新約聖書
「私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。…しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」
(ローマ人への手紙5:6,8)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.586 2011年6月19日

「不敬虔なものを愛したキリスト」

おはようございます。高原剛一郎です!

 私は先日、児童福祉施設にいる女の子が書いた詩を読みました。こんな詩です。「どんな顔してるのお母さん きれいで優しい顔かなあ でもそんなことどうでもいいの みにくくてもいい きらいな顔でもいい 悪い人でもかまわない 顔を見せに来て 今すぐに」

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 健気さに切なくなりますね。同時に何かしら感動するんです。恐らくそれは大人になるとなかなか言えないことを正直に訴えてるからだと思うんです。それは私を愛してください、私を守ってくれる人と私は出会いたい、信頼できる人とつながりたいという人間誰もが持っている欲求をありのままに告白しているからだと思います。

臨床心理士カール・ロジャーズ

 ところで現在のカウンセリングの基礎を築きあげた人物にカール・ロジャーズというアメリカの臨床心理士がいます。20世紀最も世界に影響を与えた心理学者と言われるほどの人物です。彼はこう言ってるんですね。「人が本当に必要としている最も大切なものは人に受け入れられ愛されることだ。人は他の誰かに無条件に受け入れてもらうという体験によって成長するのだ。」ところが彼自身は人から無条件に受け入れられ愛されたという経験が得られない生涯だったようです。成功の絶頂期にも強い不安から疾走し行方不明になってしまいます。彼は仕事でどれだけ成功しても自分が人に受け入れられたという実感が得られず、自分で自分自身を受け入れることができなかったのです。

本当の愛を経験できずに亡くなった

 その後、彼は世界的に認められ80歳以上の長寿を全うしますが、最後の最後まで性的依存にとらわれ、高齢になっても妻以外の女性との性的関係をやめることができませんでした。実は彼の両親はとっても厳格な人で優しさを子供に表わすのが苦手な人たちだったようです。道徳的な規則を押し付けるだけで彼自身が「ああ、愛されてるんだ!」と感じることはほとんどなかったと言われています。そしてその愛を埋め合わせようとしてひたすら愛されることを求めて生涯をさすらいます。しかし愛を性的な交わりにすり替えて最後まで本当の愛を経験できずに亡くなったようです。

実態ある愛の体現者イエス・キリスト

 世界的な心理学者で人がいかに本物の愛に飢え渇く、そしてその心のメカニズムを深く理解している人であったとしても、ご本人が実態ある愛と出会うことがなければ癒されることはないのです。私たちに必要なのは理論ではありません。実体のある愛の体現者が必要なのです。この実態ある愛の体現者こそは人となられた神イエス・キリストなのです。聖書はこう言っています。

「私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」

 私たちが普通、愛する相手とはどんな相手でしょう。私たちにとってプラスをもたらし、利益になり、魅力的で価値ある存在を愛するんだと思うんですね。ところがキリストは私たちが弱いくせに不敬虔で、そのうえ罪人であった時に私たちを愛するあまりご自分の命を投げ出してくださったのだというのです。私はその実例を十字架の場面に見るんです。

死を目の前にしても自己中心な人間

 実は十字架につけられたキリストの両隣りには札付きの犯罪人が同じように十字架につるされていたのです。彼らは刻々と体力を失い弱くなっていきます。そのくせ隣にいるキリストにうっぷんをぶっつけ、「お前がキリストだったら今すぐ俺たちを救ってみろ!」と不敬虔にもののしるのです。そのうえ自分のしたことを棚に上げ不都合なことをすべて運命や、世の中や、社会のせいにして自分を顧みようとしないのです。死を目の前にしてもとことん自己中心で手のつけられない者となっていました。

父よ。彼らをお赦しください。

 ところがキリストは誰からも同情されない彼らのために静かに祈り始めるのです。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」無実の罪をでっち上げられ、皆の笑いものになってるこの瞬間イエスはそれでも祈りを止めることができませんでした。この意表をついたとりなしの祈りに一人の犯罪人は生まれて初めて本当に自分のことを心配してくださる人を見て心が崩れ始めていくのです。

あなたたちのこと心から尊敬します

 今から51年前ノースカロライナ州のグリーンズボロに黒人だけの大学がありました。1960年2月1日この大学の4人の黒人学生が町のレストランへ行って白人専用席にどっかと座ったのです。当時アメリカでは白人と黒人は歩く歩道も、バスの座席も、水飲み場所も別々に分けられていたのです。このような人種差別に反対した4人の学生は抗議のためにわざと白人席に座ったのです。トラブルになるのは目に見えていました。案の定同じレストランにいた白人女性が彼らのことをちらちら、ちらちら見ているのです。いやな予感がしました。すると白人女性はすっと立ち上がってつかつかと彼らのテーブルのところまでやってきたのです。これから怒鳴りあいのけんかがあるんだと覚悟しながら彼らは息を殺して成り行きを見ました。するとこの白人女性は彼らの肩に手をまわして言ったんです。「私ね、あなたたちのこと心から尊敬します。」

意表をついた愛は人の心を溶かす

 その時の衝撃を4人のうちの一人フランクリン・マケインという人は何十年もたった後、とあるラジオで回想して言いました。「打ち砕かれました。偏見を持って見ていたのは私たちだと分かったからです。あの白人女性はきっと私たちを非難するために来たのだと思っていたのです。しかし実際は応援するために来てくれたのです。」意表をついた愛は人の心を溶かしますね。

神を見出した犯罪人たち

 あの十字架の犯罪人たちも同じです。皆からののしられ、あざけられ、十字架につるされていたイエス・キリストは、さぞ怒りと悔しさに胸がいっぱいになっているだろう、この人の口からは呪いが出てくるだろうと思っていたのに、口をついて出て来たのは私のために祈るとりなしの祈りでした。生まれて初めて自分の死後の運命を身を焼くような思いで心配してくれているイエスを見たとき、ここに神を見出したのです。

罪人だからこそキリストが必要

 どんなに弱くなっても、とことん不敬虔になっても、いかに罪人の生涯を歩んできたものであったとしても、それでも愛することをやめない存在をイエスの中に見たのです。いや神の前に弱く、不敬虔で、自力で自分を救えない罪人だからこそキリストが必要だということが分かったのです。あなたにもキリストが必要なのではありませんか。キリストはあなたの罪を背負い、あなたから罪を取り除き、代わりに赦しと救いと天国を与えてくださる方です。どうぞイエス・キリストを信じてください。心からお勧めしたいと思います。

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