新約聖書

「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」
(ローマ人への手紙3:23-24)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.568 2011年2月13日

「魂のルーツとの再会」

おはようございます。高原剛一郎です!

 さて今アメリカで大騒ぎになっているニュースがあるそうです。カリーナ・ホワイトという黒人女性が23年振りに実の両親のもとに帰りついたというニュースなんですね。実はカリーナさんは生後19日の赤ちゃんの頃、何者かによって病院から連れ去られてしまったんです。両親はテレビにも出て、「私の赤ちゃんを返してください!」と涙の訴えをしたのですが、それから23年たってしまいました。

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 その間、カリーナさんはネデラ・ナンスという名前で誘拐犯の子供として育てられていたのです。しかし、この23年間はカリーナさんにとっては地獄のような虐待の日々であったのです。犯人のアン・ペットウェーという女性は彼女を奴隷のように扱ったからです。カリーナさんはこの人が自分の本当の母親でなければどんなに良いかと考えていました。というのはアン・ペットウェーという人は薬物と軽犯罪の常習犯で、しょっちゅう刑務所を出たり入ったりしているような人であったからです。

23年ぶりの再会

 そんなカリーナさんに転機が訪れました。彼女が16歳の時、妊娠してしまったのです。それで役所に提出するために自分の出生証明書を母親に求めたところ、「お前は私の娘じゃない、養子だ。お前の母親は死んで、お前の父親は女を追いかけ、お前を捨てて出て行ったんだ!」と悪態をつかれたのです。彼女はそれから数年間、時期を待ちました。そして今から数年前に家出をしたのです。そして一人暮らしをしながら仕事の間に行方不明情報センターを回り始めたのです。アメリカにはなんと年間80万人の人が行方不明になっているのです。つまり一日当たり二千人の人間がこつ然と姿を消しているっていうんですね。それで多くの親はわが子を取り戻すためにこの情報センターに照会データを入れるんです。

自分とそっくりな赤ちゃんの写真

 ある日のこと一枚の写真が目に留まりました。それは自分とそっくりな赤ちゃんの写真です。少し似ているという程度ではありません。これが私でなくていったい誰なの?というほど似ている写真だったのです。彼女は思い切って名乗り出て、そしてとうとう本物の両親と出会うことができたっていうんですね。それは23年ぶりの再会でした。

最も大切な存在との再会が人生を修復させる

 彼女の奴隷人生はどこから始まったのでしょう。本当の両親のもとから引き離されるところから始まった のです。彼女の人生はどこから変わり始めたのでしょう。偽りのルーツを後にして本当の両親のもとに再会することによってです。最も大切な存在との関係の断絶が、彼女の人生を狂わせていたのです。そして最も大切な存在との再会が人生を修復させていったんですね。そして、それは私たち一人一人についても言えることだと思います。

人間のルーツである真の創造主

 実は聖書によると、すべての人間は一番大切な、自らのルーツである真の創造主から離れて生きているところにあると言うんです。そして神なき人生観の中で、様々なまやかしに騙されて生きてるのだと言うんです。カリーナさんが虐待と奴隷扱いの青春時代を過ごしたように、人間は真の魂の親である神から離れたことで、罪と死の奴隷となって生きてるっていうんです。こう書いてあります。

「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」

  今日はこの聖書の言葉から三つのポイントでお話ししましょう。

罪とは神に背を向けて生きること

 第一に、全ての人は罪を犯したという点です。罪って一体何でしょう。神から離れて生きることなんですね。カリーナさんの場合、自分の意思に反して連れ去られたのですが、人間は自分の自由意思で神を無視して生きているというのです。この神に背を向けて生きること、神の存在を認めない生き方を聖書は罪と語るのです。

『少年リンチ殺人』という本

 日垣隆さんと言う辛口評論の作家がいらっしゃいますね。彼の書いた『少年リンチ殺人』という本があります。その本の後書きで彼はご自身のことを書いています。日垣さんが中学生の時、同じ中学に通っていた仲良しの弟が、何の意味もなく殺され、直接手を下した者が当時13歳であったために、少年院はおろか教護院にすら入ることなく、事件の翌日から学校に登校して来たっていうんです。彼は周囲には何も知られず、いつも通りに笑っています。弟を殺しておいて何一つ罰を受けることなく、平然と暮らしてる姿に日垣さんは猛烈な怒りを感じるのですが、実はそれ以上に耐えがたいことが一つあったと言うのです。それは犯罪そのものをなかったことにするために、弟が初めからいなかった人のように扱われたということです。被害者そのものを、いなかったことにしたというんです。この世に弟がいたということはクラスの皆も知ってる。特に先生方は事件の真相も知ってるのです。ところが皆空気のように初めからいなかった人のように弟のことを扱うのを見て、悔しくて悔しくてたまらなかったと。そしてその時、存在を無視することは、人格に対する最大の侮辱なのだと気付いたというのです。
なぜ神を無視するということが罪とまで呼ばれねばならないのでしょうか。存在を無視することは人格に対する最大の侮辱であるからです。神は実在者であり人格をお持ちのあなたの作者である方なのです。

本人に代わり罪を償うイエス・キリスト

 第二に、この罪人である人間を救うために神はイエス・キリストによる贖いを完成してくださったということです。贖いってなんでしょう。本人に代わって償うことです。ところで英語で贖いのことをアトーンと言います。これはスペルでは”atone”、つまり”at”と”one”という単語から成り立っているんですね。”at one”というのは一つになるという意味です。だれかの負債を代わりに引き受けると、その人が背負っていたハンディがそのまま自分に降りかかってきます。

贖いとは運命を一つにすること

 贖いとは、贖い取る相手の運命と自分とを一つにすることなのです。キリストは何の罪もない聖い方です。その聖い聖い聖い神の一人子が、あなたの罪とご自分を一つにして、呪いを一身に引き受け、今から二千年前十字架の上で死んでくださったのです。そして三日目に死を突き破って復活してくださったのです。それはあなたの罪を贖うためであったと聖書は語るのです。

キリストがもたらす赦しという恩赦状

 第三に、キリストの償いによってどんな罪深い人も神によって義と認められるということです。義と認められるとは、一つも罪のない者として受け入れられるということなんですね。誰が認めてくださるんでしょう。神が認めてくださるのです。キリストの赦しを持つ人は死に対しても確信を持つことができます。多くの人が死を恐れるのは、死後の世界がもしあったとしたら、自分はその世界の主によって裁かれるのではないかと不安になってるからではないでしょうか。しかし、キリストによる赦しを持つ人が死に向かう心境は落ち着いたものです。それは王による特赦状を懐に入れて、絶対不利と思われている裁判に赴くようなものです。たとい、どれ程弁解の余地のない罪人でも心配いりません。キリストによる赦しという恩赦状があなたを救うからです。
 どうぞあなたもこのイエス・キリストを救い主として受け入れてください。心からお勧めしたいと思います。

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