■ No.431 2008年06月29日「回復するいのちの秘訣」
お早うございます、高原剛一郎です
先日、私は三段階の幸せというエッセイを読み、心にとまりました。第一段階の幸せは、人にしてもらう幸せ。第二段階の幸せは、自分で出来るようになる幸せ。そして、第三段階の幸せは自分で出来ることを人にして差し上げる幸せです。
心に平安を宿す人生の秘訣
人にしてあげる幸せを味わうためには、まず、自分で出来る人になっていなければなりません。自分で出来るようになるためには、人にしてもらうという経験を持っていなければなりません。まず、してもらうところからはじまるっていうんですね。
聖書は神があなたのためにして下さった恵みについてのお知らせです。この聖書の福音を通してあなたが、幸いな人生を得られますように願っています。
さて、その聖書にこんな言葉があります。「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは、心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎがきます。」
ここに心に平安を宿す人生の秘訣が三つ書かれてありますね。
イエス・キリストのところに行く
第一に、イエス・キリストのところに行くということです。イエス・キリストのくびきに入るということです。くびきというのは、簡単に言うと連結機のことなんですな。キリストのところに行くとは、キリストを通して神とつながるということです。これが疲れを回復させる秘訣なんです。実はわたしが今使っている携帯電話はとても高性能です。薄型で軽量で、辞書機能がついていて、しかも外国に行ってもそのまま使うことが出来るんです。しかし、どんなに性能が良い携帯電話も電池が切れたら役に立ちませんね。それでは、電池が少なくなってきたら、どうしたらいいんでしょうか。静かに休ませておいたら回復するでしょうか。いいえ、使っていなくても電池は消耗するんですね。エネルギーを使い果たした携帯電話を回復させるためには、電源につないで充電する必要があるのです。エネルギー源とつながって、はじめて回復出来るんです。人間も同じなんですね。
人が人生に消耗するのは、なぜでしょう。人間を真に力づけ、励まし、奮い立たせるいのちのルーツから離れているからではないでしょうか。あなたの造り主から離れていることが、あなたの疲れの原因ではないでしょうか。神につながることが、必要なのです。そして、人が神のところへ直ちに帰ることが出来るようにするため、イエス・キリストがこの世に来て下さったのです。キリストは、あなたに代わってあなたの罪を背負い、十字架の上で完全に処分してくださったんですね。
復活したキリストとともに人生を歩む
第二に、復活したキリストとともに人生を歩むことです。 旅行を楽しくする秘訣は、どこに行くかとともに、誰と一緒に行くかによって、決まるように思うんですね。いくら地上の楽園みたいなところに向かっていても、一緒にいる人が地上の牢獄みたいな人だったら楽しみもないっていう気がするんですね。キリストは心優しくへりくだったパートナーです。この方があなたの人生をエスコートして下さるっていうんですね。
ゴルフの名コーチ
あるクリスチャンの女性がこんなことを言っていました。彼女はアメリカの大学で、ゴルフの授業をとったそうです。初日みんなが連れて行かれたのは、打ちっ放しの練習場なんかじゃなくて、美しいグリーンの広がるゴルフ場だったそうです。そこに黒人のおじいさんのコーチがいました。そして、ゴルフとは何かを説明しはじめたんですね。「みんな、遠くに赤い旗が見えるだろう。あの旗のポールの下は穴になっているんだ。そして、あの穴にボールを入れる。それがゴルフなんだ。」なんて当たり前の説明だと思ったそうです。すると続けてコーチが言ったんです。「ただ穴にボールを転がして入れるだけじゃあすぐに飽きてしまうよね。だから、みんなが楽しくわくわくできるように、ゴルフ場には、いろんな仕掛けがしてあるんだ。それがバンカーという砂場であったり、森であったり、池や丘なんだ。こういうものは、みんなの邪魔をする障害物じゃない。みんなのゲームを楽しく盛り上げるために作られたんだよ。」
説明を聞いているだけで、やってみたいなあという気持ちがしたそうです。「さあ、今度は試しにボールを打ってみよう。」ところが、生徒たちは誰一人当たらないんですね。コーチは大声で言ったそうです。「ナイス スイング!みんな空振りだけれど、元気がいい。空振りなのは、わたしがまだ打ち方を教えてないからだ。もし、教えてないのに、バシバシ打たれたら、わたしの役目はもうないところだ。」
まあ、空振りスイングすらほめめてくれるというんですね。しばらくすると「カキーン!」と当てることが出来ます。5メートルほど飛んだときコーチは言ったそうです。「すごい、プロになる気か」このコーチはどんなへたくそにも、声を荒げたり、見下したりしたことはなかったそうです。いつも励まし、勇気づけることに力を注いだ人でした。それでみんなは、もっとしたくなり、少しでもうまくなるために、アドバイスを求めるようになっていったっていうんですね。コーチは、この意欲が生まれるのを待っていたって言うんです。
彼女は言いました。「まるでイエス・キリストみたいだ。」いや、イエスさまは、それ以上の名コーチです。誰よりも心優しくへりくだってる方が、あなたのすぐ隣にいて、いついかなる時にも、人生を共に歩んで下さるのです。どんなにあなたが人生に不器用な人であったとしても、キリストはあなたを見限ることを絶対にしない方なんですね。
人生のすべての出来事を通してキリストを学ぶ
第三に、人生のすべての出来事を通してキリストを学ぶことで、魂に安らぎがくるということです。
ところで、人生最大の難関って何でしょう。死です。これほど心細く、悔しく、恐ろしいものはないと思います。しかし、キリストはたった一人で十字架について、神からの裁きを引き受け、息を引き取られましたが、三日後に死を突き破って、復活なさった方、今も生きて働く神です。あなたが死を経験するよりも先に、キリストは死を経験し、死後の裁きを取り除いて下さった方です。そして、よみがえったキリストは、死の間際においても、あなたのそばにいて、大丈夫だ。何も心配しなくていい。死はもはや何の力も持っていないんだよと、励まして下さる方です。
あるクリスチャン学生の短歌
私の手元に、わずか25才でなくなったあるクリスチャン学生の短歌があります。
三つ紹介したいと思います。
「永遠の いのちの浜にたたずみし 光りを望む 今日ぞ うれしき」
「肉の身は 麦わら帽子か 雨合羽 脱ぎて与えん いとやすきこと」
「みなのため 受けし傷あと持たずして みまえにいづる 恥知るや君」
昔の文章で書かれてるので、少し分かりにくかったかもわかりませんが、でも、どの歌にも永遠の世界への希望が満ちています。彼はそれを一体どこで学んだのでしょう。どこで得たんでしょうか。キリストの中に見出していたのです。どうぞ、あなたもイエス・キリストをご自分の救い主として、信じ受け入れて下さい。そして、死に対しても永遠の解決がある。この解決をしっかり握って、確信ある人生を走って下さいますように。心からお勧めしたいと思います。
すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。