No.532 2010年06月06日 「ことばと行動による救い主」
おはようございます。高原剛一郎です!
私の学生時代にはなかったんですが、今の学生が毎日欠かさずにしていることがあります。何でしょうか。Eメールですね。これは大変便利なものです。地球の裏側にいる人にも、茶の間にいながらにして、簡単に便りを届けることができますね。ビジネスでも欠かせないツールであります。しかしこのメールが返って人間関係を複雑にすることが少なからずあるって言うんですね。
メラビアンの法則<
例えば、待ち合わせの時にやってきた友人に「遅いっ」て言う場合、声のトーンで全然起こってないと言うことが伝わりますね。この場合、楽しい友人関係ののりで「遅いやん。」という風に言ってるんですね。しかし、文字だけで一言「遅い。」と来たら、受け取る側は思わず身構えてしまうに違いありません。どうしてそんなことになるんでしょう。これはメラビアンの法則に照らすと、よく分かるって言うんですね。では、メラビアンの法則って何でしょう。実は人との情報交換で伝わる情報は、顔の表情が55%、声のトーンやテンポが38%、ことばの内容はわずか7%の割合になるというコミュニケーションの法則なんです。実は相手に伝わる情報の多くは、言語に加え、非言語の情報も大きな役割を担ってるって言うんですね。言語のみの情報だけでは、読みが深くないと誤解してしまうんです。
神は愛、それとも残酷?
これは聖書についても言えることです。ある方は聖書を読んで、「神さまは愛そのものだ。」と言って、毎日欠かさずページを繰ります。かと思うと別の方は聖書を読んで、「神はなんて残酷なんだ。何と冷血なんだ」と言って、閉じてしまわれるんですね。同じ聖書を読んでるのに、ある人は神の愛を読み取り、ある人は正反対のメッセージを受け取るのは、何故でしょう。どちらかが私的解釈に陥っているからだと思います。神さまのことばを正しく理解するためには、神が実際にして下さったことに基づいて考えてみると言うことが助けになると思います。
そこで今日は、神がイエス・キリストにおいて私たちのためにしてくださったことをご紹介しましょう。
聖書にこう書いてあります。
「キリストは自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」
神から捨てられて下さったキリスト
ここにキリストがして下さったことが3つ記されています。第一に、「キリストは自分から十字架の上で、私たちの罪を負って神から捨てられて下さった。」ということです。キリストは公衆の面前で全裸にされ、体に釘を打ち込まれ、世にも無残な殺され方で、息を引き取りました。そして、この惨たらしい現場は、当時の人々の前にさらけ出されて示されたんです。
最も強烈な無言のメッセージ
以前、パラグアイの軍事政権の時代のことです。この国に住むあるお医者さんが当局の人権侵害と横暴について、批判をしたのです。その事実を知った地方警察当局は、すぐに動きました。何と報復として、彼の十代の息子を逮捕し、拷問にかけ、そして殺害したのです。それを知った村の住民は激怒し、この少年の葬儀を抗議のデモにしようとしました。しかし、少年の父親は別の手段を選んだのです。彼は拘置所で発見した息子の遺体を葬儀の場で、そのままに公開したのです。息子の体は裸のままでした。前進に電気ショックのあざがあり、棒で殴られた傷があり、たばこの火を押しつけられたやけどの後が無数に残っています。住民全員が列をなして進んでいった先頭には、棺の中にきれいに納められた遺体ではなく、血まみれのマットレスに横たわる息子の遺体があったのです。親ならば見るに忍びない傷だらけの息子の体を何故父親は公開したのでしょうか。それこそが軍事政権に対する最も強烈な無言のメッセージとなるからです。
最も強烈な神のメッセージ
キリストの体もあの十字架の上で、傷だらけのままに放置されました。息を引き取った後も、槍で脇腹を突き刺されました。たった6時間で絶命するほどの恐るべき殺戮です。神はこのキリストの死を1つも隠しませんでした。なぜなら、このキリストの傷だらけの死こそ、人間の罪のすさまじさを物語るものであるからです。と同時に、その罪深い人間が救われる道は、「この罪のない方がここまで苦しむ以外になかった。」ということを示す神の強烈なメッセージであるからです。キリストの死は、ただの死ではありません。あなたの罪を永久処分するための死なのです。
キリストは私たちが生きるために死なれた
第二に、キリストがこのように死なれたのは私たちが罪を離れ、義のために生きるためなのです。
You Tubeというサイトに感動的なアメリカのニュース映像があります。テネシー州のダイアーズバーグに住む92才のあばあちゃん、ポーリン・ジャコビーさんのニュースです。ある日、彼女はウォールマートという大型ショッピングセンターで買い物をして、そして車に乗り込みました。すると助手席にピストルを持った男がさっと乗り込んで来て,「金を出せ、さもないと撃ち殺すぞ。」と脅したのです。ところが、ポーリーさんはこう言ったそうです。「あんたが私を撃った瞬間、私は天国に行く。救われてるからね。しかし、あんたは地獄へ行く。救いを持っていないからね。」そして、こう言ったと言うんです。「この車にはイエスさまがいっしょに乗ってるんだよ。なにしろ私の行くところどこにでも、主は共におられると約束しておられるんだ。」さらにこう言いました。「あんたが破れかぶれの人生を生きるのは、あんたの罪を解決した方がいると知らないからだろう。」そう言って10分間キリストの福音を宣べ伝え、さらに10ドル紙幣を自分の意志で与え、「いいかいアルコールに使っちゃあだめだよ」と念を押しそして送り出したのです。犯人は泣きながら彼女にキスしてその場を離れていきました。まるで放心状態で。
人が義のために生きず、やけくその人生を生きるのは何故でしょう。やり直しのチャンスはもうないと、諦めているからです。しかし、あるんです。キリストの十字架と復活が、あなたに新しい人生を与えることが出来るんです。
傷は傷をいやす
第三に、キリストの打ち傷のゆえにあなたがたはいやされたという不思議なことばです。
あなたの救い主は無傷の救い主ではありません。誰よりも酷い目に遭わされ、誰よりも不当に扱われ、誰よりも残酷な羞恥を受けた方です。身も心もずたずたになりながら、十字架について、あなたの赦しを執り成した方なのです。この傷だらけのキリストがあなたをいやすというのです。普通、傷や病気のいやしは健康な人がいやしの立場に回るんですが、聖書は傷は傷をいやすと語るんですね。不思議なことばですが、私はそれを経験しました。
キリストの傷はあなたの傷をいやす
先日、妻の死について書いた私の本を読んだ方と電話でお話したのです。私はその方のお許しを得て今話をしています。彼には一人娘がいました。とても美しくて賢くて気立ても良くて、歌のうまい素敵なお嬢さんです。しかし、彼女は亡くなりました。自死でした。私は何と声をかけて良いのかことばが見つかりませんでした。ただ一緒に泣くだけです。ところが、電話を切った後私の中に何とも言えないすがすがしい気持ちが湧いてくるのです。悲しみの傷を見た後なのに、暗い思いではなく、私の中の悲しみがいやされているのです。不思議なことですが、傷は傷をいやすんですね。そして、キリストの傷はあなたの傷をいやすんです。どうぞ、このキリストを信じ受け入れて下さい。心からお勧めしたいと思います。
そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。