■ No.432 2008年07月06日「信仰によって生きる人生」
お早うございます、高原剛一郎です
経済評論家に大前研一さんという方がいらっしゃいますね。この方が、コンサルタント会社にいたとき、ある自動車メーカーからもっと業績を伸ばすためのアドバイスを求められたそうです。それで大前さんは、現場を知るために、営業マンを3人ひと組にして、インタビューを繰り返しました。これを全国で何十組、何百組とやっている内に、売れる営業マンと、売れない営業マンの違いがはっきり見えてきたと言うんですね。売れない営業マンには一つ、特徴がありました。あることがずば抜けて上手なんですね。何でしょう。売れない商品の説明がメチャクチャうまいんです。ですからお客さんが商品の不満を少しでも言うと、待ってましたとばかりに商品の欠点を、とうとうと述べてしまうっていうんですね。性格的に欠点が気になる人は、何を見ても欠点に詳しくなるっていうんです。これでは、売れる物も売れません。
売れる営業マンの特徴
ところが、売れる営業マンには、商品の長所に惚れ込んでいるという点があるんですね。長所が気に入ってますので、長所に詳しくなるんです。
人間はどんなアンテナを立てるかによって、同じ商品でも、魅力のあるものにも見える。つまらないものにも見えるっていうんですね。これは人生についても言えることだと思います。もし、「お先真っ暗」というアンテナを立てると、「お先真っ暗」という情報ばかりがやってきます。「一巻の終わり」というアンテナを立てると、「一巻の終わり」を確信させる情報が、集まってくるんです。しかし、「大丈夫だ」というアンテナを立てると、「大丈夫だ」という情報があなた目がけて飛んでくるんですね。この人生のアンテナのことを、人生観といいます。
聖書の代表的人物
今日は、聖書の代表的人物を通して、聖書の人生観を紹介したいと思います。その人物とは、新約聖書の大部分を書いたパウロという人です。彼はこう言っています。
「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」
ここでパウロという人は、信仰によって生きていると言い切っています。では、何をどのように信じて生きていたんでしょう。
神の支配を信じて生きる
第一に神の支配を信じて生きたんです。目の前に繰り広げられる現実が、如何に悲惨極まりないものであったとしても、それでも神の支配は及んでいる。時がくれば神の計画が実現していると信じて生きたんです。
アウグスチヌスの母の祈り
4世紀にアウグスチヌスという人がいました。彼のお母さんは敬虔なクリスチャンでした。しかし、彼自身は当時流行していたカルト宗教のとりこになってしまうんです。その上、放蕩三昧の生活をしていました。母親のモニカは、なんとか彼がクリスチャンになるように願っているんですが、アウグスチヌスは自分の生まれたアフリカを出て、当時世界一の歓楽街であるイタリアに行くといってきかないのです。そんなところに言ってしまったら誘惑に負けてしまって、本当に立ち直れなくなってしまうでしょう。そこで彼女は教会に行きます。そして、「神様、どうか息子がいやリアにいかないようにして下さい」と徹夜で祈るんです。しかし、その祈り空しく彼はイタリアに向かってしまうんですね。ところが、彼女が行かせたくな立ったそのイタリアでアウグスチヌスは、クリスチャンになるんです。彼は後にこう書いています。「神よ、あなたは母の真の願いを聞いておられるが故に、一時的に彼女の求めを退けられました。それは母の永遠の望みを本当の意味で、実現するためでした。」祈っても願っても正反対の方向に、事態が進むと言うことがあります。しかし、それは、神の力が不足しているのではなく、神の力と計画を理解する人間の能力が不足しているので、そのように見えるんです。
パウロは、見かけ上の世界が如何にひどくなっても神の支配を信じていました。だからこそ、打ち倒されなかったのです。
キリストの愛を信じる
第二に、パウロは、キリストの愛を信じたんです。どう考えても神が間とは思えないような出来事に遭遇することが、長い人生の中に一度や二度はあるものです。何にも悪いことをしていないのに、罠にはめられたり、親切にした結果、返って恨まれたり、誤解されたり、又突然の災害に飲み込まれてしまったり、そう言うことが続くと神様が間ととても考えることが出来なくなりそうです。神はあなたを愛しておられないのでしょうか。いいえ、絶対にそんなことはありません。神様はあなたをこの上もなく愛しておられるのです。その根拠は、イエス・キリストです。
キリストは、あなたがまだ罪人で、反逆していたとき、あなたの罪の赦しのために、十字架にかかり、いのちを投げ出して下さったのです。あなたに永遠の命を与えるために、ご自分のひとり子をさえ捨てた方が、どうしてあなたを愛していないということなどあるでしょうか。大雨の時も雲の上には太陽が代わらずに照り輝いているように、人生の雨雲の上には、永久に代わらない神の愛が輝いているのです。
神の愛に応答する人生
第三に、パウロはこの神の愛に応答する人生を生きました。自分のために命までなげうった方のために、人生を捧げて走ったんですね。
私は昨年、ウイーンに行きました。そこで多くの音楽家や芸術家の生活した家、又彼らの足跡を辿ってあることに気付いたんです。実は、音楽でも絵画でも名作と呼ばれる者が続出した時代には、一つ特徴的なことがあったんですね。それは、パトロンと呼ばれる人たちがいたということです。パトロンというのは、芸術家を物心両面で支える支援者のことです。彼らはこれと見込んだ若い才能に、時間を与え、自由を与え、援助を与え、投資し、そうして支えたんです。そして、その頃のアーティスト達は、このパトロンのリクエストに応えて、パトロンのために作品を作ったんですね。彼らは不特定多数の一般民衆から受けることを願って、作品を作ったのではありません。パトロンという極めて個人的な特定の自分に期待を寄せる人のために、作品を作ったんです。そして、そのようにして生まれた作品には、力があるんですね。誰のためでもない作品にはそれほどの力がないんです。自分に夢を託してくれているこの人のために捧げようというその動機が、作品に命を与えたんですね。
人を創造的にするもの
自分の何かを捧げたいと思う相手を持つと言うことは、人を創造的にするんですね。自分の何かを捧げたいという対象を持つと言うことは、束縛ではありません。人を創造的にするのです。あなたをお造りになった神は、あなたの絶対的支援者ではないでしょうか。なぜなら神さまはあなたを造り、才能を与え、期待を持ち続け、今日まで活かし続けてきて下さった方であるからです。その上、キリストのいのちを犠牲にして、あなたを救い出して下さったんです。
どうぞ真の主権者、愛の源である方、そしてあなたを愛し、いのちを投げ出した神の御子を信じる信仰によって生きる人生を、どうぞあなたも選んで下さい。心からお勧めしたいと思います。
すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。