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Bible & Gospel

No.476 2009年05月10日「子を探し求める魂の親なる神」

おはようございます、高原剛一郎です

 昔、ギリシャの数学者にユークリッドという人がいました。彼はエジプトの皇太子に数学を教える家庭教師も務めていました。しかし、この王子はあんまり出来が良くなかったんですね。数学なんか出来なくても王様になるのに支障はないと考えていたからです。退屈した王子はユークリッドに質問するんです。「もっと楽にわかる方法ないの」ユークリッドは後に名言として有名になる言葉をもって王子を諭します。こう言ったんですね。「殿下、学問に王道はありません。」
 大抵のことは王の権力を使ったら何とかなるでしょう。しかし、真理の前には王も庶民も関係ない。権力者も奴隷も真理の前には身をかがめて学ばなければならないと言ったんですね。

愛の対象として創造された人間

  さて、聖書は神の言葉です。真理の中の真理がここにあるんです。この聖書の中に神と人との関係をわかりやすく説明したたとえ話が載ってます。人間を造られた真の神様は人を愛の対象として創造されました。ところが人間はこの神様の元から離れて、まるで家出少年のように父親を捨てて放蕩しているのだというのです。しかし、父親はいなくなった息子をどうしてもあきらめきれずにその息子が戻ってくるのを、首を長くして待ち続けていると言うんです。神とはこの父のような方なんですね。

チェンジリングという映画

 先月私は、チェンジリングという映画を見ました。チェンジリングというのは、「取り替えられた子供」という意味です。この映画は1928年のアメリカで実際にあった出来事を元にした作品です。クリスティン・コリンズというシングルマザーにウォルターという9才になる一人息子がいたんです。
 ところがある日のこと、彼女が仕事から帰ってくるとウォルターの姿が見えません。夜まで探し回るんですが、見つからなかったため、警察に電話をします。すると警察は子供の行方不明については、24時間以上立たない限り捜索しないことにしている。大抵一晩で帰って来るから、そんなことに警察官を使うわけにはいかないと言ったんです。実はこの当時ロスアンゼルスは事実上、市長と警察本部長2人の専制政治になっていました。警察は毎日のように汚職、スキャンダルを繰り返し、小さい事件に関わっている暇はなかったんです。一日たってようやく警察は動くんですが、ウォルター少年の手がかりはどこにもありません。

この子は私の子じゃない

 ところが、ウォルターが失踪して5ヶ月後、警察はウォルターと名乗る少年を発見したのです。やがて母親と息子の涙の対面が駅のプラットホームで実現するはずでした。ところが、現れた少年を一目見て、母親は息子ではない。人違いであるということがわかったんです。彼女は「この子は私の子じゃない」と即座に否定しました。しかし、彼女の主張通りであるなら警察はまたしても失態を繰り返したことになると考えました。それで事件担当者の警部は、「あなたは今取り乱して正常な判断が出来ないでいる。2週間ほど様子を見てみろ。」と言って、混乱する彼女を説き伏せ、半ば強引にその子を押しつけるのです。しかし、身長が7センチも低いし、何より、割礼していたのです。この子はユダヤ系の少年だったんですね。

本当の息子を捜して下さい

 母親は警察に行って、誰がなんと言おうと「この子は私の子じゃない」と必死で訴えます。なぜなら、自分の本当の息子は、今もどこかで死ぬような目に遭っているのかもわからない。警察に捜索してもらうため、彼女は出来るだけ丁寧に、下手に出ながら、「お願いですから私の本当の息子を捜して下さい」と懇願するのです。
 警察はどうしたでしょう。彼女を正気を失ったものと判断し、軍立病院の精神病棟に放り込んでしまうんです。そして一見落着をはかろうとするんです。
 ところが事態は急展開します。ウォルターになりすました少年が、事実を告白します。この少年はハリウッドの映画スターに会いたい一心でウォルターになりすましていたというのです。さらに連続少年誘拐殺人事件で、逮捕された犯人の被害者の中にウォルターがいたということが分かるんです。この犯人は、実に矛盾だらけの供述を繰り返したために、一体どれくらいの子供がさらわれ、殺されたのか分からないまま死刑になります。
 ウォルターの母親はどうしたでしょうか。一生涯ウォルターが帰って来ることを信じ続けて、息子を捜し続けるのを止めませんでした。彼女にとって息子は命でした。愛していたのです。曖昧な供述ぐらいであきらめることが出来なかったんですね。

あなたを必死で捜しておられる方

 私には彼女の姿の上に、創造主の愛が被りました。愛している者をなくすと言うことが、どれほど大きな痛みであるかを改めて考えさせられました。神様はあなたを今も必死で捜しておられる方です。あなたがキリストによって、神の元に帰ってくるのを今日も待っておられる方なんです。

 聖書の中にこう書いてあります。
 「こうして彼は立ち上がって自分の父のもとに行った。ところがまだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。」
 彼は、父を見捨てた生き方から立ち上がって、父のもとへ帰って行ったのです。そして、これを悔い改めって言うんですね。

イタリアであった誘拐事件

 今から10年ほど前、イタリアであった事件です。ある大富豪の娘が誘拐されます。まもなく身代金の要求が届きます。両親は必死でお金を工面しました。また当然警察にも連絡を入れたのです。そして、戻ってきた娘のケアのためにカウンセラーまで準備しました。彼女を迎え入れ、慰め、力づけるために必要なすべてを用意したんですね。
 ところが、彼女は帰って来なかったのです。なぜでしょう。彼女は両親に向かってこういったんですね。「私はこの誘拐犯と一緒にいるのが楽しくなりました。彼の話はとてもおもしろく、彼の性格は私を楽しませてくれる。私は彼と一緒に生活したいと思います。どうぞこの人を誘拐犯と言わないでください。私は自分の意志で彼の元にとどまると決めたのですから。」なんと彼女は自分の両親を脅して莫大な金をゆすり取ろうとしている人と一緒に生活したいと言い放ったのです。こうなると、彼女のために準備したものは全く役に立ちません。本人が助けてほしくないというんですから。助けられたくない人に対して、助けは一切役に立たないのです。

魂の親である神の元へ帰る

 あなたはいかがですか。神から離れ、自己憐憫の人生観という犯人と一緒に、ずっとこれからも生き続けますか。神なき人生をこれからも握り続けますか。あなたの魂の親である神を痛めつける罪の中に、住み続けますか。もしそうであるなら、キリストの救いはあなたの上に及びません。
 しかし、あなたが神から離れた人生と決別したいと願ってキリストに祈るなら、あなたは今、今日、この瞬間にも救われるのです。あなたの魂の親である神の元へ帰るために必要なことは、キリストがあなたの代わりに全部して下さいました。あなたがすべきことはただ一つ、罪という誘拐犯と決別して、キリストを救い主として、信じ受け入れることです。どうぞ、この方のもとに帰って下さい。こころからお勧めしたいと思います。



4given:父の神の真実
新約聖書 ルカの福音書15:20
 こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。