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Bible & Gospel

No.479 2009年05月31日「背信の子らへの呼びかけ」

おはようございます、高原剛一郎です

  先日私は、胎教の本を読みました。胎教とは胎児教育の略です。おなかの中の赤ちゃんに対する働きかけのことですね。この本によると胎児は妊娠6ヶ月で聴覚が備わり、7ヶ月で完成するそうです。ですから胎教が成立するんですね。

お母さんの心音は赤ちゃんの落ち着きを取り戻させる

 ところで胎児に聞く能力が備わった後、最初に聞こえる音って何でしょう。それはお母さんの心音と、へその緒の中を流れる血流の音なんです。この二つの音は、お母さん一人一人によって違うそうです。どっくんどっくんというリズムとシャーという血の流れる音は胎児にとってのビージーエムなんですね。ですから生まれた後でむずがる赤ちゃんに、この心音を聞かせると、たちどころに泣き止むって言うんですね。自分が一番守られていたときの音を聞くことで、落ち着きを取り戻すことが出来るんです。お母さんの心音は赤ちゃんにとって、ふるさとのメッセージなんですね。それと同じように、人間にとっては、自分の造り主のことばこそは、魂のふるさとのメッセージだと思います。

背信の子供への呼びかけ

 聖書のエレミヤ書3章22節は、リビングバイブルという聖書ではこう書いてあります。  「私の背信の子らよ。もう一度私のところへ戻ってこい。そうすれば、おまえたちの罪の病気を治してやろう。」この神の呼びかけに彼らはこう答えます。「帰ります。神様。神様は私たちの主だからです。」

 さて、この中で神は人間のことを背信の子供だと呼びかけています。背信とは、信頼を裏切ることです。さて、人間は神の信頼を裏切り、好意を踏みにじり、背中を向けて生きている子供のようだって言うんですね。

無銭飲食常習犯の手口

 私は先日、ついこの間までファミリーレストランの店長をしていた方のお話を伺いました。24時間営業のそのお店には、いろんなお客さんがやってきます。中でも困ったことは、無銭飲食の常習犯と思われる人が来ることです。若い人よりも、40代の、しかも身なりも立派な人が多いそうです。ですから、はじめは見抜けないんですね。しかし、途中でどうもおかしいと気がつくんですね。というのは、すごい品数を注文するからです。「こんなに食べれるのか」というのを長時間かけてたいらげ、最後に「財布を落とした。今気がついた」というそうです。「じゃあ、家族か友人に連絡して、立て替えてもらって下さい」というと、「自分は天涯孤独で家族も友人のない」って言い張るんですね。
 結局、警察に来てもらいますが、店は損害を受けます。というのは、警察は逮捕はしますが、飲食代を払ってはくれないからです。しかも、財布を落としたと言えば、はじめから代金を踏み倒すつもりではなかったと言うことで、何と無罪放免されることが多いって言うんです。本当ははじめから払うつもりがないのに、食べるだけ食べ散らかして、しかも警察を呼んだことで悪態をつくそんな人を見ると、「いい加減にしろ」と怒鳴り散らしたくなると言っておられました。私が同じことをされたら、きっと同じ気持ちになると思います。

この世界を造られた方に対する無銭飲食

 ところで、私たちはこの世界を造られた方に対して、無銭飲食を繰り返しているのではないでしょうか。
 先日私は、サントリー奥大山の水というミネラルウォーターを買いました。そして、ペットボトルのラベルを見ると品名:ミネラルウォーター、原材料:水 と書いてありました。そらそうでしょう。そして、販売者:サントリー とありましたが、食品なのに製造者の名前がないんです。一体水の製造主って誰でしょう。神ですね。この大山の水をボトルに詰めたのは、サントリーさんでしょう。その水をコンビニまで運んだのは、運送業者です。そしてそれを小売りで販売したのは、お店の人です。彼らはみんなお金を取ります。しかし、水を造られた神は、一銭も取らないんです。産油国は地下から石油をくみ上げて金を取ります。タンカーの会社はそれを運んで金を取ります。化学メーカーはそれを使ってプラスチックや石油製品を製造して、金を取ります。しかし、元はといえば、ただです。どうして石油はただなんでしょう。石油を造った方がお金を取らないからです。

ただで使うことによって成り立つ経済活動

 そう考えてきましたら、人間の経済活動はすべて神のものをただで使うことによって成り立っているんです。しかもこのようにあらゆる資源を提供している神に対して、人は崇めることもせず、感謝もせず、その存在すら否定しているのではないでしょうか。もしあなたが最高のサービスを提供している相手から、完全に無視された状態でしかもそのサービスを受けるのは当たり前だという態度をとられたら、どんな気持ちがしますか。とっても不愉快ですね。人が神にしているのは、そういうことなのです。ですから、聖書は人のことを背信の子らだと、語るんです。

 罪とは背信のことです。神様に愛されていながら、神などいないかのように振る舞うことなんです。ですから、私たちは自分の造り主の元に帰るべきなのです。あなたに体を与え、命を与え、才能を与え、人生という偉大なチャンスを与えて下さった魂の親の元に帰ろうではありませんか。

記憶の喪失

 ところで、人は頭を強く打ったりすると、記憶が飛んでしまうことがありますね。ある青年は交通事故のショックで家族の名前や、親友のことが分からなくなってしまいました。記憶がなくなるというのは、その人の生きてきた歴史が消滅することです。そして、その本人がそれまで築いてきた人々との関係が、なくなってしまうと言うことです。記憶の喪失によって、自分にとって特別に大事な人が、見知らぬただの人、赤の他人になってしまうんです。  しかし、この青年は、ある日突然、記憶の一部を取り戻すことに成功します。きっかけはニオイでした。あるとき、彼は町を歩いていると、塗装作業の現場に出会います。そこではペンキ特有のシンナーのニオイが充満していたんです。そのニオイをかいだとき、記憶の封印が解けはじめます。シンナーのニオイから彼が思い出したのは、かつて彼の趣味だったプラモデルのこと、そして、それを作っていた部屋、さらに彼にプラモ作りを手ほどきした友人の顔、さらに品評会で優勝したことと連鎖的に記憶が戻っていったって言うんですね。

神を思い出すきっかけ

 ところで多くの人にとって創造主なる神のことを聞いても、それがただの宗教の話のレベルになってしまい、自分の問題となって響かないのは、なぜでしょうか。それはその人が、神に対して記憶喪失になっているからではありませんか。記憶を失えば特別な人もただの人、赤の他人にしか見えないのです。ペンキのニオイがかつての彼の人間関係を思い出すきっかけになったように、神を思い出すきっかけが、人生の中で与えられていると思います。

絶体絶命という経験は神のアラーム

 神を思い出すきっかけとは、なんでしょう。それは、絶体絶命という経験なのです。人は困ったとき、しかもどうしようもなく行き詰まったとき、目に見えない偉大なる存在に向かって、祈るのではありませんか。人生の問題は人をして神に立ち帰らせるための、神のメガホンです。それはあなたの人生に決定的に欠けている方を思い出させるアラームです。あなたも人生の中で、一度や二度は神に祈ったことがあるのはありませんか。人には神が必要です。なぜなら、人は信頼するべきものを持たずして、まともに生きることが出来ないからです。そして、神こそは人が信頼して間違いない方なのです。どうぞあなたもイエス・キリストによって自分の造り主に帰って下さい。心からお勧めしたいと思います。



国分友里恵:いま愛に帰れ
旧約聖書 エレミヤ書3:22
 背信の子らよ。帰れ。わたしがあなたがたの背信をいやそう。」「今、私たちはあなたのもとにまいります。あなたこそ、私たちの神、主だからです。