No.463 2009年02月08日「神のマスタープランに参加しよう」
おはようございます、高原剛一郎です
私は先日ある方から金融ビジネスの専門誌を見せてもらいました。その誌面には日本財界の有力者の一人、オリックス会長の宮内義彦さんの記事がありました。その中で、宮内さんはこうおっしゃってるんですね。「私はクリスチャンにはならなかったけれど、学生時代に受けたプロテスタントの教育に大きく影響されていると思う。」
関西学院の中学・高校に通われたそうですが、入学してとにかく新鮮だったのが、クリスチャン教師の使命感と熱情だったそうです。それが、宮内少年にはとても印象深かったというんですね。
神が造られた良心に照らして恥じなければ何でもやる教師たち
具体的には、世間体や人の顔色で何かを判断するのではなく、神の造った良心に照らして恥じなければ前例のないことでもやると言うことを学んだそうです。私はそれを読みながら、宮内さんがいつかキリストと出会って、本物のクリスチャンとなられますようにと祈りました。同時に、若いときに聖書に触れることの意義深さを思ったんです。
ハワイのミッションスクールを見学
昨年、私はハワイに行きました。そこでハワイのミッションスクールを見学させて頂いたんです。その学校の名前は、ハナラニスクール、ハナラニ学園なんですね。ハナラニというのはハワイの現地語で天国の仕事という意味です。幼稚園から高校までの学校ですが、先生は全員クリスチャン、1クラスは18名位。毎日すべての授業の前に、神に祈ります。キャンパス内を歩いていると先生方がすぐにやってきて、「何かお困りですか。何かお手伝いしましょうか。」と幾度も尋ねて下さいました。また、生徒達もすれ違う度に、挨拶する姿にとても好感を持ちました。
中学一年生の使っている理科の教科書
私はその学校で、中学一年生の使っている理科の教科書を手に取ってみました。すると、そこに、こう書いてあったんですね。
自然界に対して二つの見方があるんだ。と紹介されているんです。一つはこの世界は神の作品であるという世界観で、これを創造論と言います。もう一つは、この世界は全くの偶然で湧いてきたという世界観で、これを進化論というんです。そしてこの教科書には、こう書いてあったんです。
創造論は科学ではありません。というのは、神が世界や命をお造りになったとき、それを見ていた人は、誰もいなかったし、実験で証明できないからです。それと同様に進化論は、科学ではありません。というのは、何もないところから物がわいてきたり、物質が生命体に進化していくのを見た人は誰もいなかったし、実験で証明できないからです。
創造論と進化論は宗教と科学の対立ではなく世界観の違い
「この二つは、宗教と科学の対立ではなく、二つの世界観の違いです。」とあったんですね。一般的に日本では、進化論の方はまっとうな自然科学だという風に思われてますね。そして、現代人は、先入観なしに証拠を調べて、そして、進化という結論に至ったと思っています。しかし、それは事実ではないのです。科学は証拠に基づいて仮説を立てるのではなく、まず先入観に基づいて仮説を立てるんです。そして、その仮説を裏付けてくれそうな証拠を、選び出すんですね。もし、証拠が仮説を覆す物であるならば、その時点で仮説は捨てられるはずです。ところが、現在ダーウィンの進化論が誤りであるということが指摘され、それまでの証拠が、間違っているということが、判明したにもかかわらず、次々と新しい進化論が編み出されていくんですね。一体どうして進化論は生き残るんでしょう。最初に先入観があるからです。この世界とその中に住むすべての生命体は、偶然発生して進化した結果だという先入観があるんですね。つまり、進化論というのは、科学というよりも信念なのです。神という作者なしにこの世界の存在を説明する世界観なんですね。そして、どんな世界観を持つかで、人の生き方は大きく変わってしまうんです。
地球は丸いという世界観が彼らの冒険心を駆り立てた
15世紀半ばまで人々は水平線の向こうは断崖絶壁の滝になっていると思っていました。海の向こうへ行くと、奈落の底へ落ちてしまうと考えたんですね。ですから、誰も航海に出なかったのです。しかし、地球は丸いんだ。世界は海で繋がっているんだという世界観を持った人々は、向こうの世界へ乗り出していったんです。この彼らの勇気はどこから来たんでしょうか。地球は丸いという世界観が、彼らを冒険に駆り立てたんです。どんな世界観を持つかが、人の生き方を決めるんですね。では、聖書はどんな世界観を語っているんでしょう。こういうことばがあります。
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」
聖書の世界観の第一は、神には計画があるということ
ここに聖書の世界観があります。第一に、この世界をお造りになった神さまには、計画があるということなんです。神さまは、思いつきでこの世界を造られたのではありません。計画に基づいて、この宇宙を造り、地球を造り、地球の上にあなたを造り、そして、今、この福音メッセージを聞かせておられるのです。あなたは、偶然生まれ、たまたま生きて、何の意味もなく死ぬのではないのです。あなたは、神に造られ、神に生かされ、神に愛され、神の使命と目的があなたのために用意されていると聖書は語るんです。
神の計画実現のためにすべてのことを働かせて益として下さる
第二に、神さまはその計画に参加するもののために、人生に起こるすべてのことを働かせて、計画実現のための益として下さるというんですね。神さまはあなたの人生の一つ一つの出来事に関心を払って助けて下さるっていうんです。そして、これは、本当に心強いことではないでしょうか。
ここに無神論の世界観を見た
昨年、私は東京の渋谷というところに所用で行きました。ものすごい人の数ですね。特に人が密集するのは、信号なんです。私たちは青になるまで、立って待ってました。するとすぐ前ににいた女性が貧血だったんでしょうか。大勢の人混みの中でしゃがみ込み、そのまま倒れ込んでしまったのです。その瞬間信号が青に変わったんですね。何が起こったでしょう。何千人という人々が、みな彼女をまたいで道を渡り始めたんです。彼女は地面に倒れたままです。私は「なんじゃこれは!!」と思いましたね。こんなに沢山の人が彼女を見てるのに、誰も助け起こさないのです。まるでひとりぼっちの世界で、彼女が倒れてるかのようです。私は友人と助け合って交番へ連れて行きました。しかし、ここに無神論の世界観を見たように思ったのです。
無神論とはどんな世界観でしょう
無神論とは一体どんな世界観でしょう。この世界であなたがどんなに困ろうが、どんなに苦しもうが、どんなに疲れ果てようが、それを傷む存在が宇宙のどのにも存在してない。という世界観なのです。しかし、聖書はいいます。神はあなたのために働いておられる方だ、あなたが泣くときには共に泣く方だとおっしゃるのです。
神の計画は必ず実現する
第三に、神さまの計画は、必ず実現するということです。どんなものによっても、覆ることはありません。但し、この神さまの修復計画は神お一人では出来ないんです。あなたがこの計画に参加しなければならないんですね。どうすればいいんでしょうか。今から2000年前神に造られていながら神の計画から外れてしまった人間を救うために、イエス・キリストが来て下さったのです。この方こそ、神に至る道なんです。どうぞ、イエス・キリストを通し、生きるまことの神さまに立ち返って下さい。心からお勧めしたいと思います。
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。