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Bible & Gospel

No.485 2009年07月12日「永遠の御国が人を活かす」

おはようございます、高原剛一郎です

 私は先日、この番組のリスナーの方からお電話をいただきました。難病をいくつも抱え透析しながら奇跡的に生かされてきた方です。「いよいよ死期が近いと宣告されたので予めお知らせしておきます。」っておっしゃるんですね。「突然連絡が取れなくなって驚かせてはならない」からっておっしゃるんです。私は聞きまして頭の中が真っ白になったんですが、彼女はまるで他人事のように、淡々とご自分の置かれている状況を説明されるんです。

天国への希望

 若い頃は随分やんちゃをした方ですが、今はメッセージに聞き入り、聖書のみことばの一つ一つに深く感動し、キリストとつながり、罪の赦しを確信し、人生を神様の視点で見ている方です。「一体、何が彼女を支えているんだろうか。」と考えるとき、思い浮かぶのは、天国への希望です。
 聖書の中にこんなことばがあります。
「しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。」

日本という故郷が恋しい

 私は先日、カナダという国に行ってきました。そこでカナダに移り住んで、40年、50年、60年という日系人の皆さんに聖書の福音をお伝えしたんです。人生の3分の2 或いは4分の3をカナダで過ごしている方々なのに、どういうわけか、年を取るにつれて、日本という故郷が恋しくてたまらないっておっしゃるんですね。日本語のメッセージが聞きたくてたまらないんだ。国籍までカナダに変えたのに、どうにも日本を欲してたまらないっておっしゃるんです。それはカナダよりも日本の方が住みよい地上天国みたいな国だからではありません。それが証拠に、ずっと日本にいてる日本人は自分が日本にいることにあんまり感動はないと思うんです。

 私は日本に住んでるだけで幸福感で満たされているという人に、あんまりお目にかかったことはありません。通勤電車に乗ったら分かりますね。みんな疲れているし、いらいらしているし、毎年のように心労で倒れる人が増えているのではありませんか。実は人間の魂を心底ほっとさせ、満たしていくふるさとはこの不完全な地上のどこかにあるのではなく、人間の魂を造られた方、この方こそは人間の本当のふるさとと言えるのではないでしょうか。

神はあなたのルーツ

 聖書は、あなたをお造りになった作者を創造主と呼んでいます。あなたをお造りになったまことの神様はあなたのルーツなる方です。ところが、人はこの本当のルーツ、本当のふるさとから家出をして、放浪している存在なんです。人にはふるさとが必要なのです。返るべきところを持っている人だけが、この不正不条理のまかり通る世界の中で正気を保って生きていくことが出来るのではないでしょうか。

才気煥発な青年の質問

 カナダのビクトリアというところに、クリスチャンの作家がいます。彼の名前は、マーク・ブキャナンという人です。美しい西海岸の教会で、彼はあるカップルの結婚式の司式とメッセージをしました。やがて披露宴が始まります。するとそこへ才気煥発な見るからに元気のよい青年が近づいてきてこう聞いたそうです。「先生、あなたは聖書を丸ごと全部信じているんですか。」「もちろん」「そうですか。でも僕はそれが正しくても正しくなくても、必要だとは思ってないんです。教会っていうところは、なんだか窮屈だし、そこで語られていることって、みんな目に見えないことばかりでしょう?神とか、救いとか、天国とか、復活とか。そんなのは蜃気楼みたいなもんですよね。僕は人生をそんな幻を目の前にぶら下げないと生きていけないものだとは考えてないんです。人生って生きているだけで、冒険だし、美しいし、発見だし、わくわくすることです。生きていること自体が生きている価値を僕に教えてくれるんです。だから僕は、神や神の約束に頼る必要性を感じないんですよ。」

リチャードという人のこと

 マークさんはそれを聞いてこういう風に言ったそうです。「うーん、そうだね。それも一つの見識として立派な考えだと思うよ。でもね。僕は今、リチャードという人のことを思い起こしているんだ。彼は44才だけれど、どう見ても60才にしか見えないんだ。長年にわたってゲイの男性に身をひさいできたんだ。彼は男性の売春婦をやって食いつないできたんだ。でもエイズを発症して年を取り、醜くなり果てたとき、彼は捨てられてしまったんだ。彼は今死を待つだけだ。そんな彼の唯一の願いは死ぬときはお母さんのところで死にたいということだ。だから私はカルガリーまでのバスの切符を彼に買ってあげたんだ。

アーニーのような人

 それからね。もう一人の人のことを私は今思い起こしている。彼はアーニーと言ってスポーツマンで、20代でベンチャー企業の副社長になって、ハンサムで有能な人だ。そして美しい奥さんを持って幸せな人だ。4人の子供を養子にとって、それはそれは麗しい家族なんだ。でも、この彼の奥さんが筋ジストロフィーになってしまった。彼女は毎日、少しづつ自分の自由を譲り渡していくしかない。それを彼は毎日、見続けているんだ。ところで、君の言った人生観、神も天国も復活も、約束なんてなくても、ただ生きていること自体が人生を生きる力になるという哲学は、リチャードやアーニーのような人にとってどんな力になるんだろう。彼らになんて声を掛けることが出来るんだろう。」青年は答えました。「私には難しすぎて今すぐ答えることは出来ません。」「そう、じゃあ分かったら手紙をくれませんか。」「はい。そうします。」しかし、いつまでたっても、返事はこなかったそうです。

神に立ち返る道

 若い時、強いとき、健康なとき、成功しているとき、美しい時、私たちは怖いもの知らずで、人生を謳歌することが出来ますね。しかし、そういうものは、いつまでも続かないのです。人はこの世で永久に元気で強いまま生き続けることは出来ません。神といういのちのルーツから切れた結果、人は死につつあるものなのです。しかし、神様はこの人間の罪を、イエス・キリストにおいて解決して下さったのです。そして、人がありのままの姿で、神の前に立ち返る道を備えて下さったのです。

マッチ売りの少女

 クリスチャン作家アンデルセンの代表作にマッチ売りの少女という作品がありますね。クリスマスイブの夜、誰一人この少女のマッチを買うものはなく、誰一人、彼女を家に入れるものもなく、誰にも惜しまれることなく、雪降る町で死んでしまう少女の物語です。日本人はこの童話を悲劇として読む人が多いと思います。しかし、アンデルセンによると、これはハッピーエンドの童話だって言うんですね。

天国がないと悲劇に見える

 彼女は死んで終わったんじゃない。マッチを売り歩かなければ生きていけない国からそんなことをしなくても大切にされる国へ移ったんだ。家に入れてもらえなかった彼女は、本当の父の家に入れてもらうことが出来たんだ。ひとりぼっちで凍死する世界から、キリストと大好きなおばあさんと再会する世界へ移ったんだって言うんですね。このストーリーが悲劇に見えるのは、天国はないと思って人生を見るからです。しかし、事実神はキリストによって罪赦された人々に、都を用意しておられるのです。どうぞあなたもキリストによって、まことの故郷を持つ人になって下さい。心からお勧めしたいと思います。



ノア:希望があるから
新約聖書 ヘブル人への手紙11:16
 しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。