No.533 2010年06月13日 「人生を導く神の目的」

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No.533 2010年06月13日 「人生を導く神の目的」

おはようございます。高原剛一郎です!

 私の娘が大変楽しみにしているテレビ番組が一つあるんです。それは世界仰天ニュースという番組です。世界のあっちこっちで実際にあったびっくり仰天ニュースをドラマ仕立てで紹介します。

世界仰天ニュースという番組<

 今から数年前、この番組である事件が取り上げられました。アメリカのアトランタの裁判所に殺人容疑で捕まったブライアン・ニコルと言う男が連れ出されようとしていたのです。彼の周囲には15人ものガードマンががっちり脇を固めていました。ところがブライアンは突然暴れだし、ガードマンのピストルを奪い取り、そしてガードマンを撃ち、法廷の裁判官を撃ち、傍聴席にいたマスコミにも発砲し、裁判所の中を大混乱に陥れ、その好きに逃亡したのです。
 そして、とあるアパートに逃げ込みました。そこには一人の女性がいたのです。彼女の名前はアシュレイ・スミスと言いました。ブライアンは彼女を人質にとって立て籠もってしまったんです。ところがこの立てこもりの空間で人質となったアシュレイさんは、自分の身の上話を始めたのです。

5つの目的という本を学んでいたアシュレイさん

 数年前、夫は自分と幼い娘を残して、交通事故でなくなりました。余りのショックで彼女は麻薬に手を出してしまいます。やがて、薬物中毒になり、娘の養育権をなくし、どん底の中で薬物依存の治療を、クリニックに通うようになります。その病院は、クリスチャンの経営する施設でした。そして彼女はそこで、今も生きて働く救い主イエス・キリストと出会い、はっきりと信仰を持つんです。そして今では「毎日信仰の成長のために、5つの目的という本を学んでるのだ」といい、「今日も日課を果たしたいので、読んでも良いか」と犯人に問うのです。そして、彼女は犯人の前で、神が人間に持てる目的について、朗読し始めるのです。

犯人ブライアンは自首

 神さまは人間を崇高な目的のために、お造りになりました。ところが、人間は神を無視して生きる結果、自分に与えられている崇高な目的を見失っています。そして、単に生きることを目的にしたり、快楽に溺れたり、他人を貶めることに大切な人生を浪費してしまっています。しかし、神さまはまだ人間のことを諦めてはいません。人がどんなに落ちぶれても、その人に与えられている目的は、今でも有効なのです。もし悔い改めて、神に立ち返るなら、やり直すことが出来るのです。そんな話を聞いている内に犯人ブライアンは言いました。「俺にも神の目的があるんだろうか。」「勿論よ。あなたも神の形に似せられて造られた神の作品なんですよ。」ブライアンは彼女と共に神に祈り、そして自首しに行くんですね。どうしてそんなことをしたんでしょう。崇高な目的に戻りたいと渇望したからです。

100匹の羊の内の1匹の羊

 ある時、キリストは一つのたとえ話をなさいました。
「あなたがたの内に羊を100匹持っている人がいて、その内の一匹をなくしたら、その人は99匹を野原に残して、居なくなった一匹を見つけるまで探し歩かないでしょうか。見つけたら、大喜びでその羊を担いで帰って来て、友達や近所の人たちを呼び集め、居なくなった羊を見つけましたから一緒に喜んで下さいと言うでしょう。」

人間は迷子になった羊のような存在

 この譬えの中には、神が人間に対して願っていることが見事に言い表されています。人間は羊飼いの元を去って、迷子になっている羊のような存在であるとキリストはおっしゃったのです。ブライアンは何故めちゃくちゃな人生を生きてしまったのでしょう。自分にも崇高な目的があるとは知らずに、自分の欲望の赴くままを生きてしまったからです。しかし、人間には一人一人神による尊い目的があるんです。いや、神ご自身こそが人間の存在目的なのです。
 目的という字は目が見るべき的と書きますね。人が目を向けるべき的とは何でしょう。自分の造り主です。この神という的から目を背けて離れ去ることを聖書は罪と語っているのです。

キリストは連れ戻すために来られた救い主

 第二に、キリストはこの神から離れた人間を、神の元に連れ戻すためにこの世に来られた救い主だということです。それは丁度、迷子の羊を担いで連れ帰る羊飼いのような救い主だって言うんですね。

 私は羊を担ぐと言うことを聞くと連想するものがあります。イタリアの天才彫刻家ミケランジェロは生涯に何度も挑戦した作品モチーフがあるのです。それはピエタです。イタリア語で悲しみという意味です。具体的には十字架から撮り下ろされたイエスの遺体を母マリアが抱きしめる作品のことです。彼が手がけたピエタで一番有名なのは、サンピエトロ寺院にあるものです。それは彼が23歳の時に完成したののですが、その作品はマリヤの若さと美貌が飛び抜けていると言うことで有名なんです。しかし、ミケランジェロはこの作品で満足しなかったのです。彼は84才から亡くなる直前まで掘り続けた最後のピエタ、それがロンダニーニのピエタと呼ばれ、現在ミラノの美術館に展示されています。この作品はとうとう未完成のままに終わりました。しかし、そうであるにもかかわらず、多くの人々を魅了して止まない作品となっています。実はこの作品を背面から見ると、マリアがイエスに背負われているようにしか見えないんですね。ミケランジェロはこの構図に持って行くために、制作途中で大がかりな修正を加えたようです。その跡が残っているんですね。そして、ここに彼のメッセージが込められているようにも思うのです。一見、母マリアがイエスをねぎらっているように見えるけれども、実はイエスこそは、あの十字架の上でマリヤの罪を背負い、またその生涯のすべてを持って心配を背負い、また復活によってマリアの全存在を背負った救い主なのだということです。
 羊飼いは羊を担いで家に帰ってきました。キリストはあなたの全存在を神に受け入れていただけるものにして、あなたを担って天国にまで連れて行って下さる方なのです。

人生の目的を果たす力を与えて下さる方

 第三に、この方は私たちが人生の目的を果たすことが出来る力を与えて下さる方なんです。誰でもイエス・キリストを自分の救い主として信じ受け入れるなら、その人の内側に、聖霊という神の霊が宿って下さいます。この聖霊、神の霊、キリストの霊があなたの内にあって、あなたの人生を導いて下さるのです。

教えよりも案内される方がよく分かる

 私は今年の3月、とある山奥にある別荘をお借りして山ごもりを致しました。ところが、初日困ったことに、道に迷ってしまったんですね。余りの山奥で、カーナビにも案内出来ない場所であったのです。途方に暮れた私は車を降りて、地域の看板を見るんですが、T字路、三差路、十字路と複雑に入り組んでいて、何度地図を見ても分かりません。するとそこに一台の車がやって来ました。この山に別荘を持つ方だったのです。彼は言いました。私について来なさい。彼の車の後ろについて行くと10分も経たないうちに目的地にたどり着くことが出来ました。私はその時に教えよりも一緒に案内される方が、遙かによく分かるんだと実感したのです。
 聖霊はあなたの内側にあって、あなたを案内する方です。どうぞあなたもイエス・キリストを救い主として受け入れ、神の目的を実現する人生の中に入って下さい。心からお勧めしたいと思います。


国分友里恵:99匹の羊は
新約聖書 ルカの福音書15:4-7
 「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。見つけたら、大喜びでその羊をかついで、帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください。』と言うでしょう。あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。