No.506 2009年12月6日 クリスマスの意味−ひとり子の神が世に来られた理由
おはようございます。高原剛一郎です!
さて街はすっかりクリスマス一色という感じですね。ところで街中で見る看板はXmasと書いてありますね。エックスって一体何なんでしょう。実はあの文字は英語のエックスじゃないんです。ギリシャ語のキーという文字なんですね。そしてこのキーというのは、クリーストスすなわちキリストの頭文字なんです。エックスマスとは、キリストがこの世に来られたことを記念するお祭りって言う意味なんですね。
キリストの到来の意味
このキリストの到来の意味をとても分かりやすく語った聖書の箇所があります。そこにはこう書かれています。 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
キリストとは一体誰でしょう
キリストとは一体誰でしょう。この宇宙万物を創られた神のひとり子です。このひとり子の神が人間となってこの世界に来て下さいました。この人となった真の神をイエス・キリストって言うんです。では、何故神はイエス・キリストをこの世界に遣わされたのでしょうか。
キリストをこの世界に遣わされたのは人類と連帯するため
第一に、人類と連帯するためです。イスラエルという国の情報機関にモサドという組織があります。サイズは小さいのですが、とても優秀な情報機関です。あの小さい国が今まで生き延びてこれたのも、このモサドの働きが一役買っていると思います。
元モサド情報員の手記
先日私は、このモサドの元情報員の書いた手記を読みました。彼はある国にスパイとして潜伏していたのですが、情報がイスラエルに漏れているということが分かり、スパイ捜しが始まるんです。彼は生きた心地がしません。ひたすらバレないように振る舞いますが、スパイ容疑を掛けられた人たちの最後を見てぞーっとするんですね。すさまじい拷問でなぶり殺しにされていくのです。明日は我が身かと気を失いそうになる中で、ひょんなことから、もう一人味方のモサド要員が潜伏していると言うことに気がつくのです。彼はプロ中のプロでした。そして、この国から自分を脱出させるために、本国イスラエルから遣わされたスパイだと分かるんです。それが分かった途端、彼の恐怖心は鎮まるんですね。恐怖はあるんですが、落ち着くことが出来るんです。なぜなら、頼もしい味方がすぐそばにいると分かったからです。ミッション・インポシブルを地でいくような話ですが、私は何となく分かるような気がするのです。孤立無援の世界で自分を真に理解してくれる味方が一人でもいるって言うことは何と勇気を人に与えてくれることでしょうか。そういう味方をたった一人でも持っている人は、何とゆとりを得ることが出来るんじゃないでしょうか。
ところで、神さまから離れた人間は、神と断絶しているだけではなく、お互い断絶し、孤立し、信じ合える仲間が本当に少ないんじゃないでしょうか。しかし、人の魂の本当の本国である神さまの元からあなたを支え、勇気づけ、励まし、ピンチから救い出し、本国に連れ戻すために、キリストは密かにこの世に潜伏して下さったのです。キリストは何のために、この世に来られたのでしょう。あなたと連帯し、あなたを救い出すためなのです。
救い主は何故ひとり子の神でなければならなかったのか
第二に、「この世に遣わされた救い主は何故ひとり子の神でなければならなかったのか。」ということです。それは、ひとり子の神だけが真の神さまを正確に解き明かすことが出来たからです。人間には宗教心というのがあると思うんですね。それは人が神に創られたことの痕跡の一つだと思います。しかし、人間の宗教心が想像した神というのは、ことごとく屈折してます。なぜなら、人の心がひずみ、歪み、捻くれているからです。人間の考え出す神々というのは、大体両極端だと思います。一つは、いつも祟りや呪いで人間をおびえさせるような存在です。罰(ばち)を当てたり、因縁をつけたり、やれ方角が悪い、墓石の形や一人で怒ったり、とりついたりする神々ですね。もう一つの極端は、何をやってもニコニコと笑って赦してくれる神々です。何を信じていようが、誰を信じていようが、とにかく信じているという一点で、全部水に流す神々です。何でもオーライの神々です。
罪を憎むけれども、罪人をあわれまずにはおれない神
どんな神を信じるかは、信じる人の好みで選ばれていますが、しかし、真理は一つです。神はそんな方ではありません。神を正確に証しすることがお出来になった唯一のお方、イエス・キリストによるなら、この天地創造の父なる神は、正義の神です。罪を徹底的に憎む神です。と同時に、罪を憎むけれども、罪人をあわれまずにはおれない神なのです。 罪を憎むのは、罪が人を地獄に落としてしまうからなんです。人間を愛するが故に、人間をだめにしてしまう罪を何よりも憎まれる神なんですね。
何故ひとり子の神がこの世に来なければならなかったのでしょうか
第三に、何故ひとり子の神がこの世に来なければならなかったのでしょうか。それは、ひとり子の神の自己犠牲だけが、御父の心を動かすことが出来たからです。
元やくざのクリスチャン高原さん
私は以前、元やくざのクリスチャン高原さんの証しをテレビで見たことがあるのです。彼は道を踏み外してやくざになりますが、それを止めたいと願うようになります。きっかけは子供が生まれたということです。お子さんは学さんというのですが、知的障碍のある方でした。この子のために、まっとうな道に戻ろう。気質(かたぎ)になろう。そして組織から抜けるために、覚醒剤を打って破門になるんです。しかし、破門になった後も、その薬が止められなくなってしまうのです。完全に行き詰まってしまった彼はある日、学さんに聞きます。「お父ちゃんと一緒に死んでくれるか。」「うん。お父ちゃんと一緒だったらいいよ。」実は死ぬってどういう意味なのか、本人分かってなかったんですね。彼は息子の首に両手をかけて、絞めようとします。しかし、その時に息子さんがニコってほほえむんですね。これから始まることは、良いことに違いない。お父さんが自分に対してひどいことをするはずがないという信頼が生んだ笑顔です。その笑顔を見たとき、彼はどうしても首を絞めることが出来なかったといいます。愛する子供を自分の手で苦しめるなんて無理だっていうんですね。当然です。
この一線を越えて下さった神
しかし、神はこの一線を越えて下さったのです。ご自分のひとり子、イエス・キリストをあの十字架の上で、裁いて下さったのです。それは神にとってどれほど辛い痛ましいことであったことでしょうか。しかし、これだけが罪人が救われる道だったのです。罪あるものが赦されるためには、罪なきものが身代わりとなって裁きを引き受ける以外になかったんですね。
キリストはその裁きをすべて飲みほし、墓に葬られ、三日目に復活なさいました。それはあなたに永遠のいのちを与えるためであったのです。どうぞ、キリストをご自分の救い主として信じ受け入れて下さい。これこそがクリスマスを本当の意味でお祝いすることになるからです。心からお勧めしたいと思います。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。