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Bible & Gospel

No.554 2010年11月7日 「後ろからご覧になる神イエス・キリスト」

おはようございます。高原 剛一郎です!

 実は、私は毎年訪問する教会があります。先日その教会に一人のお母さんが来られました。何でも四年前からこの番組を聴いていて、毎年実物の高原に会いたかったけど、どういうわけかその日に限って子供が熱を出すって言うんですね。いや、そういうことって有りますよね。いつもピンピン元気なのに、この日だけは病気になるなよ、この日だけは風引くなよという重大な日に限って、熱が出て予定がつぶれるというパターンです。

自分の魂の親とつながる必要

 ある児童心理学者によると、それはおそらくお母さんの不安が子供に伝染しているのではないかと言います。このときだけは病気になって欲しくないという思いが、強ければ強いほど万一そうなったらどうしようという不安が募り、それが子供に乗りうつってストレスになり病気になるのかもしれないっていうんですね。もしそうであるなら、親こそ自分の親の親、自分の魂の親としっかりつながる必要があるだと思うのです。

マリヤの前に現れた復活の神イエス

 さて今日は後ろからご覧になる神、イエス・キリストを紹介したいと思います。 聖書の中にこんな記事があります。キリストが十字架処刑で息絶えて、三日目の早朝のことです。キリストの女弟子の一人、マグダラのマリアが墓に埋葬されたキリストの遺体を見るためにやってきます。ところが、墓は重さ2トンの蓋が何者かによって取り除けられています。うろたえながら彼女が墓の中を覗いてみると、なんとキリストを埋葬したときの布はあるけれども、くるまれていたキリストの遺体がまるでガスになって抜けたように無いんです。なぜ無いんでしょう。キリストは甦ったからです。しかし、マリアは誰かがキリストの遺体を盗んだのに違いない、と悲しくなります。そんな彼女の後ろに立ったイエスは彼女に話しかけます。聖書はこういっています「イエスは彼女に言われた『マリア』。彼女は振り向いて、ヘブル語で『ラボニ』(すなわち先生)とイエスに言った。」キリストは彼女の後ろに立って、ずっと彼女を見守ってこられた方です。なぜ後ろに立たれたんでしょう。

あなたを決して見捨てない方

 第一に、私達が気づかないところで、私達をご覧になり、支える方、それが神ご自身だからです。この天地をお造りになった神様は、私達の全てをご覧になっている方です。昔、フランス革命のときに暴徒と化した民衆が王宮になだれ込みました。そして部屋の中でしたい放題の限りを尽くし、金目の物を欲しいだけ略奪しました。ところがその部屋の壁に一枚、キリストがじっとこちらを見つめる絵が掛かっていたのです。皆、その悲しげな物憂げなしかも権威ある表情の絵を見たとき、かたまってしまいました。悪行を続けることが出来ないのです。そこで一人の男がその絵を裏返しにしたのです。すると暴徒はブレーキがと解かれたかのように、またしても略奪を再開したのです。神の視線を気にせずに済んだからです。
 人は見つからないと思えるところで、悪に走るんですね。ところで絵画なら裏返しにすることが出来ますが、神の目を閉ざさせることは出来ません。神はあなたの目の前に見えなくても、あなたの視界から外れた後ろであなたの全てを見てこられた方、見ておられる方なのです。しかも、粗探しする目、批判のための眼差しではなく、あなたを憐れむ救い主の見方であなたの一生を見通しておられるんです。
 山登りをチームでするとき、熟練者は先頭と最後尾につきます。先頭は道案内のため、しんがりは後ろから全体を見守るためです。後ろから見る人が気にかけるのは、遅れがちな人、しんどそうな人、弱い人に気を配るんです。覚えて下さい、あなたが誰からも忘れられているときも、神様はあなたを決して見捨ててはおられません。

共感してくださる方

 第二に、あなたの試練や悲しみまた喜びに共感するために、あなたの後ろに立っておられるんです。誰かの後ろに立って見るっていうのは、その人と同じ視点で見るということです。マリアの後ろに立っているイエスは、マリアの見る角度、マリアの見つめている対象を一緒になってご覧になっています。マリアが見ていたのは空っぽの墓ですね。キリストは死んだ、その上遺体まで盗まれた、どうしていいのか分からない、と途方にくれているマリアを甦ったキリストは「なんてナンセンスな悲しみだ」と軽蔑するのではなく、悲しみに震える彼女の後姿に心痛めておられたのです。
 悲しみにあるとき、その人と共感するのは難しいですね。100%その人と同じ気持ちになることは誰にも出来ません、その人とは違う人格なのですから。同じことを経験したとしても、同じように感じることは出来ないのです。しかし、キリストはあなたを完全に理解することがおできになる方なのです。

振り向かせ、解決を与える方

 第三に、 この方が後ろに立たれた理由は、あなたを神の方に振り向かせるためなのです。あなたをキリストに振り返らせて、解決を示すためです。マリアの悲しみの根本的な理由は、キリストが死んだということです。彼女はその現場を見ました。僅か三日前、十字架の上で息を引き取ったイエス・キリストをその目で見たのです。そしてキリストが葬られるところもじっと見ていました、だからこそ今もう一度墓に来て遺体を丁重に葬りなおしたいと思っていたのです。しかし、キリストは死んだままのキリストではなく、死んで甦ったキリストなのです。
 昔、織田信長が敦賀攻めをしたときのことです、背後から浅井長政の軍隊が上ってきたのです。どんな軍隊も前後に挟まれたらひとたまりもありません、信長は即座に撤退を決定します。しかし十万の軍隊を下げるのは容易なことではないのです。というのは昔から戦争というのは、前進より撤退が危ないですね。特に危険なのは一番最後につく部隊なのです、誰もがつきたくないポジションなんですね。そのとき木下藤吉郎が、私に任せてくださいと名乗り出てしんがりをつとめました 。これには並み居る武将も言葉を失って敬服したという風に言われています。全滅を覚悟しなければ、出来ないからです…。

すべてを用意し、待っておられる神

 キリストは私達の人生のすぐ後ろに迫っている死と、その死後に定まっているさばきから私達を救い出すために、しんがりとなり十字架にかかって下さったのです。「私の十字架の御わざで、あなたに迫る全てのさばきは食い止めたよ、もうそれは過ぎ去ったんだよ。死は恐れるに足らないものになった、あなたはいつまで死のシンボルである墓を見つめているの、さあ死から身を翻して死を滅ぼしたイエス・キリストを見上げなさい」とおっしゃるのです。神様に背を向けている態度から、神様の方に向き直るのです。もし向き直るならそこにはあなたが許されるために必要な全てを、あなたに代わって成し遂げたキリストが両手を広げて待っておられるんです。

 どうぞあなたもイエス・キリストをご自分の救い主として信じ、永遠の命を頂いてください、心からお勧めしたいと思います。


向井 かおり:マリア
新約聖書 ヨハネの福音書20:15,16
 イエスは彼女に言われた。「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。」彼女は、それを園の管理人だと思って言った。「あなたが、あの方を運んだのでしたら、どこに置いたのか言ってください。そうすれば私が引き取ります。」イエスは彼女に言われた。「マリヤ。」彼女は振り向いて、ヘブル語で、「ラボニ(すなわち、先生)。」とイエスに言った。