No.447 2008年10月19日「揺るがぬ平安を持つ秘訣」
お早うございます、高原剛一郎です
先日、精神科のドクターから伺った話です。ある幼稚園でままごと遊びをやらせてみました。ままごと遊びの主役は昔からお母さん役ですね。ところがお母さん役をみんなやりたがらないんですね。無理にやってもらったお母さん役の子は、とにかく一方的に命令し、声を荒げるばかりなんです。そして、お父さん役の子どもは「ゴルフへ行ってくる」と言って、遊びを放棄してどこかに消えました。では、子供たちの中で一番人気のあった役は、何でしょう。なんと犬猫ペットの役なんですね。どうして人間が動物になりたがるんでしょう。今の犬、ネコは血統書付で小型のものが多いそうです。そして、家の外ではなく家の中で大切に扱われているんです。「家の中で一番大事にされ、気づかわれ、主人の膝をいつも独占していられるのは、ペットである」って言うんですね。「子供たちは、あんな風に安心して生きてみたいと考えているので、ペット役になりたがったんではないか」というのがそのドクターの見解でした。
平安を持つ秘訣ってあるのでしょうか
では、平安を持って生きる。これに秘訣があるんでしょうか。一体どうすれば、大人も子供も平安を持って生きることが出来るんでしょう。キリストはこうおっしゃいました。
「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」
信頼出来る存在とつながっていないとき心騒ぎます
ところで私たちはどういうときに、心騒ぎ立ち不安になるでしょう。それは、信頼できる方を見失い、誰にも守ってもらえないという心境になるときではないでしょうか。
私は10年ほど前、生まれて初めてたった一人で中国に行きました。現地で友人と待ち合わせをしたんですが、その待ち合わせの前日にホテルに着いた私は、せっかく北京に来たんだから、ホテルの周りを歩いてみよう。出来れば天安門広場まで行ってみようと思ったんですね。というのは、地図を見たらそんなに遠くないように思われたからです。しかし、それが間違いの元でした。実は北京市というのは、四国よりも大きかったんですね。そのうち、迷路に入り込みました。お腹も空いたので、ひなびた中華料理の店に入ったんですが、メニューは全部漢字で書いてあってよく分かりません。なんとかぎょうざとラーメンを頼んだら、とんでもない量が出て来ました。そして、一番やっかいだったのは、支払いの時なんです。べらぼうな金額をふっかけられたんですね。メニューの金額と10倍もちがう。それで突き返すと請求金額がどんどん減っていくんですけど、結局メニューの倍の金額を支払って出ましたが、大声でやり合ったので、近所の人たちが集まって来たんですね。それはそれは、生きた心地がしませんでした。言葉が通じないというのは、本当に不便な事です。店を出たときは、真っ暗で本当に心細かったことを今でも良く覚えています。言葉が通じず、見ず知らずの人たちに囲まれ、自分でどこにいるのか分からなくなるときは、一人前の大人であったとしても、怖さを感じると思うんです。
お母さんの胸に抱かれた赤ちゃん
ところが、それと同じ条件に置かれていながら、まるで平気な人もいるんですね。それは、赤ちゃんです。赤ん坊は言葉が出来ません。寝返りすら自分でうてません。自分がどこにいるのか、分かりません。しかし、笑顔で生き生きしています。それは、全体的に信頼できるお母さんの胸に抱かれているときですね。信頼出来る大いなる存在とつながっているとき、人は少々無力であっても、平安を得ることが出来るのです。しかし、信頼出来る大いなる存在とつながっていないなら、人は如何に実力があっても、平安を持つことが出来ないのです。 神とはあなたの魂の親です。この大いなる存在との関係が、切れていると言うことが不安の原因ではないでしょうか。ですから、神を信じなさい。創造主に帰りなさいとキリストはおっしゃったんですね。
自分の思い通りに事が運ばないとき心騒ぎます
第二に、自分の思い通りに事が運ばないとき、人は心騒ぐんじゃないでしょうか。そして思い通りにならないことに苛立つのは、世の中は自分の思い通りになるためにあるという間違った前提に立って生きているからではないでしょうか。
あるスポーツ選手が、交通事故で半身不随になり、一生車いす生活となりました。かける言葉を無くした友人達はなかなか訪問する勇気がなかったのですが、しかし、何年後かに一人の友人が、とある悩みを抱え、そして思い切って彼の家を訪問することにしたんです。そこには、穏やかに今の自分を受け入れている人が車いすに座っていました。彼の部屋にはことわざの額がかかっていたんですね。ちょっとアレンジされてこう書いてあったんです。
「石の上にも3年、でも我慢したのは石の方だよ。」その額を見てハッと目から鱗が落ちるように思ったそうです。私たちは我慢している真っ最中、我慢している主体は自分だ。自分だけだと思い込んでいます。だからいつになったら良くなるんだろうかとか、どうしてこんな事がと、人生や神に詰め寄って問いただすのです。しかし、人生で耐えている私の周りで、如何にたくさんの人が私に耐えて下さっているか、気づかずにいることが多いって言うんですね。そして、そんな人生の出来事を通して、私自身が自己中心の人生観から、神中心に変わることを忍耐して待っている神がおられるということに、なかなか気がつかないんですね。神様はあなたに不幸を企てている方ではありません。誰にとっても益になることをして下さる方です。あなたの人生に最善をして下さる神から離れているために、その最善が降りてこないと言うこともあるのではないでしょうか。
人は死を目の前にしたとき心騒ぎます
第三に、人は死を目の前にしたとき、心騒ぎます。死っていうのは分離なんですね。身体と命が分離することです。そして、永遠に神と人とが分離することです。キリストは神から離れた人間を永遠に取り戻すために、この世に来られました。そして、あなたの上に、落ちるはずであった罪の罰をあの十字架の上で、ご自分の上に引き受けて下さったのです。そして、罪の罰を永遠の彼方に持って行って下さり、その証拠として、死後三日目に復活されたのです。そして、今キリストは天国であなたの住まいを準備していて下さっているんです。
あるホスピスに一人の若いお母さんが入所されました。35才で乳がんの手術をしたのですが、その後、肝臓に転移し、助かる見込みがなくなってしまったのです。ホスピスに入ったのには理由が二つありました。一つは痛みの緩和です。そして、もう一つは子供たちに手紙を書くためです。彼女には9才と7才の男の子がいたのです。その二人の子が20歳になるまで、誕生日毎に読んでもらう手紙を書く、そのために時間が欲しい、痛みを取って欲しいって言うんです。9歳の子には11通、7才の子には13通もの手紙です。すべての手紙には封がしてありましたが、一通だけ糊がちゃんとくっついていなかったものがあったそうでえす。それでご主人と主治医が思いきって覗いて見ること それは上のお子さんが16才になったときに読む手紙でした。こう書いてあったのです。あなたも今日で16才、もしかしたら、女の子の友達が出来ているかも知れませんね。でも、女性に対して絶対にしてはいけないことがあります。お母さんはそれを書いておきます。何とこの手紙には思春期の息子に対する性教育が書いてあったんです。さらに、別の所には、お父さんは、新しいお母さんと結婚していると思います。新しいお母さんに温かい気持ちで接して下さい。と書いてあったそうです。彼女は、ただ死んだのではなく、死までの間にやり遂げなければならない仕事を完成させて行きました。
死という人生の締め切りを直視する
人として、果たさなければならないことを果たし終えることが出来たのは、死という人生の締め切りを直視することが出来たからです。では、いかにして人は死を直視することが出来るでしょう。死がキリストの復活によって、骨抜きになったことを知ることによってです。キリストを信じる者にとって死は天国への玄関口にすぎないのです。どうぞあなたも神を信じ、またイエス・キリストを神とし、救い主として信じて下さい。心からお勧めしたいと思います。
あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。