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Bible & Gospel

No.496 2009年09月27日「人生の一歩を踏み出しませんか」

おはようございます、尼川匡志です

 私はこの夏、若者たちのキャンプで、生まれて初めてスイカ割りを体験したんです。とっても楽しいひとときでした。スイカを置きます。そこから5、6メートル離れて目隠しをされるんです。そして、くるくると2、3回、体を回されます。そうすると、もうどこにスイカがあるか全く分からなくなるんです。頼ることが出来るのはギャラリーたちの声だけです。ここで大切なことが一つあるんですね。

大切なのはどの声か決めること

 たくさんある声の中で自分はどの声に聞き従うのかを決めることです。私は一人の方を決めていました。そして、その声に従って、進み、止まり、ターンして、そして竹刀を振り下ろしたんです。見事にスイカを割ることが出来ました。
 私の身体能力が優れているのでしょうか。いいえ、私を導いた声が正確だったからです。

スイカ割りに似ている人生

 私はその時、スイカ割りって人生に似ているなと思ったんです。目標はあるけれども、明日のことが分からない。いや、明日のことだけではなくて、今日の昼からどのようなことが起こるのか、全く私たちには分からないんです。まるで目隠しして歩いているようです。
 しかし、そのことを私たちは余り意識していません。人生のある地点で思いがけない出来事が起こったとき、私たちははたと「ああ見えていなかったなあ」と気がつくんです。その時、ある方はたくさん本を読んでその解決を得ようとします。またある方は、自分の周りの人生の先輩たちのアドバイスを聞きます。また、占い師の門を叩くかも知れません。それぞれそれなりの解答は得ることは出来るでしょうけれども、真の解決が出来ているのでしょうか。私は出来ていないんじゃないかと思うんですね。と言いますのは、そのアドバイスをする人たちも、私たちと同じように明日が見えていないんです。スイカ割りの時に、目隠しをした人のアドバイスを聞く人はいるでしょうか。そんなのナンセンスですよね。

最後まで見通しておられる方の声が一番

 では、どんな方の声を聞けばいいでしょうか。私たちの人生の最初から最後までを見通しておられる方、その方の声を聞くのが一番です。実はそれが神さまなんです。
 では、神さまの声を聞くのはどうすればいいでしょうか。聖書です。聖書はすべて神のことばなんです。「ええ、ウソでしょう。」と思われる方もいると思います。しかし、この二千年間、どれだけ多くの方がこの聖書のことばによって勇気を受け、希望を持つことが出来たでしょうか。正しい道に導いてもらうことが出来たでしょうか。

血を止める力がある草

 私はある時、こんな話を聞きました。50年も前の話ですけれども、ある方が畑仕事をしておられて、誤って鎌で手を切ってしまったんですね。血があふれ出ました。丁度そこにお父さんがおられて、何枚かの葉っぱをちぎってしゃっくしゃっとして、「これで押さえておきなさい」と言われたそうです。その人はわけは分かりませんでしたが、その通りにしたんですね。すると血が止まりました。なぜでしょうか。この草には血を止める力があったんです。

聖書のことばにも力がある

 実は聖書のことばにも私たちの心に勇気と希望を与える力があるんです。私たちの人生を正しく導く、力があるんですね。このことばを聞いて、受入れ、信じ、従うとき、その力を体験することが出来るのです。
 聖書の一節にこんなことばがあります。
「イエスは、道を通りながら、アルパヨの子レビが収税所にすわっているのをご覧になって、「わたしについて来なさい。」と言われた。すると彼は立ち上がって従った。」

ローマの徴収請負人だった取税人

 今から二千年前、イエスさまが来られた頃、イスラエルはローマ帝国の支配下にあったんです。ローマはイスラエルに重い税金を課しました。でも、その税金を自分たちで取り立てるのではなくて、ユダヤ人の中から徴収請負人を雇ったんです。この人たちのことを取税人と呼びました。彼らはとっても嫌われたんですね。なぜかと言いますと、ローマという敵の手先になったこと、また、自分たち同胞の裏切り者だったからです。時に、取税人たちはお金のために規定よりも大きな金額をふっかけてきました。ですから、とっても嫌われたんです。強盗に並ぶぐらい嫌われていたんですね。

レビの心には闇が広がっていった

 では、このレビは何故こんなに人に嫌われる職業に就いていたのでしょうか。一つ言えることは、お金を持てば幸せになれると確信していたからです。それは私たちもよく分かりますよね。年に何度か大型の宝くじが売り出されます。そしてそれを求めて、長蛇の列が出来ます。同じように、お金を持てば幸せになれると思うんです。レビはこの仕事でお金をたくさん手に入れました。しかし、幸せではなかったんです。それどころか、彼の心の中には憎しみや、怒りや、不安や、空しさといった、心の闇がどんどんどんどん広がっていったんですね。

心の闇の解消するただ一つの方法

 さて、皆さんの心には闇はないでしょうか。実はレビが特別なのではなくて、すべての人がこの心の闇を持っているというんですね。人の成功を妬んだり、些細なことで怒り、赦せなかったり、未来に対して不安を持ったり、人と比較して空しくなったり、そんなことはありませんか。この心の闇は、どのようなおいしい食べ物や、また美しい調べや、また華やかな装飾品によっても埋めることが出来ないのです。この心の闇の解消するただ一つの方法は、光が差し込むことです。

わたしは世の光です

 イエスさまはある時、こう言われました。「わたしは世の光です。」イエスさまはレビのこの心の病みに目をとめられたのでした。レビの人生がこのままで終わって欲しくなかったのです。人はある時、罰によってその道をただされることがあります。しかし、愛され、受け入れられ、心が温められることでしか、どうしようもない自分の人生から立ち上がることが出来ないこともあるんですね。レビが立ち上がるためには、一方的で無条件な愛が必要でした。

わたしについて来ないか

 ある日、レビは自分を見つめている視線に気がつきました。ふと目を上げると、そこにイエスさまがおられたんです。今まで彼は経験した眼差しではありません。蔑みや、怒りではなく、ただ、心配し、気に掛け、等身大の取税人レビを心から受け入れ、愛する眼差しでした。レビには、そのことがよーく分かったんですね。イエスさまはレビに近づいて、「わたしについて来なさい。」と言われました。彼は迷いませんでした。立ち上がったんです。レビの新しい人生がこの時から動き始めました。

歩きだそう!新しい人生の第一歩

 さて、皆さんの中には心の闇はないでしょうか。今それを見つめておられる方がおられるんです。とがめるためではなく、ありのままのあなたを愛し受け入れ、あなたの心の中に素晴らしい光を満たし、あなたの人生を新しい、輝く人生に導きたいと願っておられる方が見つめておられるのです。わたしについて来ないか。立ち上がってみませんか。一歩踏み出してみませんか。新しい人生の第一歩を。



竹下静:いま歩きだそう
新約聖書 マルコ2:14
 イエスは、道を通りながら、アルパヨの子レビが収税所にすわっているのをご覧になって、「わたしについて来なさい。」と言われた。すると彼は立ち上がって従った。