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Bible & Gospel

■ No.428 2008年06月08日「甘美なる調べ 打ち破られた死の知らせ」

お早うございます、高原剛一郎です

 先日、愛知県の岡崎にある生理学研究所でおもしろい実験データが発表されました。
 人間は誰かから誉められたり、励まされたりすると、その人の脳は、お金を受け取った時と同じ部分が、活性化するというんですね。まず19人の男女にカードゲームをやってもらいます。そして、ゲームに勝って賞金を得たときと、他人からすごーいとか、やるねーとか、さすがーとか、誉められたときの脳の反応をMRIという装置で画像診断します。すると、脳の同じ箇所が活性化するということが分かったんですね。ということは、お金を持っても、人から恨まれるような言葉を聞いていると、その効果は相殺されてしまうかも知れませんね。逆にお金はなくても、人に希望を与える言葉は、その人の内側で力を与えるものとなるんです。

聖書は神のことば

 ところで、聖書のことばは、単なるスローガンや、名言ではありません。それは神のことばです。現実に生きて働いて新しくいのちを生み出すことばなんです。その聖書のことばの中でも、特に力の湧いてくるところが紹介しましょう。
 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。死のとげは罪であり、罪の力は律法です。しかし、神に感謝すべきです。神は私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えて下さいました。」

 多くの人の場合、何が恐ろしいといって、死ぬことほど恐ろしいものはありませんね。しかし、神は人を死に打ち勝たせて下さるって言うんですね。キリストによって、死を恐れるに足らないものにしてしまったって言うんです。それは、三つの理由によります。

キリストが罪の罰を引き受けて下さった

 第一に、キリストが十字架にかかって、人が死後に受ける罪の罰を引き受けて下さったからです。人が死を恐れるのは、死後に罰や裁きや地獄を連想するからです。しかし、キリストはこの死後の裁きを引き受けて下さったんですね。

 昔、中国の広州というところに行きました。そこでは、ちっちゃい子供が、カゴの中に生きた蛇を入れて、お客さんに売っているんですね。中には毒蛇もいるようですが、その少年は、平気な顔で、生きた蛇をつかんで袋の中に入れるんです。どうして怖くないんでしょうか。蛇から毒の牙を抜いて売っているからですね。毒のない毒蛇は恐れるに足らないのです。それは生きたベルトみたいなものですね。それと同様に、裁きのない死は、恐れるに足らないものなのです。キリストが死後の裁きを引き受けて下さったがために、死は武器をもぎ取られたものとなり果ててしまったっというんですね。

死は一時的現象になりさがった

 第二に、キリストが復活することによって、死が一時的現象になりさがったからです。キリストは十字架の上で死なれ、墓に葬られましたが、三日後に文字通り復活されました。復活が事実だとなぜ、分かるんでしょうか。よみがえったキリストは、弟子達の前に、繰り返し繰り返し姿を現し、会話し、食事し、行動なさったのです。そして、復活によって死が葬られたということを弟子達に確信させたのです。
 この復活のメッセージは当時のローマ帝国をひっくり返すパワーを発揮しました。ところで、どんなメッセージでも伝えている側が半信半疑であるなら、誰も耳を貸さないでしょう。ましてや、普通にはあり得ない、死からの復活を誰が信じるでしょうか。ところが、キリストの復活はローマ世界の間にまたたくまに広がって行きました。弟子達は、残酷な迫害を受けましたが、決してひるむことなく、返って力強く復活を宣べ伝えていったのです。悲壮感を持ってではなく、喜び踊りながら福音を語っていきました。それは、キリストが死んだ神ではなく、今も生きて共に働いて下さるということを日々に経験していたからです。

 ところで、活発に動き回っていた青虫が、死んだように動かない「さなぎ」になったとき、その変わり果てた様子をかわいそうに思う人はいません。「さなぎ」の次にくる出来事を知っているからですね。チョウチョになって、空飛ぶ自由を満喫するということを知っているからです。キリスト死から復活したように、キリストを信じた者も、たとい死ぬことがあっても、復活します。それは、キリストが天から再びやってくるときに実現するんです。ですから、クリスチャンにとって死とは、永久に続くもの悲しい結果ではなく、一時的現象にすぎないのです。

死は恐れるに足らないもの

 第三に、キリストが天国を用意して下さることによって、死は恐れるに足らないものとなりました。
 先月、C.S.ルイス原作のカスピアン王子の角笛という映画が封切られました。この作品のテーマは、天国の実在です。実はC.S.ルイスという人は、人一倍天国を考えた人だったんですね。9才で愛するお母さんを亡くし、62才の時に妻をなくします。その妻ジョイは、ユダヤ人女性でした。彼女との結婚生活は、たった4年間です。牧師による結婚式は病床で、新婦が重病の中もはや回復の見込みのない中で、執り行われたものでした。しかし、その後、奇跡的に回復し、数年間は通常の生活を送ることが出来たのです。しかし、やがて再発し、天国に召され、そして、ルイス自身もその数年後に亡くなったのです。この夫婦が病床の中で、しばしば語り合ったことをしかも楽しげに語り合ったことがあるんですね。それは、この世界は、シャドウランド(影の国)でしかない。私たちが生きるべき世界は永遠の天国であり、そこにこそ本当の希望があるということでした。キリストはこの天国をあなたのために、既に用意して下さっているんです。私たちがキリストを救い主として受け入れさえするなら、私たちはこの天の御国の国民となることが出来るのです。

 昔、ソ連にスターリンという独裁者がいました。彼の命令によって、秘密警察に連行されて行った人は378万人。強制移住させられた人は、500万人。民族強制移住は350万人。銃殺された人たちが79万人。その他命を落とした人が、1000万人と言われている恐怖の絶対的独裁者なのです。このスターリンを巡ってこんな(アネクドート)ジョークがあるんですね。

 ある時、クレムリンの鐘が鳴り続けたんです。すると市民の一人が役人に電話で聞きました。
「一体何があったんですか。」
すると役人は、応えました。「同志スターリンが死んだんだ。」
それから暫くすると、また電話が鳴りました。「一体何があったんですか。」
「同志スターリンが死んだんだ。」
それから一分しない内にまた電話が鳴りました。「何があったんですか。」
よくよく聞くと、同じ声の人物なんです。とうとう役人は怒鳴り散らしました。
「あんたはさっきから20回も同じ事を私に言わせている。スターリンは死んだんだ。何度言ったら分かるんだ。」 すると電話の主は言いました。
「何度聞いてもいいもんです。」

死の勝利はどこにあるのか

 死よ。お前の勝利はどこにあるのか。お前のとげはどこにあるのか。どこにもないんです。死はキリストによって破られました。そしてこれは、何度聞いてもいいもんですね。死は打ち破られたのです。どうぞ、あなたも死に勝利した救い主イエス・キリストを信じ、受け入れて下さい。心からお勧めしたいと思います。



新約聖書 コリント第1の手紙15:55〜57
 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」死のとげは罪であり、罪の力は律法です。しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。