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Bible & Gospel

No.519 2010年03月07日「迷いの人生からの脱出」

おはようございます。尼川匡志です!

 長引く不況の中、今日本は、なかなか物が売れない時代になっているようです。そんな中、いろんなアイデアで元気を保っている企業もあります。先日テレビで、ある巨大ホームセンターが紹介されていました。この店は九州を中心に店舗を展開しています。特徴は「とにかく置いていないものが無い」というくらい、品揃えが充実しているということなんです。平均的なホームセンターの品揃えが3万5千アイテムであるのに対して、この店は何とその5倍を超える18万点だそうです。

1年にたった一つしか売れない商品

 当然1年にたった一つしか売れない商品も出てきます。普通ならこれは不良在庫として店には嫌われるはずなんですが、ここの社長はちょっと違うんですね。インタビューでこのように話しておられました。「1年に一つしか売れないこの商品を手に取られたお客様は、間違いなく笑顔になると思うんですよ。そう考えるとこちらまでが嬉しくなります。」確かにその通りですね。成功する方の考え方は、やはり一味違っています。探し続けているものを見つけることが出来た人、その人の喜びは測り知れません。

いなくなった1匹の羊

 さて、聖書の中にイエス様の話されたこんな譬え話が記されています。 『あなたがたの内に羊を百匹持っている人がいて、そのうちの1匹をなくしたら、その人は99匹を野原に残して、いなくなった1匹を見つけるまで探し歩かないでしょうか。見つけたら大喜びでその羊を担いで、帰ってきて友達や近所の人たちを呼び集め、いなくなった羊を見つけましたから、一緒に喜んでください。』というでしょう。』  じつはこれは神様が私達人間一人一人を、どれほど大切な存在として見ておられるのかを、よく表している箇所なんです。

見つかるまで探し歩かないでしょうか

 私たちがこの話を聞く時、いなくなった1匹の羊を100匹の内の1匹と考えてしまいます。だからその持ち主の喪失感も、おのずと「100分の1の喪失感だと考えるんですね。でもこのイエス様の譬え話から見えてくる事は、いなくなった一匹の羊はかけがえのない一匹で、外の99匹の羊とは、決して取り換えることが出来ない存在だ。ということなんです。だから『見つかるまで探し歩かないでしょうか。』とイエス様はお語りになったんですね。つまりこの言葉の中には、いなくなった一匹の羊を探し出すまでは『絶対に諦めないぞ!』という強い気持ちが込められているんです。そして見つけることが出来たならどんなに嬉しいことか。その喜びの思いが伝わってくるように思います。ホームセンターで探し求めていた商品を見つけることは、確かに嬉しいことでしょう。しかし、それとは比べ物にならない、大きな、大きな喜びがここにはあるんですね。

羊の持ち主は

 この譬え話の羊の持ち主は神さまです。羊は人間。そして、いなくなった『一匹の羊』。それが『あなた』だ。ということなんです。つまり私達人間は迷子になっている状態だ』と聖書は語っているんです。そして神さまは『その迷子になって、彷徨っている私たちをなんとか見つけ出そうと、必死で、諦めることなく探し求めて下さっている』ということなんですね。このようにお話ししますと、たいていの方は『いやいや私は迷子になんかなっていませんよ』と言われると思います。でも本当にそうでしょうか。

自覚のない人を探すのは手間がかかる

 もう何年も前の事になるんですが、百貨店の案内カウンターで50代くらいのご夫婦が『探し人のアナウンスを依頼しておられる所に出くわしました。しばらくしてその所にお越しになったのは恐らくご主人のお母さん。しかし、どうも怒っておられるようなんですね。その方の言い分はこうです『あなたたちがどこかに行ったので私は迷ってなんかいないよ。呼び出したりして恥ずかしいじゃないの!』と周りに聞こえるほど大きな声で抗議しておられたんです。この方は軽度の認知症の方だったようです。もし放って行かれたら、自分の家に帰れなかったかも知れません。大人の迷子は厄介ですよね。迷っているという自覚が本人にはないのですから。子どもは自分が迷った事がハッキリとわかりいます。探す方もある意味で簡単です。でも迷ってないと思っている人を探すのには手間がかかります。探してほしいとさえ思っていないことだってあるんですから。

あなたは『迷子』になっていませんか

 あなたは『迷子』になっていませんか?今、自分がどこに向かって進んで行っているのかをご存知でしょうか?ふと自分のこれから進んでいく道が見えずに、不安なったり、恐れを感じたすることはありませんか?人生の岐路に立って、右に行こうか、それとも左に進もうか、分からずに、思わず、占いや迷信に頼った事はないでしょうか?もし僅かでも思い当たるなら『あなたは迷子』になっているのではないでしょうか。いいえ、聖書は語るのです。すべての人は迷い出たのだと。

人間は導き手を必要としている

 人間は導き手を必要としています。本当に間違いなく素晴らしい人生に私達を導く『導き手』がいるなら、どれほど私たちは安心して人生を歩んでいくことが出来るでしょうか?しかし残念ながら周りを見わたしてても、日本の政治のリーダー達を見ても、自分のことしか考えていない様な人物しか見えてきません。そして私達はいつの間にか諦めてしまうんです。私の人生を本気で考えて、導いていってくれるような存在はいないのだと。でも諦めないでください。聖書を読んでみてください。あなたの事をかけがえのない存在だ!と語り、本気であなたの人生に関わり、あなたという人間の個性を生かし、最高の人生を歩めるように、あなたを導きたいと願い、傍らで手を差し伸べておられる方がおられるのです。それが聖書の語る神さまです。

じっと待ち続けてくださる方

 このお方は、決して無理やりあなたの手を取って、強引に『こっちへ来い』と引っ張って行かれる方ではありません。神様は私達に無理強いされることはないのです。あくまでも私達の自由意思を尊重してくださるのです。あなたが『道に迷っているんだ』と気づき、差し伸べられた手を握り返すなら、あなたは素晴らしい人生の導き手を得ることが出来ます。そしてあなたがそのように決心される時までは、この方はただ、じっとあなたの傍らで待ち続けてくださっているんですね。

自分の人生を神に任せてみる

 今から二千年前イエス様がこの世界に来られました。それはあなたを探すためにです。そして見つけ出して背中に担いで平安な神の御元に連れていくためなんです。迷いの人生を終わりにするには、『自分の人生を神様に任せてみよう』と決心することです。是非祈って見て下さい。「イエス様、私の人生をお任せしますので、どうぞ私を導いて行ってください」と。心からお勧めしたいと思います。


上原令子:主は私の羊飼い
新約聖書 マタイの福音書15:4-6
 あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。見つけたら、大喜びでその羊をかついで、帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください。』と言うでしょう。