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Bible & Gospel

No.552 2010年10月24日 「人となってこの世に来て下さった神」

おはようございます。高原剛一郎です!

 数年前、私はハワイのオアフ島からマウイ島まで伝道旅行に行きました。大変充実した旅も無事に終え、今度はマウイ島からオアフ島へ飛行機で戻ることにしたのです。ところが乗った飛行機の調子がどうもおかしいんですね。エンジンをかけるんですが、途中で止まるんです。しばらく整備員が修理をしておりました。再度エンジンをかけたとき、何とも言えない焦げくさい臭いがするんですね。整備員がまたしても修理して、再びエンジンをかけましたが、二つあるプロペラの一つが動かないんです。私は思わず祈りました。「神様、どうかこの飛行機が飛ばないようにしてください。この飛行機から降りれますように。」結局そうなりました。

私たちの人生とは…

 私がこの飛行機から降りたいと思ったのは、飛んでしまってからエンジンが止まったのでは遅いからです。いつエンジンがストップするか分からない飛行機では、どんなに機内食が旨くても、またどんなに景色がきれいであっても、またどんなに上映映画が楽しくても、私はそれを楽しむことはできません。死ぬかもしれないと思ったら、そんな楽しみは楽しみにならないんです。しかし、よくよく考えてみると、実は私達は一人の例外も無く、死に突っ込んでいく飛行機の乗客だとは言えないでしょうか。毎日楽しい食事をし、面白い経験をし、感動的な出会いがあります。しかし、それでも最後は死んでいくんです。それはまるで機内サービスが充実しているけれど、エンジン停止で墜落途上にある飛行機の乗客になっているのと同じではないでしょうか。

人生の解決とは、死の問題の解決

 人生の解決とは、突き詰めると死の問題を解決するということなのです。日ごろそういうことをあまり考えないのは、考えても解決が見当たらないからです。しかし聖書はこの死の問題について、解決を約束する神の言葉なのです。聖書はこう語っています。

「そこで、子たちはみな血と肉を持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つものを滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。」

 ここに三つのポイントで聖書のメッセージが語られています。第一に人間は死につながれた奴隷であると言うことです。 この「つながれた」というのは、束縛されてる、閉じ込められてるということですね。ところで世界中が注目する事故が一つ有ります。それはチリの落盤事故です。今から二ヵ月半ほど前、チリで落盤事故があり、33人の労働者が地下700メートルの避難所に閉じ込められたのです。地上との通気孔は有ります。また地下水がこんこんと湧いてます。さらに缶詰の食料が避難所にはあるんですね。空気と水と食料があれば、しばらくは生きていけるんですが、一刻も早く救出されねばなりません。

救いを必要としている私たち

ところで彼らの境遇には、三つの特徴があります。 第一に自力では出ることが出来ないということ。第二に仲間がいて互いに励ましあい、しばらくは生きるのに必要なものがあるけれど、いつまでもそれを続けていくことはできないこと。第三に救出は、外部から岩盤を取り除いてもらう以外にはないということです。
 この地底に閉じ込められてる彼らの状況は、死に閉じ込められている人類の状況とそっくりではありませんか。なぜなら私達は、地底にこそは閉じ込められてませんが、誰ひとり死といういれものから自力で脱出することが出来ないからです。また彼らに仲間がいるように、私達は仲間や友人や家族がいますが、彼らとて私の死の問題を解決する力は持っていないのです。そして彼らが外部からの救いを必要としているように、私達も死に縛られてはいない神による救いを必要としているのです。

人となられた神なるキリスト

 第二のポイントです。キリストは、人となってこの世に来てくださった神だということです。いったい、何のために人となって来て下さったのでしょう。死によって、死を滅ぼすためです。キリストは全く罪の無い、聖い方でした。その聖く正しい方が肉体をとり、あの十字架にかかって死んでくださったのです。それは私達の罪を身代わりに背負って、神からの刑罰を引き受けるためだったのです。キリストは私達の罪を背負って、私の代わりに神に裁かれてくださったのです。
 キリストは死んで、エルサレム郊外の墓に埋葬されました。しかし神は、イエスを3日目に死者の中からよみがえらせられたのです。神様は何でも出来る方ですが、一つ出来ないことがあると思います。それは、死んでいない人をよみがえらせるということです。死んだ人をよみがえらせることは出来ます。しかし、死んでいない人は死んでいないんですから、よみがえらせるまでも無いんですよね。キリストはなぜ一度死んでくださったのでしょう?、それは神の力によってよみがえらされ、死を打ち破るためだったのです。キリストの十字架と復活によって、神と人との間に立ちはだかっていた罪という堅い堅い岩盤は、跡形も無く取り除かれてしまったのです。

私たちに共鳴できる方

 第三に、キリストはあなたと同じようになられた方だということです。
 あなたが血と肉を持っているので、キリストも血と肉をお持ちになりました。なのであなたの体の疲れ、弱さを自分のことのように感じ、共鳴することがおできになるのです。体のことだけではありません。あなたの心の問題、あなたの内面の痛みや悲しみについてもこの方はわがことのように共鳴することがおできになるのです。

万人にまさる真の救い主キリスト

 私は先日、特攻隊出撃前に書かれた学徒飛行士の手記を読みました。その日記にはこのように書いてありました。「俺の言葉に泣いた奴が一人、俺を恨んでる奴が一人、それでも本当に俺を忘れないでいてくれる奴が一人、俺が死んだらくちなしの花を飾ってくれる奴が一人、みんな合わせてたった一人。」 彼にはたった一人、親友と呼べる友がいたようです。その友の中の友は、とても豊かな心の人でした。いろんな面を持った人であり、また彼のいろんな面に気づけた人です。仮にたった一人の友しかいなくても、そのたった一人が何十人、何百人の友にも勝って豊かなる人、本物の共感者、真実の味方、真剣なる応援者、愛の中の愛の人であるならば充分ではありませんか。そしてキリストは、正にそのような方なのです。
 どうぞこのイエス・キリストをご自分の救い主として信じ、永遠の命を受け取ってください。心からお勧めしたいと思います。


吉田恵子:我が救い
新約聖書 ヘブル人への手紙 2:14,15
 そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。