旧約聖書
「空のこうのとりも、自分の季節を知っており、山鳩、つばめ、つるも、自分の帰る時を守るのに、わたしの民は主の定めを知らない。」
(エレミヤ書8:7)

Default Text

「聖書と福音」高原剛一郎

No.588 2011年7月3日

「人間の帰巣本能は?」

おはようございます。高原剛一郎です!

 先日私は東京神田の神保町にあるミロンガという喫茶店に行きました。ここは知る人ぞ知る店なんです。いったい何で有名なんでしょう。実は三島由紀夫を初めとする昭和の文豪大作家たちが入りびたっていた店なんですね。私は打ち合わせのために地図を頼りに行ったんですが10分ほど遅刻してしまいました。と言うのは目印になるコンビニがなくなってたんですね。それで少し迷ってしまったんです。あなたはいかがでしょうか。生まれて初めての場所に行くときには、時に迷うことがあるのではないでしょうか。

カット

 ところが自然界には一度も訪れたことのない訪問地に案内役も地図もなしにどんぴしゃりでたどり着ける生き物がたくさんいるんですね。その一つにオオカバマダラという蝶々がいます。春になるとオオカバマダラのメスはアメリカの南部からカナダまで片道1500キロの旅に出るんですそれはカナダで卵を生むためなんです。メスは卵を産み付けるとすぐに死んでしまいます。この卵からかえった幼虫は秋になるとかつて母親がいたアメリカの南部に迷うことなく帰って行くんですね。母親は皆死んでいるんですからこの蝶々の群れの中に目的地を知っているものは一匹もいません。ところが数万の大軍が迷うことなく目的地に戻るんです。

プログラマーの存在を想定する

 これは学習によって得た知識ではありません。蝶の本能の中に書き込まれているものです。そのようなプログラムが蝶の本能の中にインストールされているんですね。プログラムがあるというならプログラマーがいるはずです。このプログラマーの存在を想定しない限りこのような不思議を説明することはできません。このプログラマーを聖書は創造主というのです。

調べれば調べるほど不思議

 さらに不思議なことがあります。実はこの蝶は特定の植物にしか卵を産み付けないんです。その植物の名前は唐綿といいます。ところで卵からかえった幼虫は皆いっせいに同じ行動をとります。何と葉っぱの真ん中をくり抜いて食べるんですね。昔食パンを真ん中だけ食べるというわがままな子がいましたね。二つに折ってかぶりつくとちょうど円盤状の穴が開くんですよね。しかし二つに折らないままで真ん中だけくり抜いて食べるのは難しいですよ。虫だって同じなんです。端っこからかぶりつく方が食べやすいのにわざわざ真ん中をくり抜いたものを食べるんですね。なぜでしょう。

見事なプログラムにすぐれたプログラマー

 実はこの植物は有毒植物なんです。特にかじられたり、切り取られたりするとその傷口のところに全身の毒を送り込んで身を守るんです。ところがこの蝶の幼虫は円形にくり抜いた部分だけを食べるので初めからその部分にあった薄い毒だけを体に取り入れることになるんです。その結果幼虫は毒に対する耐性を持ちます。要するに免疫力を付けて毒に負けない体質になるんですね。そういう風にしてから片っ端から葉っぱを食べるんですがいくら食べても毒にやられることはないんです。

誰が賢いプログラムを植え付けたのか

 最初の一口で薄い毒を取り入れて耐性を身につけてから大量に食べる、このやり方をどうして卵からかえったばかりの幼虫が知ってるんでしょう。誰にも教わらないのにどこでマスターしたんでしょう。幼虫の中にプログラムされているからとしか説明できないんですね。であれば誰がこのように賢いプログラムを植え付けたんでしょう。そのようなプログラムを植え付けている存在なしにこの幼虫の行動パターンを説明することはできないんです。
 ちなみにこの毒性植物を取り入れるために蝶々自身が毒性昆虫になります。それで鳥はこの蝶々を食べないんですね。遠距離飛行をするのに彼らが鳥の餌食にならないのはこの唐綿の毒のおかげなんです。なんてうまくできてるんじゃないでしょうか。

想像を超えた見事な配慮

 その上もう一つすごいことがあります。実はオオカバマダラが唐綿の蜜を吸うために足をかける花びらの場所に花粉のいっぱい入ったカゴがあるんですね。このカゴの取っ手にかっちりとはまるフックが蝶の足に付いてるんです。ですから蝶は蜜を吸うために花びらにとまるたびに大量の花粉バッグをひっかけるようになるんですね。これまた何とうまく造られてるのではありませんか。進化論によると植物が登場してから昆虫が生まれるのは何億年もあとです。もし何億年も昆虫が存在しない期間があれば植物は全滅してしまうのです。いや何億年どころかワンシーズンでも受粉が失敗すれば子孫を残せないのです。

進化論は一つの仮説に過ぎない

 私たちは学校教育の中でこの世界は進化によってできた、進化によって発達して今日に至っていると教え込まれてきました。何十億年もかけて命のない世界に命が芽生えそれが様々な環境変化に順応しながらまったく別の種類の生物に姿を変えてきたと説明を受けてきたのです。しかし今日どんなに実験を繰り返しても命は命からしか生まれません。命のないものが生命体になることを再現できた実験はたった一つもありません。また生物が別の生物になることを再現できた実験もたった一回もないのです。

全てのものは神によって造られた

 聖書は全てのものは神によって造られたと宣言しているのです。この世界には作者がおられるのです。作者は作品に対して愛情を持っています。意図を持って作品をお造りになるのです。その作品を通して作者のメッセージを表したいと願っておられるのです。この世界の作者を認めるというのは何ら滑稽な考えではありません。むしろ合理的なことです。なぜならこの世界はシステムとして見事に設計されているからです。
 さて聖書の中にこんな言葉があります。

「空のこうのとりも、自分の季節を知っており、山鳩、つばめ、つるも、自分の帰る時を守るのに、わたしの民は主の定めを知らない。」

私のいのちに関わる重要な問題

 渡り鳥が目的地を間違って飛んでいったり、飛び立つタイミングを間違ってしまったら、これは命にかかわることになります。種族が絶滅してしまいます。ですから自然界の中で帰巣本能のある動物は何は無くても帰るべき場所、帰るべき時をきっちりと正確に守るのです。それは彼らの本能の中にしっかりと焼きこまれているのです。

魂のルーツに戻る最高の道

 私たち人間はどうでしょう。いやあなたはいかがですか。魂の奥深い所にある声は自分の魂のルーツに戻るべきだと語ってはいませんか。神は確かにおられます。あなたの作者は確かに実在しておられるのです。そして私たちが神様をはっきりと知り、立ち返ることができるために神はキリストを遣わしてくださったのです。どうぞあなたもイエス・キリストによってご自分のルーツ、あなたの造り主のもとに立ち返ってください。心からお勧めしたいと思います。


※本文中の太字は聖書のことば

コーヒーカップ
時計
MILANの消しゴム