No.524 2010年04月11日 「永遠のいのちを得るために」
おはようございます。高原剛一郎です!
今から半世紀ほど前、アメリカにビースチールという製鉄会社がありました。ここの社長さんは、いつも猛烈な忙しさに追われていたのです。それで当時、大変有名であった経営コンサルタントのハイビー・リーという人に時間管理の秘訣を尋ねたのです。するとハイビー氏は言いました。「高くつきますよ。」「いや高くついても結構です。是非教えて下さい。」まもなく、彼から社長さん宛に便せん一枚だけの手紙が届きました。しかもそこにはたった4行しか書いてないのです。一体何と書いてあったんでしょう。
時間管理の四つの秘訣
第一、寝る前に次の日にすることを熟考する。第二、それを6つくらいに絞り込んで、優先順位を付ける。第三、翌日その紙をポケットに入れて出社する。第四、会社についたら、必ず書いたとおりに一番から実行する。
それに対して、二万ドルの請求書が添付されていました。当時は1ドル360円即ち約700万円のコンサルタント料を支払ったのです。しかし、この4項目は後に、6万ドル以上の成果をもたらしたと社長は言うんです。時間の使い方は、人生を変えていきます。なぜなら、人生とは、時間ということも出来るからです。人生80年とよく言いますが、80年というのは列記とした時間なんですね。限られた時間の中で、優先すべき物を優先し、どうでも良いことは捨てて身軽になっていくということは、とても大事ですね。ところで、キリストもまた私たちに永遠の時間、永遠のいのちを得る秘訣を語っておられることをご紹介したいと思います。
永遠のいのちを自分のものにするためには
キリストは十字架に架かる直前、神ご自身に向かってこう語られました。「永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。」
ここには人が永遠のいのちを自分のものにするためにどうしたらよいかが語られています。2つのものを知ることだと言うんです。
唯一の真の神を知ること
第一に、唯一の真の神を知ることです。あなたの造り主の主権を知ることです。なぜでしょう。この世界をお造りになった神こそ、あなたのいのちのルーツであるからです。
ある時私は、長野駅から在来線に乗って栄村という新潟に近い村に行きました。積雪量世界一の駅としてギネスブックに載っているところです。それはもう山の奥の奥にある村なんですね。私は電車に乗ってかなりの時間をおいて景色を見ました。ところが、どうも変なんです。どんどん都会になって行くんですね。「おかしいなあ。前もって聞いている景色を違うぞ。」それで車掌さんに尋ねると、何と逆方向の電車に乗ってるということが分かったんですね。進めば進むほど、聞いていたのとは違う風景になっていったので、方向が違っていることに気がつけたのでした。ところで、人間の中で不幸になるために生きている人はいないと思います。誰もが幸せになりたいと思って知恵を身につけ、経験を積み、自分を磨いているんだと思うんですね。ところが、人間は進めば進むほど、幸せになるのではなく、幸せから遠のいているのではないでしょうか。幸せになるための能力はどんどん劣化して行っていると言うことが出来るんではないでしょうか。
大人になれば難しくなること
例えば、人を赦す能力です。幼い頃は、兄弟喧嘩しても、30分のしたら、仲直りして手をつないで寝てたりしますね。しかし、成長し、大人になればなるほど、立派になればなるほど、和解することが難しくなっていくのではありませんか。よくしてもらっているのに、感謝が出来なかったり、自分が悪いと分かっていてもごめんなさいと言えなくなるのではありませんか。この自己中心の性質はいつから始まったんでしょう。初めから人のいのちにあるんです。
赤とは全くないという意味
生まれたばかりの子供を赤ちゃんって言いますね。どうして赤ちゃんって言うんでしょう。実は、赤ということばには全くないという意味があるんです。赤の他人っていうのは、全く関係ない人のことです。赤貧というのは全く何もない貧しさのことなんですね。赤ちゃんというのは、全く罪とか汚れがない子どもという意味なんです。しかし、赤ちゃんや幼子にも、罪の性質はちゃんと入っていますよね。
幼い子どもにもある罪の性質
我が家に2番目の男の子が生まれるとき、私は長男をしばらく友人の家に預けておりました。やがて妻が出産を終えて家に戻りました。長男はまだ2才になる前でしたが、お母さんに会える喜びでいっぱいです。ところが、いざ母親と対面したとき、彼は抱きつきに行かなかったのです。抱きつきに行こうにも、別の子どもが母に抱かれていたからです。彼はこの弟という見知らぬ生き物を睨み倒してました。嫉妬の炎がめらめらと燃え上がっていたのです。やがて、3番目の子どもを授かったときには、上の二人が新参者を睨み倒してたんですね。つぶらな瞳が憎しみの目になるのを見ながら、ああ、人間には罪の性質が宿っているんだなあと認めざるを得ませんでした。どうして人間は、生まれながらに罪の性質が宿っているんでしょう。どうして幸せを求めて進むのに、人生の最後は、死という不幸が待っているのでしょう。スタート地点を間違ったまま、進んでいるからです。神という祝福の源、いのちの源から離れて生きているということが、不幸の原因なのです。
私たちはまず神に立ち返らなければなりません。神さまに戻らなければならないのです。戻るべき神がおられることを知らなければならないんですね。人がこしらえた宗教の神ではなく、人をお造りになった作者を認めるということなのです。
神が遣わされた救い主イエス・キリストを知る
第二に、神が遣わされた救い主イエス・キリストを知るということです。神を知るだけでは十分ではありません。ゴールを知るだけではなく、ゴールに行き着く道を知らなければならないのです。キリストはあなたと神をびしゃっと結びつけるためにこの世に来られた救い主なのです。
別のものが立ちはだかって光が届かなくなる
私が高校生だった頃、よく友人の部屋に泊まりに行ったものです。東向きの日当たりの良い部屋です。居心地抜群でみんなのたまり場になっておりました。ところが、ある時から日当たりが悪くなってしまったんですね。すぐ隣に、別の家が建ったからです。太陽が暗くなったわけじゃないんです。太陽と部屋の間に別の建物が立ちはだかったがために、光が届かなくなってしまったんです。
神さまは今もって祝福に満ちた神です。神は変わりません。しかし、神と人との間に、罪という遮蔽物が立ちはだかっているがために、神さまの祝福が、届かないのです。この罪という遮蔽物を取り除くためにイエス・キリストがこの世に来られたのです。
イエスこそ救い主なのです
イエス・キリストはおっしゃいました。「その永遠のいのちとは、彼らが唯一の真の神であるあなたとあなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。」と。イエスというのは人の名前です。キリストというのは救い主という意味の称号なんですね。そしてここでイエス様は自らのことをイエス・キリストを知ることです。イエス・キリストと名乗っておられるんです。即ち、「わたくしイエスこそ救い主なのですよ。」と自己主張されているのです。どうぞあなたもイエス・キリストを自分の救い主として信じ心の中に受け取って下さい。そして、永遠のいのちを頂いて下さい。心からお勧めしたいと思います。
その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。