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Bible & Gospel

No.516 2010年02月14日 「復活による力」

おはようございます。高原剛一郎です!

 ある経営コンサルタントのエッセイに、こんなことが書かれてありました。彼の顧客の店に一人、伝説の店長と呼ばれる人がいるって言うんです。この人が業績の悪い店に行くと、劇的に成績が伸びるっていうんですね。今まで採算がとれない店が例外なしに稼げる店に早変わりするんです。ところが実際にやっていることを見ると特段代わったことをしているわけではないんですね。一体何が他の店の店長と違うんでしょう。

何度も何度も伝えるということ

 一点だけなんですね。何度も何度も伝えるということをモットーにしているんです。一回で理解してくれる人はありがたいけど、何度伝えても答えてくれない人もありがたい。なぜなら、その人が理解してくれたとき、自分の想像以上の反応が返ってくるから。伝えることは無駄にはならない。だから大事なことは、何度も何度も伝えなさい。これが伝説の店長のモットーなんです。

聖書の中の繰り返し語られている言葉

 さて、聖書の中にも繰り返し繰り返し語られている言葉が、メッセージがあるんです。その一つはキリストの復活です。キリストは十字架に架かって人の罪の身代わりとなって死んで下さいました。しかし、三日目に死を滅ぼしてよみがえったというメッセージです。そしてこの復活のメッセージこそは、福音の柱なんです。聖書はこう語っています。
「使徒たちは、主イエスの復活を非常に力強くあかしし、大きな恵みがそのすべての者の上にあった。」
 使徒たちっていうのはキリストの弟子たちのことです。彼らはキリストの復活を非常に力強く証ししたのです。どうして彼らは力強かったのでしょう。

目撃者として事実を語っていたから

 第一に、彼らはキリストの復活の目撃者として、事実を語っていたからです。  実は彼らが語りかけている相手は、イエスの十字架処刑の現場のあったエルサレムに住み、十字架に架けられたイエス・キリストを眺め、あの惨たらしい事件を鮮明に覚えている人たちでした。今ラジオの前のあなたは、キリストの復活と聞いても2000年前のこととしてピンと来ないかも知れません。しかしそれを初めに聞いた人々は、キリストと同時代の人々であって、弟子たちの語っていることを、復活の現場の墓場に行って何回でも確かめることが出来る立場の人々でした。この人たちに弟子たちは、本当によみがえったキリストを伝えたのです。
 事実っていうのは、語れば語るほど説得力が増していきます。事実そのものに力があるからです。しかし、ウソは語れば語るほど語る人を弱くしていきます。なぜなら、初めのウソを突き通すために次々と新しいウソを積み上げていかなければならないからです。ウソは人間に力強さを与えません。むしろ奪い去っていきます。弟子たちの復活証言が力強かったのは、キリストが本当に復活したことを見て、語っているからなのです。

恐れるべきものがなくなった

 第二に、キリストが死を滅ぼされたが故に、恐れるべきものがなくなったからです。これが彼らの力強さの理由です。

筋金入りの無神論者

 昔、イギリスにチャールズ・ブラッドローという筋金入りの無神論者がおりました。彼は、キリストを否定し、十字架を否定し、復活を否定し、魂を否定し、神の存在そのものを否定する過激な無神論者として名をはせた人物です。しかし、彼は亡くなった後、その葬式にアーサー・ポリットという作家が参列しました。彼は墓地までついて行き、埋葬に立ち会ったのです。その時のことをこう回想しています。「墓地ではどんな祈りも捧げられず、言葉は一つも無かった。軽い棺桶に入った亡骸は腐った者を急いで目の前から取りのけるように、ぶっきらぼうに地中におろされた。心が凍り付いたまま、私はその場を去った。そして、初めて気づいたのだ。死後も魂が生き続けると言うことを信じられないのは、死に恐ろしい勝利を与えると言うことなのだ。」

魂を否定する人は人間をただの物体と見なす人

 霊も魂もない。神も天国もない。死後の裁きも復活もない。そういう無神論は、結局人間を物扱いすることになるんです。人間を石やコンクリートや鉄のようなただの物体と見なす思想です。石を蹴っ飛ばしても罪悪感を感じる人いませんね。ただの物なんですから。そして人を人たらしめる本質である魂を否定する人は、人間を石ころと似たり寄ったりの物に過ぎないと言っているのと同じです。もし復活はないなら、人間はただの死体という物になって、おしまいです。しかし、キリストが復活されたのであれば、話は変わってくるのです。死は取り返しのつかない終わりではなく、天国に至るための通過点に過ぎなくなってしまうのです。

キリストは復活されました

 キリストは、事実復活されました。それによって人は永久に死んだままではないという実例を示されたのです。すべての人はよみがえらされ、或いは天国へ行き、或いは永遠の地獄に入るのです。では、一体どうすれば天国へ行く復活にあずかることが出来るのでしょうか。キリストによる罪の赦しという救いを受け取ることです。キリストの身代わりによって、自分の罪が赦されたことを信じ、キリストの復活を信じ、キリストを救い主として受け入れるということ、それだけでいいんです。

復活によって人生の意味が与えられた

 第三に、弟子たちが力強かった理由は、復活によって人生の意味が与えられたことによります。

絵画修復師

 先日ある芸術大学の大学院のことが報道されていました。その研究室では、絵画の修復師を養成しているのです。絵画というのは完成した瞬間から劣化していくんですね。紫外線によって、湿気によって、またほこりや虫の糞によって、時間と共に色あせ、ひからび、本来の鮮明さが失われて行ってしまうんです。この古びてしまった絵をもう一度元の姿に戻す人を絵画修復師って言うんですね。しかし、この修復師には大変な専門知識が要求されるんです。というのはその絵が描かれたときの絵の具以外は使うことが出来ないのです。今の新しい絵の具を使ってしまうと、作品の上塗りになってしまいますね。それは作品を元に戻したのではなく、別の物に変えてしまうことになるので、してはいけないのです。この絵は一体何年に作られ、その年代にはどんな絵の具が使われていたのか、そういう専門知識が沢山必要なんですね。

生き生きとしている研究生たち

 ところで、この研究室で学んでいる研究生たちは、実に生き生きとしているんです。「社会に出るのが嫌なんで、取りあえず大学にでも入っておこうか」という学生とは、まるで違っているのです。彼らはみな燃えてます。それは卒業後に重要文化財を生き返らせるという高貴なる仕事が待っていると、考えているからです。

価値ある仕事の準備期間

 価値ある仕事は、その準備期間を意味あるものにしてくれるのです。人は死んで天国に入ることが出来るならば、そこで永遠に朽ちない体で永遠に価値の残る働きをすると聖書は約束しています。この天国と繋がっている人は地上の生涯をその準備期間として捉えます。どんなことがこの世で起こったとしてもそれらを糧に変えて行きます。なぜなら、その地上での生涯を天国での価値ある仕事の準備期間として捉えているからです。

キリストの復活は歴史的事実

 キリストの復活は歴史的事実です。そして死を恐れるに足らないものにしてしまいます。さらにあなたの地上の人生にも、最高の意味を与えてくれるものとなるのです。どうぞ、復活のキリストをご自身の救い主として信じ受け入れて下さい。心からお勧めしたいと思います。


みぎわ:救いのうた
新約聖書 使徒の働き4:33
 使徒たちは、主イエスの復活を非常に力強くあかしし、大きな恵みがそのすべての者の上にあった。