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Bible & Gospel

No.454 2008年12月07日「旧約聖書とクリスマス」

お早うございます、高原剛一郎です

 いよいよクリスマスのシーズンがやってきました。街はすっかり、イルミネーションで飾られていますね。昔、ひとりの幼子がアインシュタインに質問したそうです。「太陽と月ではどっちが偉いんですか。」すると、アインシュタインは答えたそうです。「もちろん、月だよ。暗闇を照らしているからね。」いや、なかなかの詩人ですね。でも確かに人は暗闇の中に輝く光に、心惹かれるものがあると思います。おそらく光りが希望を連想させてくれるからではないでしょうか。

クリスマスって何でしょう

 さて、クリスマスって何でしょう。それは、キリストがこの世に来られたことを記念する日なんですね。争いと混乱と罪の世界、この世の中に、赦しと復活と希望の光を投ずるために、神が人となって到来して下さいました。この人となった神こそは、イエス・キリストなんです。ところで、このキリスト登場は前もって何度も繰り返し、予告されていました。このキリストの予告を記録しているのが、旧約聖書なんですね。イエス・キリストが誕生する700年ほど前に、その到来を告げるイザヤ書という旧約聖書にこう書いてあります。

 「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。」
 ここに赤ん坊として到来するイエス・キリストについて4つの称号が与えられると記されているんです。

不思議な助言者

 第一は不思議な助言者です。これは英語の聖書ではワンダフル・カウンセラーと訳されているんですね。
 ところで、素晴らしいカウンセラーってどんなカウンセラーでしょうか。私は、共感能力の高いカウンセラーではないかと思うんですね。ある有名な脳の学者がこんなことを話しておられました。「人間の脳はコミュニケーションするために設計されているようだ。じゃあコミュニケーションとは一体何か。それは、何かを相手と共有することだ。では、何を共有することが一番大切なのか。感情を共有することではないだろうか。」とおっしゃるんです。

気持ちまで共有することは難しい

 私たちは情報を共有したり、共通の趣味を話題にしたりすることは出来ますが、気持ちを共有するっていうのは難しいですね。実際、顔だけ知っている人、名前だけ知っている人、出身大学まで知っている人、特技や専門を知っている人はいても、気持ちまで知っている人ってそうはいないんじゃないでしょうか。その人の現状や悩みを情報、知識として知ることは出来ても、本人がどんなに辛く、孤独で不安なのか、その気持ちまで共有することは、難しいですね。しかし、人は気持ちを共有する人をひとり見つけるだけで、孤独の殻から抜け出ることが出来るんですね。キリストはあなたも気付いていない心の本音の部分まで、共感し、我が子とのようにあなたの気持ちを受け止めることが出来る方なのです。あなたの心の重荷をワンダフル・カウンセラーであるキリストの元に持って行こうではありませんか。

解決する力のある神

 第二に、この方は力ある神なんです。単に人の悩みを聞いて一緒に嘆くだけではなく、解決する力のある神なのです。

 私はつい先日まで、ハワイにおりました。滞在中、私の慕っている方が、一足先にハワイから日本に帰国することになったのです。ところが、出発当日、体調を崩され、顔色も勝れず、足取りもおぼすかず、これから9時間のフライトがとても辛そうなんですね。それで、カウンターへ行って、エコノミークラスのチケットをビジネスクラスに変更したら、どれぐらいお金がかかるかを訊ねてみたのです。数万円余計に払ったらゆったり席で楽に乗れるんではないかと思ったからです。ところがその額は40万円以上したんですね。正直とても手が出ない額です。私はその方の体調のことを思うと自分まで身体のあちこちが痛むほどでした。共感していたからです。しかし、共感は出来てもその方の助けになるような具体的なものを何一つ提供する力がなかったのです。

 私たちが必要としている救い主とはどんな方でしょう。話は聞くけど解決能力はないというのは、ただの人間と変わりがないのではありませんか。キリストはただ情け深いだけではなく、私の罪と死の問題を解決する力ある神として、この世に来て下さったのです。

永遠の父と呼ばれる方

 第三に、この方は永遠の父と呼ばれる方のです。永遠に変わらない頼もしくも力強い、魂の父親を示すために、この地上に来られたのです。

 以前読売新聞に10人の里子を育てた里親である坂本陽子さんという方の言葉が掲載されていました。彼女があずかった子供たちの大半は、実の母親から虐待されたり、育児放棄されたりした子供たちばかりなのです。彼女はこう語っています。「子供の成育にとって、最も大事なのは、この人なら守ってくれる。自分を愛してくれるという特定の人への愛着です。子供はみな施設や組織を求めているんじゃない。特定の人、私に向きあってくれる特定の親或いは親代わりを求めている。」と言うのです。

永遠の父として神を示す方がキリスト

 どんなに失敗しても、どんなにしくじっても決して関係を切ったりしない人格を求めているのだというのです。そうしてこれは、子供だけではないと思うのです。大人だって何になっても信頼を裏切られることのない人格と繋がりたいと思っているのではありませんか。キリストは、あなたにとって、永遠の父のような存在となる方なのです。時間とともに消滅するようなもろい関係ではありません。永遠の父として神を示す方なのです。実は人間は自分の造り主である神から離れた、家出少年のようなものです。しかもあまりにも長く家を出たために、家出したことすら覚えていないほどの風来坊なんです。その人間に、神を父として思い出させるために来て下さった救い主、それがイエス・キリストなのです。

平和の君と呼ばれる方

 第四に平和の君と呼ばれる方です。平和っていうのはヘブライ語でシャロームっていう言葉なんですね。シャロームの意味は、平和とか、健康とか、完全とかいう意味があるんです。キリストは人間に平和と魂の健康をもたらす王様なんです。ところで、キリストが人間に与える平和とは、どんな平和なのでしょう。そもそも人間は誰かと戦争しているんでしょうか。キリストによらなければ止むことのない戦争状態にあるとでも言うんでしょうか。ズバリそうなんです。

罪を取り除くため裁きを受けて下さったキリスト

 人間はこの世界をお造りになった創造主に対して、反逆している罪人なんです。この全宇宙の作者にしてオーナー、支配者にして、王様である神の主権を認めずに我が物顔に生きて来ました。それが人間です。神に対するテロリストのような存在、それが人間なんです。

 この人間世界にキリストは神との平和をもたらすために、降りて来られたのです。そして、神と人との間に立ちふさがっている罪という壁を取り除くため、自らその罪を負って十字架にかかり、あなたの代わりに裁きを受けて下さったのです。そして、三日目に死を突き破って死を滅ぼした王の王となった方、それがキリストです。どうぞあなたも不思議な助言者、力ある神、永遠の父にして、平和の君をご自分の主人として信じ受け入れ、永遠のいのちを受け取って下さい。心からお勧めしたいと思います。



レーナ・マリヤ:まぶねの中に
旧約聖書 イザヤ書9:6
 ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。