現象です。永久のものではありません。死んだ魂は直ちに天国に帰りますが肉体もキリストの再臨の時によみがえるのです。召天記念式はその前祝いみたいなものなのです。

私たちを見守り続けてくださる方

 第三に私たちのために執り成し続けている方それがイエス・キリストなのです。キリストは天で今何をなさっているんでしょう。私たちのために執り成しの祈りを捧げています。正確に執り成すためにこの地上で私たちが遭遇するあらゆる問題についてこの方はじーっと見守り、注目し、理解している方です。あなたの人生にとってキリストの目に隠れているものなんか一つもありません。キリストがあなたのために日々、毎瞬間、毎瞬間、神に立ち返るようにと祈り続けておられるのです。そしてあなたがキリストを信じた瞬間からあなたを神の子にし、あなたが息を引き取る瞬間まで見守り続けてくださるのです。

すべてを用意し私を待っておられる方

  アメリカの有名なキリスト伝道者にジョン・トッドという人がいました。彼はバーモント州の子だくさんの家に生まれましたが、まだ幼かった頃両親が亡くなったのです。一人の裕福な親類のおばさんが彼を引き取ろうと申し出てくれました。彼女は、まだ6歳だったジョンを迎えるためにわざわざ1頭の馬と話しの上手な召し使いを遣わしました。屋敷へ行く途中召し使いは緊張するジョンを励まし続けたのです。やがて屋敷に近付くと深夜にもかかわらず一部屋明かりがともっています。「坊ちゃん、奥さまが寝ないで待っておられるんですよ。」このおばさんがジョンの母親代わりになり、彼に第二の我が家を与え、やがて彼は良き教育を受け著名な伝道者となったのです。

天ですべてを用意して待っておられる方

 後年このおばさんが体調を崩し死を迎えるのも間近くなりました。彼女は不安の中で正直にジョンに聞いたのです。「私はこれからどうなるんでしょう。わが救い主イエス様は私を守ってくださるでしょうか。」ジョンは答えました。「私があなたの家に着く前にあなたはすべてを用意して寝ずに待っていてくださいましたね。今はイエス様があなたのために天ですべてを用意して待っておられるのです。あなたは待ち望まれているのですよ。」と。
 あなたはいかがですか。イエス様を救い主となさいましたか。もしまだならどうぞイエス・キリストを信じてください。心からお勧めしたいと思います。

※本文中の太字は聖書のことば

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