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Bible & Gospel

No.540 2010年08月01日 「人生を変革する3つの秘訣」

おはようございます。高原剛一郎です!

 先日、ある新聞に不思議な質問が載っていました。一万円と一円ではどっちが高いかと言うんですね。勿論一万円ですよね。ところが解説によると一円玉の方が高いって言うんです。実は一円玉を作るのに、1.4円かかるそうです。アルミニウムは現在大変高騰しているんですね。それに対して一万円札一枚刷るのに必要なコストは、80円で済むそうです。一円玉は原価を割った価値で値付けされているのに対し、一万円札の方は、単価の125倍の評価を受けているんです。

ひとり子をお与えになるほど尊い人間

 ものの価値はそれを作る人によって定められるんですね。それは人間についても言えることです。人間の価値は何で決まるんでしょうか。成績でしょうか。年収でしょうか。家柄でしょうか。いいえ、人間をお造りになった神によって決まるんです。そして、創造主は人間を神の作品の中で最も尊いものとして創造して下さったとおっしゃるのです。一体どれほどに尊く見て下さっているんでしょう。実にそのひとり子をお与えになるほどまでにです。

 今日は神のひとり子イエス・キリストが十字架にかかって伝えようとして神さまのメッセージをお伝えしたいと思います。

犯罪人たちとキリストの対話

 今から約2000年程前、キリストは罪が全くないのに十字架に架けられました。そしてその両側には、極悪なる犯罪人も同じように十字架処刑を受けていたのです。この十字架の処刑は、すぐには死ねない死刑なのです。ゆっくりと苦しみ、もがきながら、時間をかけて絶命していくという処刑です。そのため十字架の上に架けられたもの同士の間で会話があるのです。聖書はこの犯罪人たちとキリストの対話をきっちりと記録しているんですね。

わたしとともにパラダイスにいます

 一人の犯罪人はキリストをののしって、お前が救い主だったら俺たちを救ってみろと罵ります。しかし、もう一人の犯罪人がこう言うのです。「我々は自分のしたことの報いを受けているのだから、当たり前だ。だが、この方は悪いことは何もしなかったのだ。」そして言った。「イエスさま。あなたの御国の位におつきになるときには、私を思い出して下さい。」イエスは彼に言われた。「まことにあなたに告げます。あなたは今日わたしとともにパラダイスにいます。」

人生は自分のした選択の結果である

 ここに3つの真理が語られているように思うのです。  第一に、人生は自分のした選択の結果であるという真理です。人生は選べることと選べないことの組み合わせによってできあがっていると思います。選べないことって何でしょう。性別、家族、血液型、生まれてきた国、またその時代、私たちは自分で選びようのなかった条件の中で生きて居ますよね。しかし、選べなかったことを土台にして、遙かに多くの選べることに囲まれて生きてもいるのです。選べないことと同時に、自分で選べる無数のチャンスが人生の中にはあるんですね。

宿命と言うことば

 ところで、宿命と言うことばがありますね。宿に命と書いて宿命と読むんです。この宿、やどという字には前もってとか、前々からという意味があるんです。宿題というのは前もって出された課題のことです。宿敵というのは、前々からの敵のことです。宿痾というのは前世からの病気という意味です。そして、宿命というのは、前から定まっている運命という意味です。人生はどう選択しても決まっていて変えようがないという人生観です。それによると、犯罪人が十字架にかかったのも、宿命によって決まっていたので、本人の努力ではどうにもならなかったことだと言うことになるんですね。しかし、聖書はそういう考えを真っ向から否定します。犯罪人が十字架にかかったのは、十字架にかかるような犯罪に自分が手を染めたからです。そういう結末に至るような選択を彼ら自身が選んだからです。人生は選択で決まるんです。あくまでも自分の人生の責任は、本人にあるんです。それを認めることが福音理解の第一歩なんですね。
 この犯罪人はそれを認めていました。私たちは自分のしたことの報いを受けているので、当たり前だと言ったんです。

それでも神は私を愛している

 第二に、それでも神は私を愛している。それでも私は神に愛されていると認めることです。神さまは正しい人を愛するんではありません。罪を悲しむ憐れな罪人を愛するのです。間違った選択を続けて、落ちるとこまで落ちてしまった人も、神さまの愛からはもれてはいないのです。

神の愛と赦し

 先日ある集会に行きました。そこに自分の過去が赦されたくてたまらないという方がお越しになったのです。彼は友人にしたことを思い出すと、その友人に殴って欲しいと思うそうです。ところが殴られてもそれだけでは済まされない何かが残っていると言うんです。自分の考えた赦され方では赦されたことにはならないとおっしゃるのです。私は沢山の人を傷つけてきたひどい男です。」と男泣きに目を潤ませる方に私が伝えたのは、神の愛と赦しです。

良いメッセージは何度も聞くのが良い

 それでも神はあなたを愛している。それでもあなたは神に呼びかけられている。それでも神はあなたを赦すことが出来る。なぜなら、全く罪のないキリストがあなたの身代わりに裁きを引き受けて下さったからです。」と。それを認めると言うことなのです。一回聞いてもピンと来ないと言う方はそれでも私は愛されているって10回自分に向かって言い聞かせてみて下さい。それは神さまのメッセージですから、何十回反芻しても良いんです。良いメッセージは何度も繰り返し聞くのが良いんです。

ラストチャンス

 第三に、今日この瞬間、再び選択するチャンスが自分に与えられていると認めることなんです。この十字架に架けられた二人の犯罪人に、文字通りラストチャンスが与えられました。今までの人生がどうであれ、また、如何にに酷い生活をしてきたとしても、神はチャンスを与えて下さるのです。一番肝心なことは、今までどうであったかではなく、これからどこへ向かっていくのかと言うことなのです。過去はすでに過去です。それを帰るための選択は人間にはありません。しかし、未来については選択の余地があるんです。たといもうまもなく息を引き取ろうとしているその瞬間ですら、人は良き方向を選択することが出来るのです。永遠の地獄ではなく、永遠の天国を選び取るという究極の選択が残されているのです。それは人生最後の選択です。人の永遠を決定する選択なのです。

キリストを救い主として信じること

 一体どうすれば良い選択、永遠の天国という選択をすることが出来るんでしょう。あなたのために十字架に架かり、罪を引き受け、身代わりに死に、三日目に復活し、あなたの主として今、あなたを見守っているキリストを自分の救い主として信じることです。
 この選択をする人は、一人ももれることなく永遠のいのちを頂くのです。どうぞあなたもイエス・キリストを救い主として信じ受け入れて下さい。心からお勧めしたいと思います。


西 由紀子:アメイジング・グレイス
新約聖書 ルカの福音書23:42-43
 そして言った。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」