No.558 2010年12月5日 「クリスマスの本当の意味」
おはようございます。高原剛一郎です!
今年もクリスマスのシーズンになりました。クリスマスはキリストの誕生とその意味を覚える礼拝のことです。それで今日はクリスマスの意味について考えたいと思います。
本来の自分の姿に気づかない人間
以前、大阪府警本部長を務められた前田トシアキさんの手記に、とても興味深いエピソードが書いてあります。彼の部下に大阪府警きってのパトカーの名手がいたっていうんです。パトカーはいざ事件や事故があったときに、一刻も早く、しかも確実かつ安全に到着せねばなりません。この警官の運転技術はピカイチだったんですね。ところが彼は警官を途中で退職し民間タクシー会社に勤務することになったのです。腕に自信のあった彼は、タクシー運転なら十分通用すると思ったんです。ところがいざタクシーを運転してみると、実にヒヤっとすることが多いんですね。ほんのしばらくの間に、自分の運転能力・運転技術が相当に鈍ってしまったことに愕然とするのです。しかし、よくよく考えてみるとある事実に気がつくんです。実は自分が運転が急に下手になったのではない。もともとこれが実力なんだと分かるんです。パトカーを運転していたときにはスムーズにスイスイと渋滞道路も難なく運転することもできましたが、それは自分が運転が上手であるからではなく、周りの車が遠慮していたのにすぎない。なんといってもパトカー相手に追い抜き割り込みを図る車なんてあるわけがないんですから。自分は警察権力という大きな力の中で運転していました。ところが自分を守っていたこの大きな力がまるで見えず、あたかも自分の実力だと思い込んでいたんだと言うんですね。
世界の混乱の根本原因とは?
私はそのエピソードを読みながら、人間も同じではないかなぁと思いました。人はうまくいってるときにはつい自分の実力で生きているかのように錯覚します。しかし、世の中には自分が悪くなくてもぶつかってくる人もいる、ふりかかってくる災難もある、何が起きても不思議がないのがこの世の中というものです。そんな世の中で今まで何はともあれ生きてこれたのは、神によって守られ生かされてきたからではありませんか。ところが人はこの自分を守ってきた大きな存在を忘れ、まるで自分の実力を神のように信頼し小さな自分の都合を中心に考え、不都合な相手を押しのけたり滅ぼしたりしようとしています。この世界の混乱の根本原因、それは宇宙の作者、世界の存在目的である方、万物の中心である神様を無視して生きるところにあるんです。そしてこの結末は死です。神から離れた人間の行く末は死と死後の裁きなのです。神様はこの人間を罪とその結果から救出するためにご自分のひとり子の神を人間の姿にして誕生させてくださいました。この方こそイエス・キリストなのです。
聖書の中に次のように書いてあります。
「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。」
アメリカにブレナン・マリングというクリスチャン作家がいます。彼は若い頃から特別に親しい友達がいました。レイという名の友人です。二人は何をするのもいつも一緒で十代の頃には車を買うのも一緒、デートをするときにはダブルデート、学校へ行くのも、軍隊に入ったときも入隊訓練キャンプも同じ、そして戦場の最前線でも同一部隊に配属されたのです。ある晩のことです。ブレナンがブルックリンでの思い出話をし、レイはその話を聞きながらチョコバーを食べていました。そのとき突然手榴弾が塹壕に投げ込まれたのです。レイはブレナンを見て、微笑みチョコバーを落として手榴弾の上に覆いかぶさりました。そしてその瞬間レイは爆殺され、そしてブレナンはかろうじて助かったのです。そのうちブレナンは神父になり、また作家として活動しますが、彼は自分の名前を親友であったレイ・ブレナンの名字からとって名乗るようになりました。自分の人生には彼の命がかかっていたからです。レイは自分のために身代わりに死んでくれたのだからです。
死後の裁きから私たちを守るイエス・キリスト
同じようにキリストは、あなたの上に炸裂しようとしている死後の裁きからあなたを守るために十字架にかかってくださったのです。キリストはあの十字架の上であなたの身代わりに罪の全責任をおって死んでくださったのです。そしてそればかりか、三日目によみがえってくださったのです。キリストは今も生きておられる神なのです。
ところで、ブレナンの話には続きがあるのです。それから何年もたってから、彼はレイの母親のところに行ったのです。夜遅く紅茶を飲みながら、彼は恐るおそる尋ねました。レイは僕を愛していたのでしょうか。彼がそんな質問を聞いたのは、本当にあれでよかったのかな、親友を死なせて自分が一人生き残っているということは許されることなんだろうか、レイは後悔してはいないんだろうかという思いをどうしても拭い去ることができなかったからです。だから聞かずにおれませんでした。はたしてレイは僕を愛していたのでしょうかと。ところがそう言った瞬間、レイの母親はソファーから立ち上がり、ブレナンの顔の前で人差し指をふりかざしながらこう叫んだんです。あなたのために息子ができることがこれ以上にあるとでも言うの。
ブレナンはこの瞬間、突然自分が神の前に立っているような錯覚を覚えたのでした。彼は親友をなくした後、その喪失感が癒されず、しばしば神の前に問うていたのです。「神様、あなたは本当に私を愛していますか。本当に愛しておられるなら、なぜあんなにも大切な友を私から取り上げたのですか。どうして、私から彼が取り上げられなければならなかったんでしょうか。彼のいない人生はなんて味気ないんでしょう。あたなは本当に私のこと顧みておられるのでしょうか。愛してらっしゃるのでしょうか。それに対する神様の答えをレイの母親の口を通して聞かされたように感じたのです。あなたのために息子ができることがこれ以上にあるというのですか。神の一人子、神の息子であったイエス・キリストが、あなたを愛してあなたにできるこれ以上のことが他にあるとでもいうのですかと、問われたように思ったというのです。
聖書はこう語ります。
「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。」と。
イエス・キリストの十字架は、神があなたにしてくださった、これ以上はない愛なのです。そしてその愛によるキリストの十字架の贖いのゆえに、私たちは永遠のいのちを得ることができるのです。
どうぞあなたも今、静かにご自分の心の中にイエス・キリストを迎え入れてください。そして本当のクリスマスを経験なさってください。心からお勧めしたいと思います。
神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。