新約聖書
「こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。」
(エペソ人への手紙3:17-19)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.583 2011年5月29日

「聖書は信頼できる情報か」

おはようございます。那須清志です!

 先日、友人のお見舞いに行きました。彼は医者から死の宣告を受けていたのです。家族、親族や知人、友人たちにお別れの挨拶までしました。ところが今は健康を持ち直し退院寸前です。一体何が起こったのでしょうか?医者を変えたのです。治療方法に疑問を持ち、他の人と相談する中で他の病院に移るように自分で手配していったというのです。転院すると間もなく、症状は劇的に良くなっていきました。まさに死の淵から生還したのです。以前の医者の指示に、彼は真面目に、素直に従っていました。でも良くなりませんでした。この場合、病気が治るかどうかは、素直さ、真面目といった彼の心のあり方とは関係なかったのです。彼に必要だったのは適切な治療をしてくれる医者でした。

必要なのは適切なアドバイス

 さて、人生の様々な問題にぶつかる時、私たちは同じような間違いをしてしまうことがあります。真剣でないから、自分が弱いから、しっかりしないから解決できない、と思ってしまうのです。確かに、いい加減よりは真剣の方がいいに決まっています。また弱いよりは強い方が自分に自信を持てるかもしれません。しかし、どれほど自分の心が整えられていたとしても、間違ったアドバイスに耳を傾けている限り展望は開かれないのです。創造主なる神は、自分の心の状態だけに捕えられていないで、まず聖書に目を留めよ、と言われます。聖書に次のように書いています。

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「神、その道は完全。主のみことばは純粋。主はすべて彼に身を避ける者の盾。」

聖書が信頼できる三つの観点

  ここで次のような疑問が出るかもしれません。「聖書のアドバイスに心を傾けても、それが間違っていたらどうするんだ」というものです。聖書は信頼しても大丈夫なのでしょうか。その情報は確かなのでしょうか。実は、私たちは普段からさまざまな情報を選んで生活しています。その情報が正しいか間違っているか、聞き流していいものか、心に留めておいたほうがいいかなどを、私たちは判断しているのです。今日は、信頼できる情報かどうかを判断する三つの観点から聖書について考えてみましょう。

広く受け入れられてきた聖書

 まず、「広さ」です。どれほど多くの人に広く受け入れられているかが、信頼できる情報かを調べる助けになるでしょう。みんなが読んでいる本を読みたいと思い、大人気という食べ物やグッズにみなさんも心をとめるのではないかと思います。
 さて、世界人口69億人のうち、24億人以上の人が聖書を信頼しています。また、ユダヤ教は旧約聖書を大切にしますし、イスラム教も旧約聖書から影響を受けているので、広い意味では世界人口の半分以上の人が聖書の影響を受けています。直接ではないものの聖書の影響が社会に深く浸透している場合もあります。

赤十字・赤新月・赤いダビデの星

 人道支援をする「赤十字社」という組織がありますね。世界中で活動しています。イスラムの国では十字架を連想する「赤い十字」ということばやマークを使わずに、新月の月のマークを使っています。名付けて「赤新月社」ユダヤ教のイスラエルでは、仕事は同じでもマークは「赤いダビデの星」です。その他、世界中で多くの病院、養護施設、幼稚園や学校などが聖書の考え方に基づいて作られてきました。このように人間がいかに生きるべきか、他の人々にどのようにしてあげるべきかを多くの人は聖書を通して学び、それを実践していったのです。

長い間受け入れられてきた聖書

 次に、その「長さ」です。長い間受け入れられてきた、ということでその情報が信頼できるか判断できるでしょう。一時的にブームになっても、長い間人々を捉えることができるものはそれほど多くはありません。
 50年ほどの前に「毛沢東語録」という本が10億冊以上作られました。でも、現在その本を熱心に読んでいる人はほとんどいないでしょう。では、私たちが手にしている聖書はいつごろできたのでしょうか。20年前でも、200年前でもありません。2000年前です。

2000年間保たれ続けた聖書

 明治維新の頃である150年ほど前でも当時の生活を想像するのは難しいことです。東京大学の前身である「大学南校(なんこう)」に下駄履きで、大小の刀を差して、英語の勉強に向かった記録が残っていますが、なかなかピンときませんね。この時代の人々も聖書に触れたのです。
 こうして聖書は2000年間保たれ続けました。それも手厚く保護されてきたのではなく、没収されたり、焼かれたりした中で生き残ってきたのです。特にここ200年は爆発的な勢いで世界の言葉に翻訳されていきました。毎日何億という人が読み、励まされ、慰めを受け、毎週日曜日になれば、至るところで聖書から話がなされているのです。

人類に深く影響を与えた聖書

 三番目は、その「深さ」です。どれほど個人や社会に深く影響を与えてきたかということを考えることです。広く長く受け入れられきて、自分も信頼しているけれども人生をひっくり返されるほどではない、という情報もありますね。
 例えば地球は丸くて、宇宙空間に浮いているということ。この情報をみんな受け入れていると思いますが、これによって生き方が変えられた、という人はみなさんの中にはいないと思います。しかし、聖書は違います。多くの人を広く、長く捕えただけでなく、深い影響を与えていったのです。

アメイジング・グレイス」という映画

  先日「アメイジング・グレイス」という映画が公開されました。奴隷貿易廃止のために奔走した国会議員ウィリアム・ウィルバーフォースを主人公とする実話を基にしたものです。
 そこに世界で最も有名な賛美歌「アメイジング・グレイス」の詩を書いたジョン・ニュートンが登場します。彼は元奴隷船の船長でした。アフリカからの3週間の航海中に半分の奴隷は死に、嵐にあったら船を軽くするために物のように奴隷を海に放り投げるという血も涙もないような男が、神の聖さと愛に打たれたのです。聖書との出会いは彼の人生を一変させ、教会で神の愛を語るものに変えられました。これはほんの一例にすぎません。

聖書の圧倒的スケール

 このように、私たちが普段あっさりと受けれいている情報に比べて、聖書は、はるかに信頼してもいい情報と言えるのではないでしょうか。確かに他にも「広く、長く、深く」人々に影響を与えたものもありますが、その度合いを一つ一つ考えてみると「聖書」の圧倒的なスケールに比べられるものはありません。

聖書の中で最も重要な情報とは

  では、この聖書が私たちに語る良い知らせとは何でしょうか?それは、私たちを造られた神が私たち一人一人を愛しておられるということです。神から離れて、迷子の状態になっている人間を取り戻すために、神さまは私たちに救いを用意してくださいました。それは、突然思いついたものではなく、行き当たりばったりの方法でもありません。何千年とかけて周到に準備された神の救いの計画です。旧約聖書に約束していた通りに、救い主は今から2000年前イスラエルの地に来てくださいました。これまた預言されていた通り、私たちの身代わりに十字架の上で死んでくださり、三日目に復活してくださったのです。

聖書の大部分は歴史的事実

 私もこの知らせを聞いたのとき、初めは突拍子もないおとぎ話に聞こえました。しかし、そのような話が書かれているのは一部分です。聖書の大部分は私たちがすぐ理解できる歴史の事実が書かれています。そして、この聖書に記されているからこそ、信じがたいように思われる出来事も確かめてみようと思ったのです。
 みなさんも是非この聖書を開いてください。そして、聖書が語ることが信頼できるか確かめてください。確かめたらそこに示された救い主イエスを受け入れてください。そうすれば、私たちの力で神の救いを勝ち取るのではなく、弱い私たちに神が救いを与えるために待っておられることがきっとわかります。心からお勧めしたいと思います。

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