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Bible & Gospel

No.507 2009年12月13日 「神さまからのプレゼント 無償の愛」

おはようございます。尼川匡志です!

 何年か前に、聖書のお話をするために、ある教会のクリスマス会にお招きを受けました。盛りだくさんの企画があったんですが、その一つにスライドの上映があったんです。題材に取り上げられたのがオスカー・ワイルドの『幸福の王子』です。私は子供の頃、絵本で読んだだけでしたので、なんとなくは知っているんですが、細かい所までは記憶していなかったんですね。その時改めてじっくりと『幸福の王子』を聞かせてもらいました。そして思わず涙してしまいました。とっても感動的な物語なんです。

感動的な物語『幸福の王子』

 ある小さな町に、その町を一望できる銅像が立っていました。その像は全身が金箔で覆われ、目にはサファイア、腰の剣にはルビーがあしらわれた、それはそれは立派な銅像でした。皆はこの像を『幸福の王子』と呼んでいました。夏が終わり秋も過ぎる頃、仲間とはぐれた一羽のツバメが暖かな南の国に向かって急いでいました。丁度この町に差し掛かった時、少し休もうと、この銅像の足元に降り立ったんです。

涙の雨

 夜になりました。雨がツバメに当ったんです。「あれ、おかしいな〜?空は晴れているのに?」ふと見上げると王子の頬をつたって涙が流れ落ちています。「どうかしましたか?」ツバメが聞くと、王子は答えました。『こうしてここに立っていると、町のあちらこちらに悲しんでる人達が見えて、泣かずにはおられないんだよ。』そしてツバメに願いました『ずっと向こうの路地に小さい家がある。そこの子どもが病気で、薬も買えないほど貧しいんだが、私の剣にあるルビーをその家に届けてもらえないか』ツバメはルビーをその家に届けました。

王子の目になったツバメ

 次の日、南の国に旅立つために別れを告げに来たツバメに王子は再び言いました。『もう一晩私の使いをしてくれないか?私の目のサファイアをある家に届けてほしいのだ』ツバメは仕方なく引き受けました。そしてその次の日にも『もう片方の目のサファイアをあそこでマッチを落として泣いている可哀そうな少女に届けてくれないだろうか』と言われたんです。ツバメは言いました『王子様それはだめです。そんな事をすれば、あなたが見えなくなってしいます』王子は答えました。『わかっている。でもそうしてほしいのだ』ツバメはサファイアを娘に届けに行きました。そして戻ってきたツバメに王子は言いました。『ありがとう!ツバメ君、急いで南の国にお行き、もう冬がそこまで来ているから』でも、ツバメは言いました『いいえ王子様。私はあなたの傍にいる事にします。そしてあなたの目になろうと決めました』

笑顔が戻った町の人達

 その日からツバメは町のあちらこちらに行っては、その日どんな事があったかを王子に知らせたんです。それを聞いて王子は『私の体の金をはがしてその人達に届けてくれないか』とツバメに言いました。ツバメは一枚また一枚と金箔をはがしては困っている人や貧しい人の元に届けに行きました。『幸福の王子』は輝きを失い、どんどんみすぼらしくなっていきました。そしてそれに反するように町の人達には笑顔が戻り、通りの子供達には元気な声が戻ってきました。

最も尊い2つのもの

 冷たい冷たい雪が降り始めた夜、ツバメはいよいよ自分の命の終わりの日が来た事を知り、王子に別れを告げました。そしてそっと王子に口づけをし、息絶えたえたんです。その瞬間、王子の心臓がパチッと音を立て割れました。町の人達はなにも知りませんでした。何もかも失った『幸福の王子』を見て『なんてみすぼらしい像だ!こんなものは何の役にも立たない!』そう言って、銅像を炉に投げ込んで溶かしてしまいました。しかし王子の割れた心臓だけは溶けずに残ったのです。工場長は不思議に思いながらも、それをゴミ溜めに投げ捨てました。そこにはツバメも捨てられていました。神さまは天使に言いました。この町で最も尊いものを2つ持って来なさい。天使はゴミ箱の中からそっと割れた王子の心臓とツバメの死骸をとって、静かに天に昇って行きました。

自己犠牲の愛

 この物語を読む時、多くの人の心は温められるのではないでしょうか。それはこの物語の中に自分を犠牲にしても相手の事を思う、いわゆる『自己犠牲の愛』が見いだせるからだと思います。私達はどんなドラマや、映画や、本に感動し涙するでしょうか。その中に自己犠牲的な愛を見い出す時、私たちは感動するんじゃないでしょうか。そして逆に自己中心的なものに溢れている時、嫌悪感をもちます。私達は洋の東西や時代や国に関わらず、自己犠牲の愛・無償の愛を心のどこかで求め探して求めているんじゃあないかと思うんです。

幸福の王子のモデルはイエス・キリスト

 実はこの物語の幸福の王子にはモデルがあります。それはイエス・キリストです。聖書を通して見られるイエスさまはご自分の持っている全てのものをことごとく捨てられた方なんです。神のあり方を捨てられました。仕えられる事を捨て、ユダヤ人の王である事を捨て、温かな家族と別れ、お金を捨て、ゆっくり休める場所を捨て、あらゆる称賛を捨て、自分の為の時間を捨て、時には食べる事すら忘れられました。そして十字架の上では、ご自身の命までをも捨てられたんです。この方の心には何もかも捨ててでもどうしても叶えたい一つの願いがありました。それは『父よ彼らを赦して下さい、彼等は何をしているのか自分で分からないのです』と言う十字架の上での祈りに凝縮されています。全ての人が神さまの前に罪赦されて、永遠のいのちを持つ事でした。究極の自己犠牲の愛がここに溢れています。

クリスマスを祝う本当の理由

 聖書にこんな言葉があります。『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。』。私達を救うために一切のものを捨てられたイエス・キリストを神さまはこの世界にあたえて下さった。というのです。実はこれこそがクリスマスを祝う本当の理由なのです。

神さまからのプレゼント

 幸福の王子は金箔と宝石で美しく飾られていた時、目から涙を流し、悲しんでいました。幸福ではなかったんですね。しかし全てを失って、そのかわりに町の人達に笑顔が戻った時、王子の心は満足していました。私達は何かを失う時悲しみが出て来ます。しかしここにあるのはそれとは全く逆の価値観です。悲しむ人がいなくなるなら、全てのものを捨てても惜しくないという価値観です。もし町の人達が王子からのプレゼントを受け取らず、今も悲しみの中にとどまっていたなら王子の目からは、涙は消えなかったでしょう。実は神さまも同じです。神さまは私達が、生きる事に疲れたり、悲しんでいたり、困難や死を前に、恐怖と絶望に呑み込まれているのを見て、心を痛めておられます。その苦しみから解放する為に、イエスさまをこの世界に送って下さったんです。そしてもしあなたが神さまからのこのかけがえのないプレゼントを受け取っていないとするなら、神さまのこころは今も痛んでいるのです。もうすぐクリスマスです。神さまからのプレゼントを是非受け取って下さい。



大和田広美:ああ愛されて
新約聖書 ヨハネの福音書3:16
 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。