No.549 2010年10月03日 「あなたのために準備されている救い」
おはようございます。高原剛一郎です!
先日私は、ある高校生の話を聞きました。彼女は小学4年生の時に、随分酷いいじめを受けたそうです。死にたくなるほど辛い毎日だったそうですが、5年生の時にお父さんの仕事の関係で、他県に引っ越しして転校したんですね。ところが、中学に上がる年、またしても元にいた街に戻ることになったのです。そして、あろう事か同じクラスメイトにかつて自分をいじめていたグループのリーダーがいたんです。しかも、一学期がはじまってしばらくしたとき、そのボスが自分の所にやってきて、無愛想な顔で手紙を渡したんです。彼女は震え上がりました。またしてもいじめがはじまるのかと思ったんですね。それで手紙をすぐに読めなかったんです。
想像を遙かに超えた内容
そうは言っても捨てるわけにも行きません。さんざん悩んだあげく、手紙を開封してみると、一行目にこう書いてあったのです。「あの時は、ごめんね。実は私、クリスチャンになりました。すべての罪をイエス・キリストに赦して頂いたんです。でも、○○ちゃんにも赦して欲しいんです。」それを読んだときの驚きと喜びは本当に大きいものであったそうです。というのは手紙をもらった彼女もクリスチャンであったからです。手紙を開くまでは、またしてもことばの暴力がはじまるのかと覚悟をしていたけれども、その中身は自分の想像を遙かに超えた和解を願う内容だったのです。
神はあなたを愛している
ある方々にとって、神とか、信仰と聞くとそれだけで憂鬱になるんですね。それは以前、宗教をや信仰で酷い目にあってこられたからだと思います。しかし、聖書のメッセージは宗教の話ではありません。あなたをお造りになったあなたの魂の親からのメッセージなのです。そして、この方が何よりも語りたいことは、神はあなたを愛しているということなんです。
聖書の中に次のようなことばがあります。
「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。
人となってこの世に来られたキリスト
ここに聖書メッセージのエッセンスが3つのポイントで語られています。第一に、神はあなたを愛する余り、イエスという人となってこの世に来られたということです。
野生動物と共同生活をすることで有名なムツゴロウさんっていう方がいらっしゃいますね。この方によると動物と親しくなる秘訣は、その動物を愛し、その動物のように行動することだそうです。例えば、泥水の中を転げ回るのが好きな動物を仲良しになるためには、自分も水たまりの中をひっくり返って、ころげ回るような所を見せると言うことだそうです。人が見たら、馬鹿じゃないかというような行為ですが動物から見るなら、仲間になれる人なのかどうかを見極める重要な判断材料だって言うんですね。
警戒する必要がない赤ん坊として来られた神
ところで、動物園に行って、いろんな動物眺めていても大抵こちら側には関心を示さないんですね。ところが、飼育員の方が檻の前に立つと、俄然関心を払うようになるんです。長時間一緒に過ごして関係ができあがっているからです。それである方が飼育員と同じユニフォームを着て、檻の前に立ってみました。要するにいつも世話をしている人に変装したんです。関心を示した動物は、一匹も一頭もいなかったそうです。外側の出で立ちではなく中身をしっかりと見てるんですね。特に警戒心の強い動物は、初めから猜疑心をもって人間を見ているので、ちょっとやそっとでは心を開くことがないのです。ある意味で人間は神に対して警戒心があると思います。真の神さまに対して歪んだイメージを持っているからです。そんな人間に神の本心が愛であると言うことをはっきりと伝えるために、神は神の在り方を捨てて、警戒する必要が全くない赤ん坊としてこの世に生まれて来て下さったのです。その方こそが、イエス・キリストなんです。
罪人のために来て下さったキリスト
第二に、この方は罪人のために来て下さったのだっていうんです。罪人って何でしょう。神との関係を断ち切って生きる人のことです。神に反逆し、神さまを無視し、神なんか無いという前提で生きている人のことです。ところが、神さまはその罪人を呪うためにではなく、愛して救うためにキリストとなったんです。神さまの愛は、人間の愛とはまるで違うものです。私たちは自分によくしてくれる人を愛しますね。自分を愛してくれる人を愛するようになってきます。しかし、自分に損害を与えたり、攻撃を加えたりする人を愛するということは、まずありません。自分にとって何かのメリットをもたらす相手を愛するんです。
ところが、神はあなたを愛してます。あなたが罪人であったとしても、あなたを愛してます。あなたが酷い人生を歩んできたとしても、それでも神はあなたを愛してます。あなたが誰かを深く傷つけてきた人であったとしても、それでも神はあなたを愛してます。神さまは愛だから、あなたを愛するんです。そしてその証拠がイエス・キリストなんですね。
罪の裁きから救い出すために来られたキリスト
第三に、この方はあなたを罪の結末である地獄の裁きから救い出すために、この世に来られました。どのようにしてあなたの罪の裁きから救って下さるんでしょう。あなたの罪を背負って十字架に架かり、身代わりに裁かれることによって、あなたを救って下さるんです。キリストはあなたの人生から祝福を奪い取る原因となっているものを全部永遠の果てに持って行って下さったのです。あなたの人生から罪も、後悔も、迷信も、死後の裁きも、ありとあらゆる忌まわしいものを全部引き受け、永久にあなたの元から持って行って下さったのです。後は、この方の十字架と三日目の復活を信じ、イエス・キリストを自分の救い主として信頼するということなのです。そのように決心なさるなら、あなたはこの瞬間に神の子として迎えられ、神の子にふさわしい人生がその瞬間にスタートするのです。
あなたのために用意して下さった救い
先日、私の本を読んで下さったご夫妻の家に招かれました。このご夫妻は結婚して6年目に待望の赤ちゃんが与えられたのでした。辛い不妊治療の末にようやく授かった命であったので、その喜びはもう大きかったんですね。ところが、生まれて来た赤ちゃんは、生後4日目に亡くなったというのです。奥様の心の傷はとてもとても深いものでした。「デパートに行った時、子供服売り場を歩くことが出来ない」とおっしゃるのです。「文字通り手のひらで顔を覆って、売り場を過ぎ去るんだ」って言うんですね。
あなたが救いを取りに来るのを待っておられる神
ところが、部屋に入るとなんだか明るいんですね。おや、次の赤ちゃんが与えられたのかなと思いました。というのは、部屋にはベビーベッド、おむつのセット、赤ちゃん用のおもちゃがおいてあったからです。しかし、そうではありませんでした。「あの子のために、用意したものなので、まだ他の人にあげられません。」とおっしゃるのです。「あの子のために用意したものです。」って言うそのお母さんのことばを聞いて、私は神さまの用意して下さった救いを思いました。神さまはあなたのために準備した救いをあなたが取りに来るのを切実な思いで待っておられるのです。どうぞ、神さまの備えたイエス・キリストによる救いを受け取って下さい。心からお勧めしたいと思います。
「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。