No.560 2010年12月19日 「きよしこの夜」
おはようございます。高原剛一郎です!
さて、クリスマスを題材にした讃美歌のことをクリスマスキャロルって言いますけど、いや実に名曲が多いですね。中でも「きよしこの夜」は世界一有名なクリスマスの讃美歌だと思います。酔っ払いが歌っても清らかな気持ちになる不思議な曲ですね。実はこの讃美歌は、とあるトラブルをきっかけに生まれました。
名曲「きよしこの夜」ができた経緯
1818年クリスマスの前日、オーストリアのオーベンドルフという村の教会オルガンが、ねずみにかじられて突然音が出なくなってしまうんです。そこで教会の司祭見習いであったヨゼフ・モールの書いた詩に、村の音楽教師でオルガニストを務めていたフランク・グルーバーという人が急いでメロディーを付けてギターで伴奏して急場をしのいだんですね。この詩の内容は、今から二千年前飼い葉おけに寝かされた救い主イエス・キリストの誕生を聖書の史実にのっとって書いたものです。原文の詩はこうです。「静かな夜、聖なる夜、全てのものが眠りに落ちている中で、目覚めているのは愛すべき母と子だけ。気高い幼子は天国の安らかさに包まれて眠っている。」
イエスの誕生に自分を重ねたモール
実はこの詩を作ったモールには暗い生い立ちがありました。私生児だったのです。父親は兵士でしたが、任務についた先の貧しいお針子との間に子供ができたのです。しばらくは一緒にいたようですが、モールに物心がつく頃には彼女を捨てて行方をくらましていました。だからモールは自分の父親がどんな人だったのか、どんな顔、形、声をしていたのか何にも覚えていないのです。彼はお母さんと二人で貧しい少年時代を過ごしたのです。彼が生まれて間もないとき、教会で洗礼式があったのですが、彼の名付け親は死刑執行人であって、その時に立ち会えず、代理人が立ち会いました。大変利発な子で、素晴らしい声の持ち主でもあったんですね。それでやがて合唱隊のリーダーに見いだされて、教会に仕えるようになっていくのです。彼は生い立ちに屈することなく前向きに生きていきましたが、それでも自分が私生児であったという負い目はなかなか癒えるものではなかったのです。しかしそれだけにイエス・キリストの誕生記録には深く感動するのです。なぜならイエス・キリストは処女マリヤから生まれたのですが、その当時でもそんなことを信じられる人はほとんどいなかったからです。いわばイエス・キリストも少年時代私生児のように見られて育ったのではないか。この方も幼い頃冷たい視線を浴びながら、しかも前向きに生きられたのではないか。クリスマスのたびにモールは誰よりも自分の内面を分かってくださる方として、キリストのことを味わったというのです。
さて、今日はこのモールが題材にしたクリスマスの箇所を聖書から紹介いたしましょう。聖書の中にこう書いてあります。
「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」
キリスト降誕のようすとその意味
今読んだ箇所にはキリストが誕生した時、その夜御使いが羊飼いたちに告げた言葉が書いてあります。それによるとキリストのしるしというのは布にくるまって飼い葉おけに寝ている姿の中にある。これこそキリストのキリストたる特徴なのだというのです。ところで当時飼い葉おけというのは岩をくり抜いて作ったものです。石でできた横長のうすのようなものなんです。
その石のくぼみに布で巻かれて横たわる姿の中にキリストのキリストたるゆえんがある、キリストの特徴があるというわけです。
実は聖書にはこの箇所の他に、もう一回キリストが岩の穴の中に布で包まれて横たわっているという記事がでてくるのです。それは十字架で死なれたキリストが埋葬された記事です。キリストの墓は岩をくりぬいた横穴でした。そこに亜麻布でくるまれたキリストの遺体が安置されたのです。これは一体何を意味するのでしょう。キリストは我々罪人の身代わりとなって死ぬために誕生してくださったという宣言なんです。キリストは初めから私たちに永遠の命を与えるために死ぬことを目的にこの世に来てくださった、生まれてくださったのだということをクリスマスの冒頭で暗示しているのです。
他人の血によって覆われることで救われた命
今から二年前、2008年11月26日のことです。インド最大の都市であり、商業の中心都市でもある、ムンバイというところで同時多発テロが起きました。ラッシュトレイカイバーというイスラム原理主義のテロ組織が、マシンガンを乱射しながら、約200人もの人々に無差別殺戮の攻撃を加えたのです。テロリストに狙われたホテルの一つにタジマハールホテルというのがあります。ここは世界遺産に指定されている由緒あるホテルです。インドでナンバーワンの高級ホテルなんですね。そしてそこにテロリストの集団が乱入し、ホテルのレストランで機関銃を打ちまくったんです。
その場にいたお客さんのほとんどが亡くなってしまいました。ところが極めて例外的にある人物が生き残ったんです。それで新聞記者がその生き残った人物にインタビューしたんですね。同じテーブルにいた人たちは全員亡くなっているのに、どうしてあなた一人が助かったんですか。彼は答えました。「はい、誰かが私をつかんでテーブルの下に引き寄せてくれたんです。」テロリストは倒れた人々にも容赦なく銃を乱射し続けました、しかも笑いながら。記者は聞きました。「それなのにどうしてあなただけが助かったんですか」彼はこう答えたんです。「私の服のほとんどが打たれた人たちの血で真っ赤に染め上げられていたからだと思います。テロリストたちは血を浴びて倒れていた私を死んだものだと思ったのです。」この人物が助かった理由はたった一つですね。誰かの血を浴びたお陰なのです。誰かの命が彼を守りました。誰かの流した血が彼を覆っていたので、彼は救われたのです。
キリストの十字架と復活がもたらしたもの
これと同じことが私たちにも言えるのです。キリストはあなたが永遠の命を受けて地獄の裁きから助かるためにあの十字架の上で血を流してくださったのです。キリストの十字架の死があなたを裁きから覆い隠しあなたに永遠の命を与え、あなたに天国の国籍をもたらすのです。そしてその約束を実証するためにキリストは死後3日目に復活してくだったのです。キリストはあなたのために血を流し、死を滅ぼすために生まれてくださったんですね。そしてあの男性が何者かの手によってテーブルの下に引き寄せられたように、今日この瞬間キリストはあなたを救いに引き寄せようとして働いておられるのではないでしょうか。
どうぞあなたのために天から下った救い主イエスキリストを心の中に受け入れてください。心からお勧めしたいと思います。
「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」