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Bible & Gospel

No.512 2010年01月17日 「体と魂の救い主」

おはようございます。高原剛一郎です!

 この数年、人間の行動を脳の反応として理解する考え方が、広がっているようですね。脳というのは、頭の中に、収納されている大脳のことです。脳の使い方や、特性が分かると、人生の可能性がまるで違ってくるって言うんですね。

1万時間の法則

例えば、脳には1万時間の法則というのがあるそうです。1万時間かけてトレーニングすると、脳はその行動に特化して、本領を発揮するようになるそうです。
 実は、スポーツや芸術の世界で、世界的なレベルに達した人は、例外なく1万時間、即ち一日3時間でしたら、10年近くに亘る修練の期間があるって言うんです。

史上最年少でゴルフ賞金王に輝いた石川遼選手

 昨年、史上最年少でゴルフの賞金王に輝いた石川遼という選手は6才からゴルフをはじめて、小学4年の時にはプロになる決意を固めていたそうです。彼がしたことは、放課後校庭でランニングをこなした後、雨の日も風の日も、一日500球3時間みっちり打ち込みを続けたと言うことだそうです。どんなジャンルでも1万時間かけたら、かなりの確率で高レベルに達するって言うんですね。脳が何かをマスターするには、それだけの時間がかかるというわけです。
 それで脳が分かると、人間が分かるという言い方になるんです。しかし、そこから飛躍して霊や魂や心までも、脳の反応に過ぎないという考え方が横行し始めているんですね。果たして魂や精神というのは、単なる脳の産物で、本来そのようなものはないんでしょうか。いいえ、人は魂を体の中に入れて生きているんです。  キリストはこうおっしゃいました。
「体を殺しても魂を殺せない人たちなど恐れてはなりません。そんなものより、たましいも体もともにゲヘナで滅ぼすことの出来る方を恐れなさい。」

人間は体と魂の両方で出来ている存在

 ここに3つのことが語られているように思います。
 第一に、「人間は体と魂の両方で出来ている存在だ。」ということです。
 ノーベル賞を2回も受賞した現代脳神経学の開祖、ペンフィールド博士は脳だけでは人間の行動を説明出来ない。人間は脳と魂の両方から成り立っていると言うことを、実験によって証明しました。彼は頭蓋骨の皿を外して脳に電極刺激を与える実験をしたんです。特定の部分に電流を流すと、勝手に手が上がったり、足が曲がったり、口が開いたりします。これによって、確かに人間の行動は、脳からの命令を受けているということが分かるんですね。そこで今度は、右手を挙げる部分を電極刺激しながら、動かさないで下さいと患者に注文してみました。すると患者は左手で右手を押さえつけてがんばるんですね。右手の方は脳の電気信号で動こうとするんですが、左手は本人の意志の力でそれを止めようとするわけです。

人間も物扱いすると物みたいになる

 ということは、どういうことになりますか。人間は脳の命令とは別に、自分の意志を持っていると言うことです。考えたり、選んだり、決心したりする心、精神、或いは魂という見えないものを宿しているという風に言えるのではないでしょうか。
 博士はいろいろ実験をした結果、こうも言っています。電気刺激を与えることで体を反応させたり、動かしたりすることは出来ます。しかし、電気刺激では本人に何かを決心させたり、信じさせたりすることは出来ません。この人を人たらしめる本質というのは、脳ではないんです。精神、魂があるんですね。そして、それこそは人間の本質なのです。仕事を雑にすると雑用になるって言いますね。人間も物扱いすると物みたいになってしまいます。

ブラジルの児童福祉施設

 ある方がブラジルの児童福祉施設を訪ねそのエッセイを書いていました。朝の10時頃小さな部屋に入って行きました。そこには40位のベッドがぎゅうぎゅうにあって、子供たちが座っています。ところが鳴き声一つないのです。子供が40人もいてるのに誰も泣かない。誰もおしゃべりすらしない。静まりかえったその部屋は、お行儀がよいと言うことでは説明がつきませんでした。実は40人とも鬱状態の子たちだったのです。子供が大声で泣くのは、大声で泣けば振り向いてくれる人、聞いてくれる人がいるからです。しかし、どんなに泣こうがわめこうが聞いてくれる人はいないんだという経験を何十回も何百回もすり込まれ、みなもの言わぬマネキン人形のような状態になっていました。それは彼らを魂として扱わなかったからではないかというのです。

人生最大の損失は神を恐れない生き方

 第二のポイントは、「人生最大の損失は神を恐れない生き方だ。」ということです。なぜならその人は、永遠を失うからです。キリストはおっしゃいました。神とは、魂も体も共にゲヘナで滅ぼすことが出来る方ですと。しかし、東大の養老孟司先生はこんな風におっしゃっていました。「死なんて怖くないよ。意識というのは脳の産物である。死ぬときには脳の活動は止まっている。だから、死ぬときには意識がないから、死を恐れる意識がないんだから、何も怖くないはずだ。」て言うんですね。

本当の親切とは

 確かに、死んで終わりなら、そういうことになるでしょう。魂のなんて存在していないなら、それもあり得るでしょう。しかし、人間は死んで終わりではありません。死後に神の審判を受けることが定まっていると、聖書は語るのです。この死後の裁きのことをゲヘナ、地獄って言うんですね。
 ところでキリストのように愛に満ちた方がどうして死後の裁きなどと言う恐ろしいことを語るのでしょう。どうして人を怖がらせるようなことをおっしゃるんでしょう。本当の親切とは、相手に確実にやってくる危機を知らせ、その備えをさせることであるからです。

山火事だー!山火事だー!

 私は小学校2年の時、奈良の生駒山にある父の墓地に墓参りに行きました。その時、墓地の裏山が山火事になっていることに気づいたのです。大急ぎで霊園事務所に走って行って知らせようとしたのですが、人がいなかったのです。当時、携帯電話なんかありませんでした。私はバケツをひしゃくで思いっきり叩きながら、「山火事だー!山火事だー!」と大騒ぎしました。騒ぎを知った参拝者が駆けつけ、そして、ようやく119番したんです。そして、火事はひどくならずに消火出来ました。消防署からほめられたことを今でもよく覚えています。ところで私はバケツを2つこわしてしまったんですが、しかられませんでした。危機を知らせたからです。
 キリストはあなたの永遠を心配して、体も魂も裁く方の前に立つ、その備えを与えようとして、偉大なる厳粛なる、警告をしておられるのです。

罪赦されるための備えはすでに完成している

 第三に、「あなたが罪赦されるための備えはすでに完成している」ということです。キリストは、あなたに代わって罪の刑罰を受け、あなたに代わって罪の償いをなし終えて下さった方です。なぜあなたに代わってそのようにして下さったのでしょう。人間は自分の力で自分の罪を償うことなど出来ないからです。人には出来ないので、キリストが代わりにいのちを捨てて償って下さったのです。

永遠の天国に駆け上る立場

 即ち、キリストによる罪の赦しは口約束の赦しではなく、根拠のある赦しなんです。誰でも自分のために十字架にかかり、3日目に復活したキリストを自分の救い主として信じるものは、罪赦され、神の子とせられるだけではなく、たとい死んでも永遠の天国に駆け上る立場が与えられます。いや、そればかりか、キリストがまたこの世界に到来するとき、死を経験することなく、天に引き上げられるのです。どうぞあなたもこのキリストを信じて下さい。



吉田恵子:輝く日を仰ぐとき
新約聖書 マタイの福音書10:28
 からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。