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Bible & Gospel

No.531 2010年05月30日 「勇敢に生きるために」

おはようございます。高原剛一郎です!

 幕末、長州藩の革命児に高杉晋作という人がいました。何度も修羅場をくぐり抜けてきた人ですね。彼はいくつか肝に銘じていることがありました。その一つは、「絶対に困ったということばをはかない。」ということです。なぜなんでしょうか。困ったということばをはいた途端に知恵が出なくなることを経験で知っていたんですね。困ったことがある度に、いやどこかに道がある。いや何かの解決があると考えることで、困ったトラブルに打ちのめされないようにしてきたっていうんですね。

具体的な解決を約束したキリスト

 今日私は、どこかに道があるではなく、もっと具体的な解決を約束したキリストのことばを紹介したいと思うのです。十字架にかかる前日、イエス・キリストが弟子たちに語られたことばです。

 「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」

この世で勇敢に生きる秘訣

 この世で勇敢に生きる秘訣って一体何なんでしょうか。第一に、この世では患難がある。この世とは患難がある世界だと認識することです。

断食道場

 皆さんは断食道場ってご存じですか。体質改善のために断食を指導するところですね。三泊四日ぐらいで断食するそうですが、ゆっくり減らして適度な運動もして、完全に断食に持って行って、そして宿便を取り、終わるときにも重湯から食べ始めてと、まあいろいろな専門的な指導をして下さるそうです。ここで体質改善した人はアトピーが治ったとか、偏頭痛が治ったとか、味覚が変わったりするそうですね。飽食がいかに体に悪いかを思い知らせてくれるところです。

認識が間違っている

 ところで、断食道場に行ってグルメなフルコースが出ないといって文句を言う人はいないと思います。そこは食を絶つのが目的の場所であるからです。食べたいんだったら、断食道場を出てレストランに行くべきなんですね。断食道場でごちそうが出ることを期待する人は、認識が間違っているんです。それと同じように、この世で完全な幸せをつかもうとするのは、認識が間違っていると聖書は語るんです。

この世はパラダイスではありません

 この世では、完成された幸せなんかはありません。もちろん、ささやかな幸いや幸せな時期がいくらか続くと言うことはあるでしょう。しかし、基本的に、この世は完成された世界ではないんですね。ここでは、別れがあります。病気になります。トラブルに巻き込まれます。地震にもあうでしょう。裏切られることもあるでしょう。だまされることもあり得るのです。そして、何よりも死というものが支配する世界なんですね。仮に一生に亘って良いことしか起こらなかった人、良いことしか経験しなかった人がいたとしても、その最後は死です。それまでの人生が麗しいものであればあるほど、結末が死であるならば、一層残酷になるのではありませんか。この世はパラダイスではありません。陰があります。苦しみもあります。患難があるんですね。ではこの世に置かれてる意味って何なんでしょうか。ただ苦しむことが目的なんでしょうか。違うんですね。この世に生きる目的は、この世で幸せになることではなく、人間として成熟していくところにあるんです。ここは天国ではありません。道場なんですね。道場での修行には楽しいこともありますが、辛いこともまた避けることは出来ないんです。

人生最大の問題は克服済み

 第二に、人生最大の問題は、イエス・キリストにおいて克服済みであるということを信じることです。人生にとって最大の問題って何でしょう。それは死の問題です。しかし、死の問題を解決するためには、死の原因が解決されなければならないんです。では、死の原因とは一体何なんでしょう。それは罪なんです。罪とは神に対する反逆です。神といういのちの源と断絶していることなんです。この罪が人間に死をもたらしたんですね。しかし、キリストはこの罪をご自分の身に背負って下さいました。そして、十字架の上で私たちの身代わりとなって罪に対する裁きをことごとく引き受けて下さったのです。そして、完全なる償いを果たし終えて下さったんです。ですから、この方には人を赦す権威があるんです。人が神に完全に赦されるために必要なことをことごとく成し遂げて下さった方なので、この方の語る赦しには権威があります。有無を言わさぬ赦す力があるんです。このキリストがおっしゃったんです。わたしはすでに世に勝った。わたしはすでに世に勝ったのですとおっしゃったのです。世が人に与える死も、罪責も、失望も、裏切りも、悲惨も、恐れるに足りない、なぜならキリストはそれらすべてを十字架と復活によって粉砕されたからです。

この世では患難がある

 第三に、「この世では患難がある」とおっしゃったんです。この世では患難があるということは、「患難があるのはこの世にいる間だけです。」という意味です。患難はいつまでも永久には続きません。この世に居る間だけです。患難が一切ない世界がクリスチャンには用意されています。それは天国です。この天国こそは、神が準備された究極の世界なんですね。そこはもはや悲しみがなく、叫び、苦しみがなく、そして、死のない世界です。そして、神さまによってすべてが完成している世界です。私はそこに至ることを心の底から楽しみにしています。私はクリスチャンになって以来、いつも心の中に湧いてくる感覚があるからです。それは一言でいうと不全感なんです。自分がいかに欠けているのかという感覚ですね。

いつも心の中にある不全感

 例えば今私はラジオでメッセージを語っています。準備している時には、「これを語りきったらもう思い残すことはない。」と思うんですが、語る度に「いや、イエスさまのすばらしさはこんなもんじゃない。救いのすばらしさはこれっぽっちじゃない。福音の偉大さは、今私が語ったことを余りにも大きく超えている。」という思いを禁じ得ないのです。
 また、自分の信仰生活を顧みてもなんと荒っぽく手抜きで、情けないんだろうと地口たる思いになるんです。毎日朝起きたときにはさあベストを尽くすぞと思うんですが、一日振り返って見るとやることなすこと、自分だけが知っている粗が見えてきます。本当にその時ため息をつきたくなってくるんですね。しかし、同時に喜びもまた湧いてくるのです。それは、いつまでもこの状態が続くのではないと言うことを知っているからです。やがて、神がこの不完全、未完成の私を完成して下さることを知っているからです。今の不全感が深いものであればあるほど、完成された時の満足感もまた深いものになると、知っているからです。

終わりよければすべて良し

 そして、この世で、手放した多くのものを天国では何万倍にもして与えられることを知っているのです。その中には私より先に天国に召された愛する人たちがいます。私は彼らと再会出来るのです。終わりよければすべて良し。どうぞあなたも勇敢に生きる秘訣を自分のものとして下さい。即ちイエス・キリストを救い主として信じ受け入れて下さい。心からお勧めしたいと思います。


Tomomi:あなたのように
新約聖書 ヨハネの福音書16:33
 わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。