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Bible & Gospel

No.543 2010年08月22日 「自己中心から神中心へ」

おはようございます。高原剛一郎です!

 私は先日、とても感動的なレポートを読みました。最近増えているアスペルガー症候群など、発達障害に悩むお子さんが昔ながらの天然出汁を取ることで、劇的に症状が改善していくって言うレポートです。発達障害は相手の状況や気持ちを読み取るのがとても苦手になっていきます。こだわりが強く、予定の変更に強い不安感を抱き、周りから誤解されがちなんですね。専門医の治療も中々効果を上げることが難しいようです。ところが、ミネラルが豊富な天然出汁を取ることで、めきめきと別人のように変わっていく実例が、いくつも紹介されてあり、なんだか読んでいて希望が湧いてきます。

ミネラルが決定的に不足している

 実は、脳内の神経伝達物質を作るためには、6種類のミネラルが必要で、一つ不足するだけでも神経伝達物質は不足し、混乱がはじまるんですが、現在の食品のほとんどはミネラルが決定的に不足しているって言うんです。味はおいしく見栄えは良いけど、肝心のミネラルがすっぽり抜けた食品がほとんどだって言うんですね。いわばかすを摂り入れているのと同じだって言うんです。体は食品で造られていますから、何を食べて体に入れるかは、自分の体をどのように作っていくかにつながっています。
 良いものを摂り入れると、良い結果を生むんですね。これは肉体レベルだけの話ではありません。私たちの心も何を摂り入れ、何をよりどころにするかによって、人生そのものが変わってくると思います。

人生で一番大事なこと

 聖書は私たちを造って下さった創造主のことばです。この神さまのことばを心に迎え入れることが、私たちの人生の中で、一番大事なことなんですね。
 さて、その聖書の中に、次のようなことばがあります。
「私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。」

 ここに三つのポイントで、人が満ち足りて生きる秘訣が記されているように思います。

私たちは神の作品であるということ

 第一は、私たちは神の作品である。ということです。この作品ということばはギリシャ語ではポイエマーということばなんです。これは英語のポエムの原語となりました。作品とはつまりは詩という意味なんですね。詩人は自分の心からわき出る詩を書きます。長い詩もあれば、短い詩もあります。自由詩もあれば、定型句の俳句のような詩もあります。どれ一つ同じ作品はありませんが、しかし、作者の心から生まれたと言うことについては、共通しているんですね。人間は神さまによって生み出された作品で、しかも作者である神さまは一人一人の人間を、ご自分の最高傑作のように愛して作って下さったのだと。おっしゃるんです。

神の作品には存在目的がある

 第二に、人間という神の作品には、存在目的があるって言うんですね。それは良い行いをするために造られたということです。良い行いとは一体何でしょう。ひたすらまじめに生きてたら、それで人生OKという意味なんでしょうか。いいえ、ここで言う良い行いとは、神のみこころを行う行いのことなんです。実は人間とは神のみこころを行うために、造られたというんです。もっと言えば神のために造られたというんですね。自分のために自分の人生があるんではないよって語るんです。

世界は私のためと思う人は世界に苛立つ

 人生は自分のためにあると思って生きる人は、必ず、人生に腹を立てるようになると思います。なぜなら、人生はしばしば自分の思い通りにならないからです。世界は私のためにあると思って生きる人は必ず、世界に苛立ってくると思います。もし苛立たないとするなら、きっとその人の周りの人々が苛立っていると思います。なぜならその人にコントロールされる目にあっているからです。

幸せになるために結婚する人は不幸になります

 先日私は、ハワイの日本人が集まる家庭集会に行きました。そこには、二十数人の日本人女性がいたんです。四分の三が既婚者で、四分の一は独身女性です。その方々に対して私は言いました。自分を幸せにして入れる人と結婚しようと思う人、自分が幸せになるために結婚する人は、不幸になります。その時の反応は興味深かったですね。独身女性はみな目をむいて固まってしまったんですが、既婚者女性は皆さん涙を浮かべて深ーく頷いていたからです。なぜ幸せにしてもらおうと思って結婚すると、不幸になるんでしょう。相手に対して、自分を幸せにする義務を負わせる生き方になってしまうからです。幸せにする義務を負っている相手が、自分の考える幸せを運んでくれないと、必ず怒りや不満が出てきます。幸せにしてくれてもそれは当然だと言う態度になると思います。相手は私の幸福のために存在しているという態度は、人を支配する態度です。そして、大抵の人は、自分を支配する人から、離れて行きたくなるものです。

人生は私のためにあるのではありません

 人生は私の幸せ、私の願望、私の満足のためにあると考えている間は、幸せはやって来ません。実現しないのです。一時的に実現したと見えても、長く続きません。それは相手が悪かったからではなく、人生に対する前提が間違っているからです。人生は私のためにあるのではありません。私に人生を与えた神のためにあるんです。人間はこの神の最高の計画を実現するために造られました。ところが、神なき人生観にならされてしまっているがために、神がいないままで幸せになれる道を見つけ出せると思っているのです。しかし、それは不可能なことです。

すべてを備えて下さっている神

 第三に、神さまは私たちが最高の人生、良き行いを歩む人生に必要な能力も、タイミングも、体力も、すべてを備えて下さっている方なのだと言うんです。自分のことを小さいと思っているかも分かりませんが、神の計画に参加する人生の結末は、偉大ですよ。一体どのようにして、神さまの備えた人生計画に参加し、神が準備して下さった能力やチャンスをものにして、神の下さる命で生きて行くことが出来るんでしょう。キーワードはキリストにあって造られたということばです。

十字架は罪の結末からあなたを救うため

 人間は、真の神さまから遠く離れ、神なしに生きています。この神から離れた生き方のことを罪と言います。ここで言っている罪は、法律上の罪や、道徳的な罪と少し意味が違います。造り主である神さまに背中を向け、神を除外した生き方を罪と言うんですね。神の代わりに自分を神として生きる人生です。その人生の結末は、生きているときには不満、死んだ後は、永遠の裁きなんです。この罪の結末からあなたを救うために、キリストは十字架に架かって身代わりの刑罰を受け、死後、三日目に復活して下さったんです。どうぞ、あなたのためにいのちを投げ出して下さったこのイエス・キリストをご自分の救い主として、信じ受け入れて下さい。心からお勧めしたいと思います。


大和田広美:Everlasting Jpy
新約聖書 エペソ人への手紙2:10
 私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。