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Bible & Gospel

No.465 2009年02月22日「絶対的信頼者との出会いは人生を変える」

おはようございます、高原剛一郎です

 私は先日、あるリスナーの方からこんなお話を伺いました。そこのお宅には、飼い犬がいるんですが、この犬がむちゃくちゃに吠える犬なんです。お客さんの訪問があるたびに、吠えついて止まらなくなるそうです。ところがこの番組を流すとピタッと吠えるのを止めるって言うんですね。メッセージを流すと静かになるって言うんです。「犬も聞いてる聖書と福音」まあ動物でも熱く語ることばには耳を傾けたくなるんだなあと感心しました。
 さて、今日は、今の時代に最も相応しい、キリストのみことばをご紹介致しましょう。
 「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」

三つの不安とは何でしょう

 アメリカの経済危機に端を発し、今世界中が経済不安の直中にありますね。新聞のニュースなんかも暗い話ばかりを流しています。しかし、キリストは心を騒がせてはならないとおっしゃったんですね。心騒ぐとはどういう状態でしょう。心が不安でいっぱいになっていることです。実は人間はいつも三つの不安を心の中に抱え込んで生きているように思うんですね。三つの不安とは何でしょう。

死の不安

 第一に、死の不安です。死がやってくると、私たちはこの世にいなくなります。どんな有名人も過去の人になります。私たちはここに不安を感じるんですね。それは自分という存在がなくなってしまうことに対する不安です。そして、この死と言うのはしばしば問答無用で私たちの都合に関わりなく降りかかってくるんです。
 ところで、今世界の先進国が最も警戒している危機は何かご存じでしょうか。それは、パンデミックなんですね。パンデミックというのは、ある感染症や伝染病が全世界的に流行して、人口が大激減することなんです。日本語に訳すと、感染爆発となるそうです。実は人類は何世紀かに一回、世界人口に大ダメージを与えるような疫病危機を繰り返して今までやってきました。そして、21世紀の世界は、航空機の発達によって、未だかつてないほどパンデミックが起こりやすいという風に言われているんです。具体的には、鳥インフルエンザなんですね。これが発生したら、世界全体では最大1億5千万人、日本では210万人つまり阪神大震災の300倍の死者が出ると予想されています。このパンデミックに対する不安は、発生させないために人間が出来ることがほとんどないという点にあるんです。私たちはどういうときに不安を感じるでしょう。自分ではコントロール出来ないものに自分の運命が握られていると思えるときではありませんか。死というのは、いつやってくるのか。自分ではコントロール出来ないのです。だからこそ余計に無力感に打ちのめされ、不安になるんですね。

無意味の不安

 第二に、無意味の不安です。人間は誰でも、自分の存在に意味を見出したいと願っているように思います。そして、自分のやっていることに意味があると思えるとき、少々の苦労や摩擦があってもそれを続けていくことが出来るもんなんですね。この番組もまもなく丸9年を迎えます。どうして今まで、続けることが出来たんだろうって振り返って見ますと、スタッフ一同この放送に意味を感じているからです。聖書のメッセージを流すことで誰かの人生を良きものへと変えていくことに繋がっていると信じているからなんですね。もし自分の存在や、自分のしていることに何の意味も価値も見出すことが出来ないなら、恐らくその人は、言われなき不安でいっぱいになると思うんです。音楽家はどうして音楽を作るんでしょう。作った作品によって他の人に良い影響を与えることが出来ると信じているからだと思います。教師はどうして生徒に人生を使うことが出来るんでしょう。教育によって、何らかの良き感化を与えることが出来ると信じているからです。それを信じれなくなったら、教育に情熱を燃やすことは出来なくなると思います。そして、恐らくお止めになるんじゃないでしょうか。人は無意味に耐えることが出来ないのです。意味を与える方を見失っては、人間らしく生きて行けないように造られているんですね。

罪責の不安

 第三に、罪責の不安です。どんな人でも喜びを持って報いられる人間でありたいと願っています。或いは誰かから感謝される人生を生きたいと考えていると思います。そのような喜ばれる人間、評価される人間、感謝される人間になるためには、喜ばれるようなこと、評価されるようなこと、感謝されるようなことを行っていけば良いんでしょうが、しかし、人間の本性の中には、それとは正反対のことをせずにおれない破壊への衝動が宿っているように思うんです。そして、人生の中で、卑怯な行動を取ったり、不道徳な選択をしたり、触れてはならないものに触れてしまうようなことが、ままあるのです。自分でも望まぬことをやってしまうようなことがあり得るのです。そして、これが病みつきになって止められなくなる場合もあるんです。その時、自分の罪に対する責任を感じるんですね。これが罪責の不安なのです。

絶対的に信頼出来る方と繋がる

 さて、一体どうしたらこれらの不安から逃れることが出来るんでしょう。ところで、不安の反対って何でしょう。普通に考えたら、平安ということですね。もちろんそれも間違いではないと思うんです。しかし、もっと積極的な態度があると思うのです。それは、信頼です。私たちは絶対的に信頼出来る方と繋がっているとき、不安から解放されているからです。何があっても、疑わない、何があっても裏切らない方に信頼出来ているとき、不安を忘れているからです。

あるグループホームの話

 先日私は、あるクリスチャン女性から素晴らしい報告を頂きました。彼女は自宅を開放してグループホームを経営しておられるんです。数名のお年寄りを預かってお世話しておられるんですが、そのグループホームの方々はいずれも認知症の進んだ方として入所されるんです。しかし、皆さんイエス・キリストと出会って、別人のように落ち着きを取り戻して行かれるって言うんですね。あるあばあちゃまは93才で入所されました。すでに認知が深刻だったのです。その上、とても独占欲の強い方でそのクリスチャン女性を独り占めにしたいのです。一日中「先生」とか「桜子さん」とか、勝手にその時その時で名前を付けて呼び続けるんです。ある時など「お釈迦様」と大声で呼ぶそうです。所構わず、朝でも晩でも大声でお経をあげるので、周りの方々もほとほと困っていたそうです。

永遠のいのちを欲しいと思いませんか

 しかし、夏が過ぎた頃から体力が弱り、そして、とうとう全く食べられなくなってしまったんです。彼女が付き添っていると、ぽつりとおっしゃったそうです。「先生私はもうすぐ死にます。今までありがとうございました。」彼女は言いました。「こちらこそ長い間グループホームを利用して下さってありがとうございました。ところで、聖書には永遠のいのちについて書いてあるんですが、あなたも欲しいと思いませんか。」「はい、欲しいです。」「おばあちゃん、人間の不幸の原因は神さまから離れているところにあるんですよ。あなたのすべての罪はイエスさまが十字架の上で処分してくださったんですよ。イエス様はあなたのために死んで下さった救い主です。そして、死んだままじゃなく、復活した救い主ですよ。」「私もイエス様信じたい。」そして、イエス・キリストを受け入れたんですね。

腰を抜かすほどビックリすることが起こった

 その翌日、腰を抜かすほどビックリすることが起こったそうです。何とこのおばあちゃんが一心不乱に賛美歌を歌っているんです。弱っているはずの彼女がニコニコしながら長い間、賛美歌を歌って後、4日間眠り続けて天国に帰って行きました。ところでどうして賛美歌をうたうこと出来たんでしょう。恐らく80年以上前に聞いた日曜学校で習った賛美歌が出て来たそうです。
 平安はどこから来るでしょう。絶対に裏切らないかたを信頼することによって与えられるんです。どうぞあなたもイエス・キリストを信じ、永遠のいのちを受け取って下さい。



福沢路得子:その方と出会った
新約聖書 ヨハネの福音書14:1
 あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。