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Bible & Gospel

No.520 2010年03月14日 「明治に息づく福音の息吹」

おはようございます。高原剛一郎です!

 先日、ある世論調査で理想的リーダーとして挙げるなら誰でしょう。という問いかけがなされていました。その結果、20代から70代までのすべてに世代でナンバーワンにあがった人物がいたんですね。誰でしょうか。坂本龍馬です。ドラマの影響もあるでしょう。今、日本中龍馬ブームが巻き起こっているんですね。ところが、この坂本龍馬の周りには、聖書と関わった人物が多数いたということについては、余り知られておりません。実は彼の身内から明治時代に活躍したキリスト伝道者が出ているんです。坂本直寛という人物なんですね。

坂本龍馬の甥 坂本直寛

 彼は龍馬の甥っ子に当たるんですが、後に養子となり、そして龍馬の遺跡を正式に相続する人になりました。当時、明治政府は薩長閥でがっちり固められ、ともすれば専制政治に走っていたんですね。これに対して、板垣退助が地元高知で自由民権運動を導く団体を作るんです。立志社と言います。坂本直寛はこの立志社の若手運動家として、活躍した人物なんですね。彼は、宣教師から繰り返し聖書のメッセージを聞く中で、キリストを救い主として、信じるには信じたんですが、それはどちらかというと、理屈で反論できないので信じるというレベルのものなんです。

聖書メッセージの小冊子

 しかし、洗礼を受けたからには、クリスチャンとして振る舞っていこうと思い、ある時、義理のお母さんに聖書メッセージの小冊子を渡すんです。ところが、このお母さんは、大のキリスト嫌いだったんですね。「何でこんなもんを私に渡すんか」と烈火のごとく怒りだして、もう始末に負えなくなってしまう。この人には当分話は出来ないなあと。密かに神に祈ってたんですね。

魚屋さんの十戒についての小冊子

 それから、数ヶ月ほど経ってお母さんに会ったとき、何と彼女の方から真の神さまについて質問してきたって言うんです。一体、何があったんでしょう。実はその前日、クリスチャンの魚屋さんが、御用聞きにやってきて、その時に十戒についてわかりやすく解説した小冊子を置いて行ったんです。そんなもの置いて行かれても困るって思ったんですが、何故か受け取ってしまい、さらに何故か読み始め、更には読むのを辞められなくなったって言うんです。そして、とうとう最後まで読み切ってしまったとき、心の中に何とも言えない不安がわき起こってきて仕方が無くなったんですね。十戒という神のきよさの基準が心の中に入ってきたとき、これが正しいことであるなら、私は紛れもなく地獄行きであり、神の前に罪人であるということが分かったからです。
 その日の夜、クリスチャンの魚屋さんにもう一度来てもらいました。そして家で集会を開き、互いに聖書を開いて読み合い、神さまは人間を恐れされるために罪を指摘しているのではなく、人間を罪の結果から救い出すために、罪を指摘しておられるということ、また、人が救われるためにキリストが十字架に架かり、死んで後、三日目に復活したことを語り合ったのです。

直寛の一家全員がキリストと出会った

 次の日の朝、お母さんは直寛に言いました。「私は、真夜中に目が覚めてから、朝まで一睡も出来ませんでした。神さまを思いながら気がつくとこの方を信じずにおれなくなっていました。そこであなたに一つお願いがあります。私が子どもを学校へ送りに行って留守にしている間、家の中にある偶像やお札を捨てといて下さい。」
 その後、お母さんの変わり様は大変な物でした。喜びに充ち満ちているからです。このお母さんの明るい変化を目の当たりにした直寛は、自らも悔い改めキリストを改めて救い主として崇めたというのです。程なくしてこの直寛の一家、全員がキリストと出会ったんですね。つまり、坂本龍馬の相続家庭はクリスチャンホームなんです。

福音を正しく理解するヒント

 それはそうとして、このエピソードには人が聖書の福音を正しく理解するヒントが示されているように思うのです。それは、自分が赦されなければならない罪人だと気づくと言うこと。これが第一歩なんですね。
 聖書の中にこんなことばがあります。
「そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。」  ここに、とても大切なことが三つ書いてあります。

死後に裁きを受けることが定まっている

 第一に、人間は誰もが死後に裁きを受けることが定まっている。なぜならすべての人は例外なしに、罪人なので、その罪の責任を問われる時がやってくるんだっていうんですね。一体、どんな罪をおかしたというのでしょうか。恐らく今ラジオを聞いている方々は、平均以上にまじめな方だと思うんですよね。そうでなかったら日曜日の朝の7時代に起き出してこの番組を聴くはずはないと思うんですね。確かに私たちの多くは、法律を破って、しょっ引かれたなどという経験は無いと思います。
 しかし、あるクリスチャン弁護士の方はこんなことをおっしゃっていました。「もし厳格に法律を適用したら、有罪にならない日本人なんか一人もいないと思います。」と。

ドライバーの皆さんにお尋ねします

 ドライバーの皆さんにお尋ねします。今まで制限時速をオーバーしたことが一回もないという方いらっしゃいますか。駐車禁止エリアに止めたことは一回もない。路上駐車したことも一回も無いという方、いらっしゃいますか。実は私たちが捕まったことがないのは、大目に見てもらったか、見つかっていないだけのことです。
 人間の作ったルールですら、人は完全には、守れません。神の基準は、もっと高いんです。十戒の中に出てくる代表的な罪って一体何でしょう。あなたをお造りになったまことの神さまから離れて、神ならぬ物にすがって生きる生き方です。聖書はこれを偶像礼拝の罪と断罪するんですね。これに関係ないという日本人は、一人もいないのではありませんか。

キリストは身代わりに裁きを引き受けて下さった

 第二に、キリストはその私たちの罪を背負って、私たちの身代わりに裁きを引き受けて下さったということです。キリストはご自身を十字架の上で、ささげられたと語っているんですね。ささげられたとはどういうことでしょう。いやいやならがではなく、強制されてでもなく、自らの意志であなたの身代わりとして裁きを引き受けて下さったっていう意味なんですね。

キリストはまた来られる

 第三に、キリストはまた来られるというのです。また来るってどういうことでしょう。キリストは十字架で死んでおしまいとなったのではなく、死後三日目に復活されました。そして40日間、弟子たちの前に姿を現し、ご自分が復活したことを確信させた上で、天に帰って行かれたんですね。そして、天国でキリストを信じるものたちの住まいを準備し終わったならば、クリスチャンたちを天国に引き上げるためにまた来るっておっしゃるんです。先ほど読んだ箇所ですね。彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。
 来られるというギリシャ語はオプトマイということばが使われています。これはただやってくるという意味ではなく、突然に劇的に表れるという意味があるのです。キリストは突然来られます。今日かも知れません。劇的に現れます。しかし、それに気づけるのは、天に引き上げられるクリスチャンだけなのです。どうぞ、あなたもキリストを救い主として信じ罪の赦しと栄光の将来を受け取って下さい。こころからお勧めしたいと思います。


Rainbow Music Japan:いつくしみ深き
新約聖書 ヘブル人への手紙9:27-28
 そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。