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Bible & Gospel

No.481 2009年06月14日「創造主による安全保障」

おはようございます、高原剛一郎です

 今から3年ほど前、ドミノ倒しのギネス記録に、オランダのチームが挑戦しました。何と400万個のドミノ倒しに取りかかったんですね。何ヶ月もかけて細心の注意を払いながら、取り組むのですが、ある日のこと事件が起こりました。メンバーの一人が窓を開けたんです。するとそこから雀が一羽ホールに入ってしまったんです。そして、あろう事かこの雀は一つのドミノにタッチしてしまいます。あっという間にその日に並べた2万5千個のドミノが、バラバラバラと倒れてしまったんですね。しかし、400万個ではありませんでした。被害は2万5千個でとどまったんです。一体なぜでしょうか。

セーフティーネットがあるから挑戦出来る

 彼らは万が一を考えて、2万5千個毎にスペースを作っておいたんです。万一倒れても全滅しないように、750カ所にわたって安全圏を確保しておいたんですね。だからこそ、この気の遠くなるような400万個に挑戦できたんです。

 人はセーフティーネットがあるからこそ、果敢に挑んでいくことが出来るんですね。ドミノの会場に雀が侵入するように、私たちの人生の中にも、思わぬピンチが降りかかることもあるでしょう。しかし、そのとき、何があっても大丈夫だという神の安全保障を持っているならば、恐れることはないのです。

神が人間に与えて下さる安全保障

 では、神が人間に与えて下さる安全保障とは、何でしょうか。聖書はこう語っています。
「罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。」

罪の裁きに対する安全保障

 ここには神が下さる三つの保障があります。
 第一に私たち罪人のために、キリストは十字架に架かって死んで下さったので、罪の裁きに対する安全が完璧に保障されているということです。

死をも恐れぬ愛の姿

 私は以前こんな証を読みました。茨城県の軍需工場の近くに住んでいた方の体験談です。それは太平洋戦争の最中のことです。アメリカの海軍がやってきて、艦砲射撃があるという警報が出たんです。彼はお母さんに連れられて家を飛び出し、必死で逃げました。ところが防空壕にたどり着く前に、頭の上をびゅーんびゅーんと砲弾が飛んでくる。みんなは土手を駆け下りて、川沿いに走って逃げました。土手によって姿を隠すことが出来るからです。ところが走っている内にお母さんとはぐれてしまったことに気づいたのです。「しまった。お母さんは一体どこにいるんだろう。」当たりは逃げ惑う人ばかりでとても見つけ出すことが出来ないと思ったそのとき、遠くの方から「みのるー、みのるー」と自分の名を呼ぶ女の人の声がするんです。その声の方向を見るとお母さんでした。何とお母さんは、土手の上に立って自分を捜しているんです。少しでも高いところに立てば、息子を見つけることが出来ると思ったんでしょう。砲弾がビュンビュン飛んでくるそのただ中、ひたすら自分の名を呼びながらお母さんが立っている姿を見たとき、彼は、死をも恐れぬ愛の姿を見たのです。

 キリストは、万が一私のために死ぬかも知れないのに、この世に来られたのではありません。私の方をめがけて飛んでくる罪の裁きをご自分で身代わりに受け止めるために、この世に来て、十字架に架かり、死んで下さったのです。そして、ここに神の愛があるんです。

三日目に死からよみがえって下さった方

 第二に、この方は、死んで終わりではなく、三日目に死からよみがえって下さった方です。しかもキリストは、ご自分だけがよみがえったというのではなく、キリストを信じるすべての人々にも死からよみがえる力を与えるために、まず、初穂として復活してくださったんです。そして今、神の隣りにいて、あなたの信仰告白やあなたの祈りをとりなして伝えて下さる方なんです。

キリストを通すと天国は驚くほど近い

 神は天にいます。あなたは地上にいます。天と地の開きは果てしなく大きいんです。しかし、神とあなたの間に、よみがえったキリストがいて神のすぐそばであなたのために祈り、とりなし、あなたの信仰告白を伝えるために、待機しておられる方なんですね。キリスト抜きの天国ほど人間にとって遠い世界はありません。しかし、キリストを通して天国は、驚くほどに近いところとなるんです。

一緒にいて下さる救い主イエス・キリスト

 第三に、キリストはいつもあなたに目をとめて一緒にいて下さる方なんですね。
 まだ末っ子の娘が小学校低学年くらいの時のことです。ある晩、雷を伴う大雨になったのです。そしてすぐ近くに何発も何発も雷が落ちたんですね。近くに落ちるとすごい音がします。窓がビリビリビリと響くんです。私は自分の部屋で書きものをしておりましたが、あまりの大音響におびえた娘がやってきました。そして、「今晩一緒にいて欲しい」って言うんです。「一緒の家にいるじゃないか」というと「いや、一緒の部屋にいたい」と言うんです。「隣りにいて欲しい。」「私のすぐそばにいて欲しい」と懇願するんですね。「分かった。一緒にいるから大丈夫、安心してここで寝なさい」と言って私のデスクの下に毛布を敷いて寝かせたのです。
 ところで、この時、娘はこの雷を止めて下さいとは言いませんでした。勿論そんなことリクエストしても、私には出来ないことですね。しかし、雷を止めることより、大嵐をやませることより、一緒にいてもらうことによって、問題を乗り越えるという道を選んだのです。

最大、最強のセーフティーネットとは

 私たちは時に、「この問題を過ぎ去らせて下さい。この人生の雷を除いて下さい。人生から大雨、大嵐を過ぎ去らせて下さい。」と祈りますが、「私と一緒に神を共にいて下さい」と祈ることが少ないのではないでしょうか。クリスチャンになっても人生に嵐は来ますね。光も見えず、道も見えず、答えも見えない日が続くこともあることでしょう。しかし、キリストがそばにいて、見守っていて下さるんです。そして、これこそ最大、最強のセーフティーネットなんです。なぜなら、キリストは全知全能の神にして、あなたの救い主であるからです。

「もうじき」って言うことば

 ところで、「もうじき」って言うことばがありますね。もうまもなくって言う意味です。「もうじき夜だ。」というのと「もうじき夜明けだ。」では随分印象が違いますね。「もうじきだめになる。」というのと、「もうじき良くなる。」というのも、随分印象が違います。同じ「もうじき」なのに何が違うんでしょう。言葉の方向性が違うんですね。あなたの心が向かっているのは、夜ですか。朝ですか。滅びですか。救いですか。地獄ですか。天国ですか。悪魔ですか。それとも救い主イエス・キリストですか。どうぞ、心をキリストに向けてこの方を救い主として信じ、受け入れて下さい。そして、「もうじき」この世に来られるキリストを待望する人生の中に、是非入って下さい。心からお勧めしたいと思います。



コデュアニャ・敬子:エンブレイス
新約聖書 ローマ人への手紙8:34
 罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。