No.536 2010年07月04日 「愛と慰めと望みの神」
おはようございます。高原剛一郎です!
先日私は見知らぬ方からお手紙を頂きました。その書き出しは、「私は高原さんに手紙を書くような資格のない人間です。」で始まるんです。そして、3枚の便せんの7割くらい、みっちりと書いてあるのは、自分を卑下なさることばでした。「自分は汚く、卑しく、妬み深く、薄汚れ、何の取り柄もないだけではなく、ただ人に迷惑ばかりかけるものです。」と言うようなことが延々と続くんですね。
キリストと繋がることが人生の解決になる
私はそれを読んでいて、心が苦しくなりました。そこに書いてあるのは、謙遜ではなく、憎しみだからです。自分に対して向けられた憎悪が、ふつふつとたぎる手紙であったからです。お返事を書こうにも、宛名も住所もありませんので、今日のメッセージをお返事にしたいと思うのです。私が言えることは一つです。「どうぞ、イエス・キリストと繋がって下さい。」と言うことです。
では、キリストとはどんな方なんでしょう。何故キリストと繋がることが人生の解決になるんでしょう。
聖書はキリストのことをこのように紹介しています。
「どうか、私たちの主イエス・キリストであり、私たちの父なる神である方、すなわち、私たちを愛し、恵みによって永遠の慰めとすばらしい望みを与えてくださった方ご自身が、あらゆる良いわざとことばとに進むよう、あなたがたの心を慰め、強めてくださいますように。」
あなたを愛して創って下さった神
この神のタイトルに神があなたにして下さった3つのことが書いてあるんです。第一に、神であるキリストは、あなたを愛して創って下さったと言うことです。
ハッピー・バースディ・トゥ・ユーという詩
アメリカにドクター スースという詩人がいます。彼の書いた子供向けの詩に、ハッピー・バースディ・トゥ・ユーというのがあるんですね。こんな作品です。
もし、君が生まれてこなかったら、何になっていただろう。
魚かな、かえるなか、でももっと悪ければ、
君はいないやつ、だったかも知れないんだ。
いないやつ、ってつまらない。おもしろいことなんかなにもない。
いないやつはただいない。だってそこにいないんだから。
でも、君は君だ。それって凄くうれしいことだよね。
今、君は君なんだ。それは、どんな本当のことより、本当のことなのさ。
世界中の人の中で、君より君っぽい人なんて誰もいない。
大声で叫んでご覧。僕が僕で良かった。バクでもワニでもなく、
ホウホウ鳴くミミズクでもなくって本当に良かった。僕は僕なんだ。
こんなにすごいことって他にないよね。だから、自分に言ってあげよう。
ハッピー・バースディ・トゥ・ミー
神さまはあなたを愛して創って下さいました。神さまにはあなたのために立てた素晴らしい計画があるんです。素晴らしいプランがあるので、あなたを創って下さったんです。自分を見て、自分の価値をしることは出来ません。自分の作者の目を向けることです。あなたは偶然存在しているのではありません。神によって創られたのです。
罪人に永遠の慰めを下さった神
ところが、人間はまるで偶然発生したものであるかのように、自分を捉えているんですね。そう考える理由は、自分の造り主を見失っているからです。この自分の作者を除外した考えを聖書は罪って言うんですね。この罪のゆえに、私たちは自分の意味が分からないんです。しかし、この神さまは、恵みによって、罪人に永遠の慰めを下さいました。これが神がして下さった第二のことです。
最も大きな慰めは罪が赦されること
罪人にとって最も大きな慰めは、罪赦されることです。神はイエス・キリストを十字架の上であなたの代わりに裁くことで、あなたのすべての罪を赦して下さったんです。しかも、今までのすべての罪を赦して下さっただけではなく、これから死ぬまでの間、将来犯すであろうすべての罪まで赦して下さったんです。過去が赦されているだけではなく、これからも赦して下さるさらに罪を犯さないようにする力をも与えて下さるんです。
私は、自分の生涯に罪の赦しがずーっとこれからも続くと考えるととても深く慰められます。なぜなら、私はよかれと思ってしたことが実は間違っていた例、親切でしたはずのことが、返って相手を傷つけたりすることがあるからです。
赦されているから生きる勇気が湧いてくる
また、私は生まれつき、大変不器用なのです。スポーツでも、楽器演奏でも、勉強でも、兎に角飲み込みが悪いんですね。友だちは数回で出来るようになるようなことでも、私は何回も何十回も繰り返さないと身につきません。失敗を重ねてようやく、少しだけ身につくって言うのが、私なんです。それは大人になってからも変わりません。私はしくじってみて、初めて理解出来るタイプの人間なんです。しかし、あらゆるジャンルでしくじっても、どんな失敗をしても、「私には赦しがついて回るんだ。」と思うと、生きる勇気が湧いてくるのです。
素晴らしい望みを与えて下さった神
第三に、素晴らしい望みを与えて下さった。と言うんです。人生の一番最後に待ち受けているものは、死ですね。この死によっても打ち消されることのない望みこそは、本当に素晴らしい望みというのにふさわしい望みだと思うんです。神さまはキリストのゆえに信じた人たちの罪をゆるされればなく、永遠のいのちとその住まいである天国を与えて下さるんです。
死ぬってどんな感じなの?
クリスチャン作家キャサリン・マーシャルはケネスという12才の少年の物語を書きました。ケネスは不治の病に罹っているのです。どんどんどんどん衰弱していく彼は自分が死ぬんじゃないかと考えるようになります。ところが、今まで死とは何なのか。どういうことなのか、それを彼に教えてくれる人は誰もいませんでした。ある時重い余ってケネスはとうとうお母さんに質問したのです。「お母さん、死ぬってどんな感じなの? 死ぬって痛いの、死ぬってどういうことなの。」不意を突かれた母親は絶句し、こらえきれず、一旦部屋の外へ出るのです。そして、心を落ち着けながら、ケネスの所に戻りこう説明します。「ケネス、小さい頃のことを覚えてる。よく表でへとへとになるまで、遊んではふらふらになりながら家に帰ってきたわね。そして、自分で着替えることも出来ずにそのままお母さんのベッドで熟睡してしまったでしょう。でも、朝になって目が覚めてみるとあなたはパジャマ姿になって、自分の部屋のベッドにいることに気がついたでしょう。それは、お父さんがしっかりとあなたを抱きかかえて部屋まで運び、パジャマに着替えさせてくれたからですよ。死ぬってね。そういうことよ。目が覚めるとイエスさまがあなたのために用意してくれた部屋にいることに気がつくのよ。イエスさまはあなたのことを愛してくださっているから、あなたをしっかりと抱きかかえて、天国というあなたの部屋に連れて行き。かの日には栄光の体というパジャマを着替えさせて、あなたに輝かしい朝を迎えさせて下さるのよ。」
素晴らしい望み
これが人生の彼方に待っているなら、素晴らしいと思いませんか。そして、この素晴らしい約束こそが素晴らしい望みと言われるものなんです。どうぞ、あなたを愛し、あなたを慰め、あなたに素晴らしい望みを与えるキリストを、自分の救い主として信じ受け入れて下さい。心からお勧めしたいと思います。
どうか、私たちの主イエス・キリストであり、私たちの父なる神である方、すなわち、私たちを愛し、恵みによって永遠の慰めとすばらしい望みとを与えてくださった方ご自身が、あらゆる良いわざとことばとに進むよう、あなたがたの心を慰め、強めてくださいますように。