No.498 2009年10月11日 「闇から光へ」
おはようございます、尼川匡志です
皆さんは日光の東照宮にある三体の猿の彫刻をご存じでしょうか。見ザル、聞かザル、言わザルとして、とても有名な彫刻なんです。語呂合わせが見事なもんですから、日本のオリジナルのように思われますが、実は、遠く古代エジプトからシルクロードを通って日本に伝わってきたものだそうです。
見ザル、聞かザル、言わザル
さて聖書はすべての人間は神の元を離れてさまよっているといいます。そしてこの状態のことを罪と言うんですね。ちょうど神さまの前で「見ザル、聞かザル、言わザルのようなもんだ」つまり神様のことが見えず、そのメッセージが聞けず、神さまに話すことができないそんな状態だと言うんですね。光あふれる神さまがすぐそばにおられても、その光をさえぎってしまって、その結果、闇の世界をさまよっている。それが私たち人間だと言うんです。
今日はまずこの三つを順番に考えていきたいと思います。
まず一つ目は見ザル
まず一つ目、見ザルです。私たちは勿論、肉眼で神さまを見ることは出来ません。ですが、聖書は神さまが作られた宇宙や、大自然を見れば、その中に神さまを見い出せるじゃないかと主張しています。確かに、大自然には素晴らしいもの、また不思議なことが溢れていますよね。
花カマキリの生態
先日も、カマキリの一種で、花カマキリの生態がテレビで映し出されていました。これには本当に驚きました。白いカマキリなんですけれども、体のあちこちに赤い模様があります。そして、白い花の中にじっとしていると完全に花と同化してしまい、まったくわからなくなっってしまうんですね。油断した虫たちが花に近づくと、そこをがぶりと襲うんです。これを擬態と言います。本当に不思議ですね。その花の中にいれば、違和感なく自分が紛れ込めるとどうして分かるんでしょうか。外から見て作らなければ絶対にそのような形にはなれないんです。これが偶然でしょうか。いいえ、神さまが花カマキリをそのように造られたんですね。このような例は枚挙にいとまがありません。でも、人間はそれを偶然だ。進化だとして、神さまに目隠しをしているんです。その目隠しが罪なんです。
二つ目は聞かザル
二つ目、聞かザルです。最近、ちまたに流れる音楽の傾向が、少し変わったと思われませんか。昔は、ラブソング一辺倒だったんですけれども、最近はちょっと疲れた人に元気を与えるような、いわゆる応援ソングが増えたような気がします。それだけ現代社会が行き詰まっている証拠なんでしょう。
今年の上半期の自殺者の数は、17000人を超えていました。これは15分に一人の方が自ら命を絶ったと言うことを意味します。本当に痛ましいことです。神さまはあなたは高価で尊い、と言われています。能力があるから美しいから、お金があるからではありません。今生きているあなたが価値があるんだとおっしゃっているんですね。このメッセージをあなたは聞いておられるでしょうか。受け入れておられるでしょうか。このメッセージが受け入れられないとき、私たちは人と比較して傷ついていくんです。
先日、街でクラクションを鳴らされても全く動じない若者を見ました。耳にイヤホンをつけたまま、おそらく大音響で、自分の好きな音楽を聴いていたんでしょうね。命に関わるメッセージも、耳栓をしているならば聞くことは出来ません。このメッセージを遮る耳栓を罪と言うんです。
三つ目は言わザル
三つ目、言わザルです。神さまに話すことが出来ない状態を言います。「神さまに話す?」と思われる方がおられるかも知れませんけれども、実はこれは祈りのことを意味します。聖書は神は祈りを聞かれる方として紹介しているんです。
「神に祈って聞かれるなら誰が苦労するもんか」といわれる方もいると思います。でも正直私は思うんですね。その方は本気で神さまに祈ったことがあるんでしょうか。聖書は、「求めよ。そうすれば与えられる。」と約束しています。勿論、最低限注意することはあります。アメリカ人には英語で話しかけます。韓国の人ならハングルです。神さまに話しかけるとき、神のことば、聖書のことばを用いる必要があります。それは一言一句聖書のことばで言うことではありません。聖書に示されている思いや、約束を持って、近づくという意味ですね。
神さまはあなたの祈りを聞いておられます。「そんな馬鹿な」と言って口を開こうとせず、マスクをつけているなら、それもまた罪です。神さまはあなたが闇の中をさまよい歩くことを決して喜んでおられないんです。あなたの目を覆い、耳をふさぎ、口をふたするもの、その罪を取り除いて、希望の光あふれる世界に導き入れたいんですね。
ヘレン・ケラーとサリバン先生
今から130年程前、アメリカのアラバマ州に一人の女の子が生まれました。6ヶ月で片言をしゃべり、1才の時には歩き回るほど元気な子でした。しかし、1才7ヶ月のとき、突如高熱におそわれ、一命は取り留めるものの、視力と聴力を失ってしまいます。話すことも出来なくなってしまったんです。女の子は7才になるまで、人間らしい歩みは出来ませんでした。無理もありません。外の世界と一切遮断されていたのですから。しかし、7才の時、一人の女性家庭教師がこの家にやってきました。この出会いが女の子の人生を百八十度変えたんです。女の子の名をヘレン・ケラー家庭教師の名をアニー・サリバンといいます。闇の世界から光の世界にヘレンを導いたサリバン先生が後に奇跡の人と呼ばれるようになるんです。
サリバン先生の生いたち
サリバン先生はこの時、学校を卒業したての弱冠22才でした。なぜそのように若い彼女がこんな大仕事をやりとげることができたんでしょうか。それには彼女の生い立ちと深い関係があります。彼女は3歳の時に目の病を患いました。5歳でほとんど視力を失ってしまうんです。父はアル中でした。優しい母は彼女が9才の時に亡くなってしまうんです。親戚の家を転々として、10才の時には最愛の弟も病気で亡くしてしまいます。彼女は大変大きなショックを受けて、完全に視力を失ってしまうんです。遂には統合失調症になり、心は完全に閉ざされてしまうんですね。病院の地下の薄暗い部屋に彼女は入れられてしまいます。その時、ある一人のクリスチャン女性が彼女に働きかけたんです。その甲斐あって、彼女は再び光の世界に戻ることが出来ました。彼女は闇の恐ろしさと光の世界のすばらしさをよーく知っていたんです。だから、この三重苦に苦しむヘレンに深く同情することが出来ました。必要な助けを必要なときに提供することが出来たんです。またヘレンに対してどこまでも諦めず、忍耐強く接することが出来たんです。三重苦のヘレンは自分の力で、その闇から出ることは出来ませんでした。サリバン先生が闇の中にぐっと手を差し込み、ヘレンの手をつかんで導き出してくれたからこそ、彼女はこの暗闇から出ることが出来たんです。
闇の中から光あふれる世界に入るために
さて、私たちは罪によって、神さまを見ることが出来ず、メッセージを聞くことが出来ず、話しかけることも出来ず、闇の中にいたんです。ヘレンと同じ状態です。自分の力で、光の中に入ることが出来ないんですね。だから、イエスさまは神の在り方を捨て、人としてこの世界に来て下さり、私たちの苦しみや弱さを知った上で、私たちに必要な助けを、忍耐の限りをつくして、与えて下さったんです。私たちが光あふれる神の世界に入るために。ぜひ、このイエスさまを信じて、あなたも受け入れて下さることをお勧めいたします。
私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。