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Bible & Gospel

No.526 2010年04月25日 「空しさの回答イエス・キリスト」

おはようございます。高原剛一郎です!

 さて最近幕末から明治維新にかけての物語が随分注目されていますね。日本の開国はペリーの黒船事件からはじまりますが、あの黒船事件から6年後、ヘップバーンという宣教師がアメリカからやってきました。当時の日本人はヘップバーンという発音が難しいので、ヘボンと呼びました。やがて彼は和英辞典を作りますが、その時に使われたローマ字がヘボン式ローマ字と言われるものです。そしてヘボン夫人の開いた英語塾が、後の明治学院大学やフェリス女学院になって行くんですね。

眼科医ヘボンの忠告

 実はヘボンさんは、眼医者さんでした。日本に着くと早速診療所を開業しながら、伝道したんですね。ある時、上海から消毒用に使う貴重なメチルアルコールが届いたのです。彼は日本人の使用人たちに注意を与えました。「いいですか。これは絶対に飲んではいけません。飲めば命取りになりますから。」そういうと使用人たちに小瓶に詰め替えさせていたんですね。ところが使用人たちは、作業中にその臭いを嗅いでこう思ったんです。「これは西洋の焼酎に違いない。これを飲まぬ手はないぞ」と。

メチルアルコール事件

 その晩のことです。彼らは昼間嗅いだ西洋焼酎を飲むために示し合わせてやって来ました。そして、ほんの一杯だけと言いつつ、ぐいっと飲み始めたのです。どうなったでしょう。全員、意識不明の重体です。たまたま夜中に夫がいなくなったのをいぶかった妻の一人が、この有様を発見し、悲鳴を上げ、大騒ぎになりました。ヘボン夫妻は現場に駆けつけ、必死の看病の末、朝までに全員が一命を取り留めたのです。
 使用人たちは、主人の注意を無視し、盗みを働き、その上治療の面倒まで見てもらったので、もうことばもありません。てっきり首になると思ってたのです。しかし、ヘボンはとがめず、一言こう言ったんです。私はアルコールが惜しくて飲むなと注意したのではありません。あなた方の命が大切だから、注意を出しておいたのですよ。

幸せになる秘訣とは

 人は誰かに何かを禁止されると、不自由さを感じたり、束縛間を感じたり、悪意を受け取ったりしますね。それは聖書に対しても同じです。聖書の中には人間に対する警告や注意で満ちているからです。しかし、聖書の中で人にしてはならないと注意がある理由ははっきりしています。それをすると人が不幸になるからです。聖書は人間の幸せを願って語られた神のことばなのです。もし人が不幸になりたければ、簡単です。聖書が勧めることをせず、禁じることをすることです。もし人が幸せになりたいなら、それも簡単です。聖書が勧めることを受け入れ、禁じることをしないことです。

 では聖書は何と語っているんでしょう。
「主はこう仰せられる。あなた方の先祖は、わたしにどんな不正を見つけて、わたしから遠く離れ、空しいものに従って行って、空しいものとなったのか。」

聖書が語る最大の禁止事項

 聖書が語る最大の禁止および注意事項がここに書かれてありますね。それは神から遠く離れるということです。あなたの造り主をすっかり忘れて生きるということです。あなたの作者に背中を向けて創造主などいないかのような人生観で生きることです。もし人が創造主を捨てて、離れるなら、神の代用品という空しいものにすがりついて生きるようになります。そして、空しい人生、空しい人になってしまうって言うんですね。神から離れると、人間は3つのものを失って空しくなります。

神から離れると人生の目的を見失う

 第一に、人生の目的を見失うのです。先月、私は子供の高校の卒業式に行きました。前もってネットで駅からの行き方を調べておいたのですが、実際に行ってみると随分迷ったんですね。なぜでしょうか。西改札口に出るべきなのに、東改札口に出てしまったからです。最初のスタート地点を間違うとゴールにたどり着けなくなるんですね。多くの方は、人生の目的を探るのに、自分を出発点にして考えます。自分は何に向いてるのか。何に興味を持てるのか。やりたいことは何なのか。それを見つけて生きるのが、人生の目的だという風に言うんですが、ところが、実際好きなことをやっているのに、空しさを抱えている人はいくらでもおられるのです。人間を出発点に人生の目的を探っても、本当のゴールには行き着くことは出来ません。なぜなら、出発点が間違ってるからです。あなたを人間としてお造りになった作者の意図を知ることこそ、あなたの人生の目的を知る第一歩なのです。

神から離れると永遠不変の愛を見失う

 第二に、永遠不変の愛を見失います。どんな人でも愛されたいと思っていますよね。本屋さんに行ったらいかに愛される人になれるか。愛される女性になるためにどうしたらいいか。頼られる男性になるにはどうしたらいいか。慕われるリーダーになるには、どうしたらいいか。まあ、愛に関係する本が沢山ありますね。しかし、共通しているのは、愛されることを求めることばかりで、自分が愛するにはどうしたらよいかについて語る本はほとんどないということです。人は、愛してくれる人を愛します。ならば、まず愛することが出来る人になればいいと言うことになりますね。しかし、これが難しいのです。逆説になりますが、愛の人となるには、まず自分自身が無条件にして、いつまでも続き、時と共に色あせない愛で愛されることです。しかし、そのような愛は誰も持っていません。ただ、神だけがあなたを永遠に変わらない愛で愛しておられるのです。そして、その愛を形あるものに示すために、人となってこの世に生まれ、罪なき生涯を送り、十字架にかかってあなたの代わりに罰を受けて下さったのです。すなわち、イエス・キリストこそは神の変わらない愛の証拠なのだと聖書は語るのです。

神から離れるといのちを失う

 第三に、神から離れる結果、人はいのちを失いました。すなわち、人は死ぬものとなってしまったのです。この死という現実の故に、人間の幸せはめちゃくちゃになりました。ひょっとしたら、私は神さまなんかなくても十分今のままで幸せで、人生エンジョイしてます。という方も或いはいらっしゃるでしょう。しかし、死の解決がないならば、死ぬまでの間が充実していればいるほど、最後はギャップが大きく悲惨が大きくなるのではないでしょうか。実は、人は幸せなのではなく、不幸せに気がついていないだけ共言えると思うのです。人生の最後に死という恐るべき現実が待ち構えており、その運命を変えるすべがないとするならば、途中経過が幸せであったとしても、それは空しい幸せです。なぜなら、人は最後に滅びるために生きているということになるからです。最後に失うために用い、最後に別れるために出会い、最後に苦しむために愛するとするなら、人生とは何と空しいものではありませんか。しかし、キリストは死からよみがえることで、死を滅ぼして下さったのです。このキリストの中に、人生の目的も、変わらない愛も、永遠のいのちも、備わっているのです。どうぞ、あなたもイエス・キリストを救い主として信じて下さい。心からお勧めしたいと思います。


シンバル:ここに愛がある
旧約聖書 エレミヤ書2:5
 主はこう仰せられる。「あなたがたの先祖は、わたしにどんな不正を見つけて、わたしから遠く離れ、むなしいものに従って行って、むなしいものとなったのか。