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Bible & Gospel

No.480 2009年06月07日「喜びの理由イエスの復活」

おはようございます、高原剛一郎です

 私は先日、サバン症候群を取り上げた番組を見ました。サバンというのはフランス語で賢人とか天才という意味です。サバン症候群とは、ごく特定の分野に限って、普通の人には及びもつかない超人的な能力を発揮する症状のことなんです。

サバン症候群のキム・ピークという人

 その代表的な人物に、アメリカユタ州に住む、キム・ピークという人がいます。彼は生後18ヶ月から、本の丸暗記を始めるんですが、1ページ当たり8秒ほど眺めてはペラペラとめくっていくんですね。ところがそれで分厚い電話帳の住所、氏名、電話番号が丸々記憶されていまうんです。まるでコンピュータのハードディスクにコピーされるように丸ごと正確に記録されます。今や暗記した本の数が9000冊を突破しました。彼はアメリカのどこへ行っても即ガイドになれます。というのは、全米のあらゆる町の地図をくまなく覚えてしまっているからです。西暦3000年分の何月何日が何曜日であるかを全部言い当てることが出来ます。さらにこの2年はピアニストとしても傑出した才能を示し、54才になった今も能力を発展させ続けているそうです。

レスリー・レムケという人

 また、レスリー・レムケという人は目が見えず、発達障害と脳性麻痺のある方です。しかし、14才の時、数時間前にテレビで初めて聞いたチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を戸惑うことなく、完璧に弾きこなしてしまいます。驚くべきことに、彼はそれまでピアノのレッスンを一度も受けたことはなかったし、その後も一度も受けてないんです。しかし、今や全米はおろか、海外のコンサートにも多数出演し、何千曲を演奏し、また歌うんですね。この症状の人たちは、圧倒的に男性が多いそうです。そして、脳の一部に障碍があります。大脳は右脳と左脳、右左に分かれているんですね。この2つの脳を接続する部分が先天的に失われている方が多いんです。

 よく右脳は芸術脳、左脳は論理脳という風に言われていますね。普通はこの両方の脳が協力しあって活動するんです。ところがサバン症候群では、論理の左脳が働きません。従って、果てしなく記憶が充満しているんですが、それを体系づけて何かに応用したりすることは出来ないんです。一般には左脳が主に言語能力を司り、右脳の活動を抑制するように働くと言われています。

 しかし、先天的な欠落によってこの左脳の抑制力が効きませんので、右脳が自由に発達して超人的な能力が得られたのではないかと推測されています。彼らの肉体は、普通の人と同じように、日々衰え、年をとれば老いていくんですね。視力も衰え、筋肉も弱り、腰も曲がってくるんです。ところが、脳だけはまるで別の生き物であるかのように、活動し、その能力を押し広げていくんですね。

サバン症候群によって判明したこと

 私はそれを見ながら人間は、自分が思っているよりも遙かにすごいものとして、神に造られているのではないかなあと思いました。サバン症候群の人たちが活用しているのは、脳のごくごく一部です。また、左脳はほとんど用いられていないようですね。つまり、人間の脳はほとんど使われないままになっているんです。いや、80年という人生の時間では、使い切れないほどの性能、キャパシティーがあるというのが、私たちの脳なんです。

永遠に生きるように設計されていた痕跡

 進化論の立場に立つと、人間ていうのは少しづつ脳を発達させて今日に至ったという風に説明しています。しかし、実際はそうではないのです。人類の中で未だかつて脳を完全に使い切ったという人間は、誰もいません。使い切るには80年、90年というのは、短すぎるんです。つまり人間ははじめからこんな短い寿命に生きるように造られていたのではなく、永遠に生きるように設計されていた痕跡とも言えるんですね。ところが、実際人は死にます。そして人間の能力は宝の持ち腐れのようにして終わるのです。

死は神がプログラムしたものではない

 聖書は死というものは不自然なものであって、はじめから神様がプログラムしたものではないと語っています。人間に死が入ったのは、いのちの造り主である神様に反逆した結果なのだと語るんですね。しかし、この死という不自然なものを解決するために、キリストは今から2000年前に、十字架に架かって罪を背負い、三日目に死からよみがえって下さいました。このキリスト復活当日の様子を、聖書は4つの福音書を通して詳しく語っています。

 その中のヨハネの福音書にはこう書いてあります。
 「その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。」こう言ってイエスは、その手とわき腹を彼らに示された。弟子たちは、主を見て喜んだ。」こう言ってイエスはその手と脇腹を示された。弟子たちは主を見て、喜んだ。

喜びに大逆転した留学生

 実は私は今年のはじめ、パリにバイオリンの勉強をするため推薦留学を目指していた青年とある集会でお会いしたのでした。先日、その留学試験の結果が届いたそうです。実はまさかの不採用だったんですね。まあ、よっぽど自信があったんでしょう。彼の落ち込み方というのはですね。見ていて気の毒というか、何というか、何と声を掛けて良いのか。もうただただ見守る以外になかったんです。ところが、それからしばらくして、新しい報告を持ってきてくれました。何と採用された人が、事情があって辞退されたんですね。それで彼が繰り上げ採用に選ばれて、晴れて花の都パリへ行くことになったって言うんですね。その姿は喜びで満ちていました。目はキラキラと輝き、表情は明るく、はきはきとしていたんですね。本当に別人のようでした。ところで、ついこの間までは、死にそうな顔をしていたのに、どうしてかくも喜びに躍動しているんでしょう。絶望の原因であった不採用がひっくり返り、採用されたからです。悲しみの原因が大逆転で除かれてしまったからです。

喜びを爆発させた弟子たち

 イエス・キリストの弟子たちは、キリストの十字架処刑の後、悲しみと恐怖で部屋の中に閉じこもり、おののいていました。ところが、十字架処刑の三日後、日曜日の夕方、彼らは別人のように喜びを爆発させていたのです。なぜでしょうか。彼らの悲しみの原因であったキリストの死が、どんでん返しで、取り除かれてしまったからです。彼らはよみがえりのキリストと再会したのです。たった11人のキリストの弟子は、少数派であろうとも、迫害があろうとも、殉教が待っていようとも、この打ち消すことの出来ない喜びに、押し出されるようにして、全世界に出て行き、キリストの復活を宣べ伝えていったのです。

喜びの人に変えたもの

 一体、おののいていた弟子たちをこのような喜びの人に変えたものは、何だったのでしょうか。キリストの復活なんです。ですから、弟子たちは、変わったんですね。いや、変えられたんですね。キリストはよみがえりました。もはや死は骨抜きにされたのです。誰でもこの死んでよみがえったキリストを自分の救い主とするなら、今ここで救われるのです。どうぞ、あなたもイエス・キリストを信じて下さい。心からお勧めしたいと思います。



プレイズストリーミング:十字架にイエス
新約聖書 ヨハネの福音書20:19-20
 その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。」こう言ってイエスは、その手とわき腹を彼らに示された。弟子たちは、主を見て喜んだ。