世界中どこでも、いつでもラジオ関西「聖書と福音」の聖書メッセージが聴ける(Web Radio) ウェビオ

Bible & Gospel

No.446 2008年10月12日「神によって完成する人生」

お早うございます、高原剛一郎です

 先日私は長野に行きました。大阪から名古屋で乗り換えて、中央線という電車に乗るんです。この中央線には二つ名物があります。一つはすごく揺れることです。振り子電車と呼ばれているくらいです。もう一つの名物は、車窓から見える景色が絶景であると言うことなんですね。しかも、長野に向かっていく上り電車から見える景色と、名古屋に下っていく電車から見える景色が、全く違って見えるんです。まるで別の路線を走っているようです。向かっていく方向によって、世界の見え方が変わるんですね。これは人生についても言える事だと思います。神から離れていく人生において見える景色と、神に向かって近づいていく人生において見える景色は、まるで違うのです。

考える人は何を考えているんでしょうか

 神様から離れて生きる人生にも、それなりの楽しいこと、感激することがいっぱいあると思います。しかし、それらの出来事に、熱中できるのは、ゴールを意識しないときだけなんです。ゴールとは何でしょう。死です。実はこの死を忘れるために、人は夢中になれるものを探しているのではないでしょうか。日本で有名な彫刻作品と言えば、ミケランジェロのダビデ像と、ロダンの考える人だと思います。ところで、あの考える人は、何を考えているんでしょうか。実はこの考える人というタイトルは、作者のロダンが付けたものではありません。鋳造家のリュディエという人が後から付けたんですね。本当のタイトルは、地獄の門なんです。この地獄の門という作品は、いくつかの彫刻を組み合わせた大作です。考える人はこの大作を構成するパーツの一つなんですね。この作品は、地獄の中で、人生を悔い、苦悩する人間を直視しながら、人生とは何か、人間の本質は何か、人生の結末がこれだったら人は生きている間に解決すべき第一の問題は何かを、考えている人の姿なんです。

命のルーツへ立ち返る列車

 私は数年前、針が深く手に突き刺さるという経験をしました。飛び上がるほど痛かったですね。しかし、その突き刺さった針を引き抜くのは、それより痛いことだったんです。返しが付いていたからです。しかし、そのままではもっとひどいことになると、分かった私は、傷が残ると分かっていましたが、医者に生き抜いてもらいました。このままだったら、最悪が来ると分かるならそれを避けるための選択をするのは、懸命なことであるからです。ゴールが死と死後の裁きであるなら、どんな痛みを伴っても、それを避けるための選択を選ぶべきではないでしょうか。命のルーツである神様から離れていく列車から、命のルーツへ立ち返る列車に乗り換えることが、必要なのです。そして、神様から離れていったあなたを、神様のふところへと導く列車こそは、イエス・キリストなんです。そして、神様によって罪赦され、永遠の命を得た人生は、その見え方、景色がまるで違ってくるんですね。人生そのものに対する見え方、将来の景色が、最高に素晴らしく喜ばしいものとなるのです。そして、人は、自分が見ているものによって歩み方そのものまでもが、変えられていくのです。

 聖書の中にこうあります。 「あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。」

 キリストを自分の救い主として、信じ受け入れるものは、キリストの命の償いによって、全ての罪が赦され、神の子とされ、天国に国籍を持つものとされます。しかし、それはまだはじまりなんです。神様は、キリストの力によってその人の内に強力に働きかけて、その人を内側から改造し、キリストに似るように変えていき、習慣的な罪や、否定的な行動や、自己破壊的な思考も打ち砕いて、完成した人格になるようにしてみせると約束して下さっているのです。

強い意志より大切なもの

 ところで、良く聞く言葉に、意志薄弱という言葉がありますね。これは、一つのことを続けていく意志が、弱いという意味です。例えば、私は、早起きしたいのに、つい寝坊してしまう。それは早起きするという意志が弱いからだって言うんですね。しかし、逆に言うともっと寝ていたいという意志が強いからだという風にも言えるんですよね。私はどうしてもパチンコを止めることが出来ない、たばこを止めることが出来ない、ギャンブルを止めることが出来ない、それは止めるという意志が弱いからだと言い訳しますけれど、しかし、逆に言うなら、それを止めないという意志が強い、それを止めることなんか出来ないという信念というか、意志が強力であるからだと言うことも出来るんです。実は意志の強い弱いというのは、人によってそんなに大きな差があるようには思えないんですね。実は、意志よりももっと大切なことがあるんです。それは、意志を動かすものです。意志をコントロールするものにこそ秘密があるのです。では、意志を動かすもの、意志を支配するものというのは一体何なんでしょうか。それは、その人が見ている人生の景色なんです。

ではどうすればいいんでしょうか

 例えば、自分は絶対に誘惑に勝てない人間なのだというビジョンを、自分に対して抱いている人は、その自分のイメージ通りの生き方をしてしまうのです。イメージと意志が戦うと必ずイメージが勝つんです。というのは、人間はこんな事やっても無駄だと思っていることには、口や決心であらがっても無駄に終わってしまうからなんです。挑戦する前から、失敗するに違いないと信じ込んでいるので、失敗するための行動を取ってしまうんですね。失敗するに決まっているというビジョンを持っているなら、その意志の力で、それに逆らっていったとしても、打ち勝てないんですね。どうすればいいんでしょうか。意志よりも自分が見えているもの、自分が信じているものを変えることが先決なんです。

完成する人生を用意しておられる神

 神様は、私たち人間に、キリストを与えて下さいました。なぜですか、それは、私たちが自分だけでは出来ないことを、キリストの力で成し遂げるためなんです。キリストは、私たちの罪を赦して下さるだけでなく、私たちの内側で働き、私たちに新しいビジョンを植え付け、それを信じさせ、人を新しく変えて行き、ついには私たちを完成して下さる方なんです。神様はあなたに完成する人生を用意しておられるのです。

百聞は一見にしかずの続き

 中国のことわざの中に、「百聞は一見にしかず」という言葉がありますね。百回聞いているより、実物を一回見た方が良いと言うんです。イメージが人を動かすからです。しかし、このことわざには続きがあるんです。「百見は一考にしかず」ということばです。百回見ているだけではなく、見たことに基づいて考えを改めることです。今までどんなに信じ込んできたこも、信じ込んできた時間が長くても、これが真理だと思ったら、その考えを改めることです。さらに、このことわざには続きがあります。「百考は一行にしかず」です。これは百回考えているだけより、一回一つの実行が人生を変えるという意味です。どうぞ、まずみことばを聞き、次に信仰によって見て、それが正しいと得心したならば、この方イエス・キリストをご自分の「主にする」と告白して下さい。そして、キリストの力を経験する人生にお入り下さい。心からお勧めしたいと思います。



国分友里恵:嵐吹く日も
新約聖書 ピリピ人への手紙1:6
 あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。