新約聖書

「すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行なう人はいない。ひとりもいない。ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」
(ローマ人への手紙3:12,24)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.571 2011年3月6日

「父なる み神に今帰らん」

おはようございます。高原剛一郎です!

 先日、ある方がこんな話をされていました。題して、母親は三つの背中を子どもに向ける。
 まず第一に幼少期、おんぶするために背中を向けますね。何があったって下から支えてあげるよ、という土台を提供するために背中を向ける。これは、安心を与えるための背中です。

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 第二に、反抗期・思春期に、善悪の基準で間違った道を子どもが選ぶ時、「それは違うよ。あんたは間違ってるよ、と教えるために向ける背中です。それは、善悪正邪を教えるための背中です。

 第三は、成人した子どもに人生の方向性を示すために見せる背中です。よく、子どもは親の後ろ姿を見て育つ、といいますね。子はやがて、生き抜いた親の方向を見る時が来るっていうんですね。親とは何でしょう。安心を与え、善悪を教え、人生の方向性を示す存在だっていうんですね。

あなたの魂の親である方

 ところで、聖書をみると私たちを造ってくださった真の神様は、ご自分のことを父親や母親になぞらえて紹介なさっているんです。神とは、あなたの魂の親である方なのです。そして、この魂の親である真の造り主から離れることほど、酷い人生の損失、損害はないと聖書は断言するんです。こう書いてあります。「すべての人が迷い出て、皆ともに無益な者となった」と。自分の作者である神から離されていることで、お互いに無益な者となってしまった、というんです。どのような点で無益なのでしょう。

正しい使い方は製作者に聞くのが一番

 第一に、人生の目的が分からなくなってしまったということです。私は先日、男のための料理教室というカルチャークラブに見学に行きました。そこに行くと、私が今まで見たことがない調理器具がずらり並んでいたんですね。中でも私の目を引いたのは、金属製の棒の先端に渦巻きがくっついた道具でした。これは一体何のために使うんだろう。考えても考えても分かりません。そこで、考案者の先生に質問しました。すると、味噌汁を作る道具だと教えてくれたのです。この渦巻きを味噌樽に突っ込んで引っかくと、適量の味噌が入ります。そのまま、出汁の入った鍋に突っ込んでかき回すと、あっという間に味噌汁ができるっていうんですね。いや、実に見事な道具です。ところで、私はこのことからひとつ教えられました。何のために存在しているか分からない道具は、それを作った人に聞くと、教えてもらえるということです。

神の栄光を表すために造られた人間

 ところで、人間の目的ってなんでしょう。人生の目的ってなんでしょう。多くの人はそれを知らずに生きています。それは、知ろうとしたけれども、とうとう答えが出なかったので、問うのに疲れてやめてしまった結果だ、と思うんです。そして、この答えを持っていなくても、とりあえずは生きていくことができるんですね。特に順調な時は、この答えを持たなくてもそれなりに人生に手ごたえがありますので、生きていくことができます。しかし、人生は良いことばかりが続くのではありません。失望や廃業やリストラや試練が次々と襲いかかってくる時があります。その時、なぜ生きるのかを知っている人はそれを堪えることができるのです。しかし、答えがないなら、こんなしんどい目をしてそれでも生きていかなければならないのは何故なのだ、と人生を自ら壊していく方向に目が向きやすいのです。

最も崇高なる方

 聖書は語ります。人間は神の栄光を表すために造られたのだと。神とは、前宇宙の創造主にして、全知全能。もっとも偉大で崇高なる方です。つまり人間は、最も崇高なる方の崇高さを反映させるために造られたのだ、というのです。どんな人でも自尊心はありますね。誤った自尊心は鼻持ちならないものになりますが、自尊心そのものは決して悪いものではありません。自分を尊厳ある者とみなしたいという欲求は、神が人を尊厳ある者としてお造りになった事実に由来しているのです。ですから、幼い頃から自尊心を挫かれ続けた人は、大人になってから世の中に復讐を企てるようになるのです。神とは、あなたを尊厳ある者として、崇高な者として造ってくださった方です。この方を捨てるのは、人間存在の尊厳の土台を否定してしまう、ということです。

人生の乱気流に動かされない秘訣

 第二に、神様から離れた人は、状況に振り回されるということです。上手くいく時には平安がありますが、思い通りにいかないことが続くと落ち込みがひどいですね。それは、人生の本当の支配者を恵み深い魂の親として、知らないことから来ていると思うのです。

隣の席の一人の少年

 何年か前、私はスーパーシートで、九州から東京まで飛行機に乗って移動したことがありました。私の隣の席には、一人の少年が座っていたのです。斜め前には、彼のお母さん、お兄さん、お姉さんが乗っていました。とってもお行儀が良いんですね。ところで、この飛行機は途中、乱気流に突っ込んでしまったのです。今までに経験したことがないほどの酷い揺れが続きました。後ろの方では、赤ん坊の泣き声や、気分が悪くなった人達の気配が伝わってくるのです。ところが、この少年は身動き一つせず、実に淡々としたものです。大したものだなと思いながら、しばらくすると乱気流を突き抜け、静かな空の旅となりました。

人生を真にコントロールする方

 いよいよ羽田に着陸することになったのですが、その時、機長自らが機内アナウンスをしたのです。こう言ったんですね。「実はこのフライトをもって私は引退します。今晩のフライトは、自分にとってラストフライトです。皆さん、心から感謝いたします。」と言った瞬間ですね、私の隣の少年が大きな拍手をしたんですね。みんなつられて拍手をしました。後で分かったのですが、実はこの機長は、少年のおじいちゃんだったようです。彼は、自分のおじいさんをとても誇りに思っていたようです。だから、乱気流で少々揺れが激しくてもびくともしませんでした。僕の乗ってる飛行機を運転しているのは、おじいちゃんなんだぞ、という尊敬と信頼が彼の心を落ち着かせていたのです。人生の中にはさまざまな乱気流があるものです。それに突っ込んだ時、あなたには人生の真の支配者との関係ができていますか。人生を真にコントロールする方がどなたであるかをご存知ですか。そしてその方と和解なさっていますか。

神のもとに私たちを集める力

 先ほどの聖書の言葉には、実は続きがあるのです。こう書いてあります。

「すべての人は罪を犯したので神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みによりキリストイエスによる贖いのゆえに値なしに義と認められるのです。」

贖いとは買い取るという意味

 神様から離れた人が、再び神様に受け入れられるためにキリストが十字架にかかって贖いを果たす必要がありました。贖いとは、キリストの血、命を流して私たちを買い取るという意味です。このキリストの血は、あなたの罪を全て帳消しにします。と同時に、このキリストの血が神とあなたを繋ぐのです。だれか家族がなくなったら、たちまち遠くにいた家族や親族が集まりますね。誰か新しい家族が生まれても、遠くの兄弟姉妹が駆け寄ってきます。キリストは十字架で死に、三日後に復活するという誕生を果たしました。このキリストの死と復活が、私たちを神のもとに集める力なのです。
 どうぞあなたも、イエスをご自分の救い主として信じ受け入れてください。心からお勧めしたいと思います。

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