No.528 2010年05月09日 「唯一の救いイエス・キリスト」
おはようございます。高原剛一郎です!
さて、スタンフォード大学の心理学の教授に、ローゼンハンという人がいます。ある時、彼は7人の仲間と一緒に実験をしたんですね。自分を含む8人が、それぞれ精神病院に行って、病気に罹った振りをして専門のドクターから診断を受けるという実験です。
8人はそれぞれ「幻覚を見た」とか、「幻聴を聞いた」とか、症状を訴えます。その結果1人は躁鬱病、7人は統合失調の診断を受けるんです。即刻入院となった彼らは、ドクターに事の真相を打ち明けます。「実はこれは心理学の実験のために、ウソをついて入院しました。実験は終わったので、出して下さい。」
賢い専門家ほど事実が見えなくなることがある
ところが、どこの病院でも彼らを退院させることがなかったんです。偽の患者になりすまして心理学の実験をしているという話そのものが、妄想であり、病気が本物である証拠だを決めつけられてしまったからです。
ところが、入院中本物の患者さんたちはみな彼らが偽患者だと言うことを見抜いていくんですね。「あなたは病気じゃありませんね。何らかの目的で病院内を探るために入り込んだんでしょう。」と実に鋭い指摘をされるんです。
精神医学の教育を受けたことがない患者は、正確に彼らの正体を見抜くことが出来たのに、高度の医学と訓練を学んできたドクターたちは、見抜くことが出来なかったのは何故でしょう。
患者たちは相手の話すことに耳を傾けたけれど、ドクターたちは診断基準のマニュアルを絶対視したために、それに基づいて下した診断に誤りを認めることが出来なかったのです。不思議なことですね。賢い専門家ほど事実が見えなくなることがあり得るんです。
まず相手の言い分に耳を傾けてみる
これは、神さまについても言えることですね。日本では、多くの人が神なんかいない。創造主などいない。人間は無生物から進化したものであって、神に作られた作品なんかじゃない。と、賢く専門知識を持っている人が言い張ります。しかし、その賢さと専門性そのものがひょっとしたら、事実を見えなくさせているのかも知れないのです。まずは自分の確信を脇へ置いて、相手の言い分に耳を傾けてみると言うことが、大切ではないでしょうか。
私たちへの神のメッセージ
聖書は神の言い分が語られている書物なのです。この聖書の中に私たちへの神のメッセージがはっきりと啓示されているんですね。こう語られています。
「神は唯一です。また、神と人との仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。キリストはすべての人の購いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされた証なのです。」
神は唯一です
このみことばを3つのポイントで解説致しましょう。
第一に、「神は唯一です。」ということです。
神は唯一絶対の存在者です。って語るんですね。たくさんある神々は、真の神ではありません。人が神と呼んで作った偶像や宗教に過ぎないんです。しかし、人が作った神々ではなく、人をお造りになった創造主はおられるのです。
ハイパービーイング
動物学者に藤原英二さんという方がいらっしゃいます。この方はとてもおもしろいことを書いていらっしゃいました。「我々は普通死人を見るとぞっとするとか、気持ちが悪いとか言います。しかし、死体というのは基本的にものです。物質というのは、そもそも動かないのが普通です。ですから、それが動いたり、しゃべったり、考えたりする方が本当は不気味なことです。仮にマネキン人形が一斉にダンスをしたり、ケラケラ笑い出したら、ホラーの世界です。ものなのに動くのは気持ちが悪いくらいあり得ないことだと言えるんです。ところが、我々は、毎日自分で起き上がり、歩き出し、食事をし、排便し、怪我をしても治ります。この誕生から死までの間のプロセスこそ本来あり得ない奇蹟中の奇蹟と言うべきではありませんか。どんなに時間をかけても普通は起こらない現象が奇蹟ならば、私たちの存在こそ奇蹟と呼んで良いのではありませんか。そして、奇蹟であるならば、それを起こした存在がいるのではありませんか。」とおっしゃるんです。
彼はこのいのちの造り主のことをハイパービーイングと呼びました。訳すと至高なる存在者という意味です。この至高なる存在者を聖書は、唯一の神、創造主、あなたの造り主と呼ぶんです。
人間は罪の赦しを必要としているもの
第二に、「人間は神の前に罪の赦し、購いを必要としているものだ。」ということです。
先日、クレジットカードで買い物破産した女性のことがテレビで放送されていました。彼女は自分の年収を遙かに上回るような買い物を続け、とうとう返済に困ってしまったんです。カメラはワンルームマンションの彼女に部屋に入って行きます。扉を開くとそこは正に倉庫なんですね。買ってきたものが天井まで積み上げられているんです。不可解なことに封も開けられていないままになっている商品が少なからずあったんですね。「どうして使わないものまで買ったんですか。」という質問に対し、彼女は言いました。「お店で買い物をすると、店員さんが優しくしてくれた。まるで自分の親友のように服を見立ててくれた。ほめてくれた。喜んでくれた。それがうれしくて買い物が止められませんでした。」と言うんです。
彼女が求めていたのは、商品ではなかったのです。彼女に優しく声をかけてくれる人格を求めていたのです。しかし、店員さんが彼女に優しいのは、彼女が買ってくれるからです。お金を落としてくれるから、利益をもたらす人であるからですね。
今、利益どころか借金だらけで首が回らなくなった彼女のことを誰が愛してくれるでしょう。誰が親切にしてくれるでしょう。そんな人いないんですね。
罪という借金
しかし、聖書は語るんです。キリストは、罪という借金でどうにもならなくなった私たちを愛して下さったのだと。そして、すべての人の購いの代価としてご自身をお与えになったと語るんです。購いというのは買い戻すことをさすことばです。あなたを罪とその結果である死から買い戻すためにキリストはご自分のいのちを十字架の上で、捨てて下さったって言うんですね。
最大の親切となる完全なる弁護
第三に、「このキリストは死から復活して神と人とを結ぶ仲介者となられた」ということです。
ある方はこう言いました。「もしあなたが誰かの噂を聞いて、それを人に言いふらしたくなったら、3つの関門をくぐらせなさいと。第一の関門、それは本当ですか。第二の関門、それは必要ですか。第三の関門、それは親切なことですか。真実で、必要で、親切な行為となるなら、それを言いふらしなさい。」って言うんですね。
キリストは神とあなたの間に立つ仲介者です。あなたに関するすべてのこと、あなたの祈るすべてのことばについて、執り成しをして下さる方です。そして、あなたの告白の真実の部分をすくい上げ、あなたに必要な赦しを与え、あなたにとって最大の親切となる完全なる弁護を神に対してして下さる方なのです。どうぞ唯一の神に唯一の救い主によって信仰を表明して下さい。心からお勧めしたいと思います。
神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。